群馬交響楽団の荘厳ミサ曲

 今日、高崎まででかけて、群馬交響楽団の演奏会を聴いた。群響を聴くのは2度目だ。最初は、ずっと昔東京文化会館での東京遠征を聴いた。私が当時チェロを習っていた先生が、群響のチェリストだったので、東京で演奏会をする機会に聴きにいったわけだ。曲もよく覚えている。チャイコフスキーの「幻想序曲ロメオとジュリエット」、リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲、そして、メインが「悲愴」だった。ホルン協奏曲が、なにか危なっかしい感じがしたので、あとで先生に聞くと、ドイツから来たというホルンのソリストが、練習のときと全く違うテンポで演奏したので、みんなあわせるのに懸命だったということだった。そんなことがあるのかとびっくりしたものだ。悲愴はすばらしかった。
 私は、当時松戸に住んでいて、高崎から毎週教えに来るのは、本当に大変だったと思う。当時は、先生が非常に若かったのだが、この春に、高崎にいったときに、群響のかつての演奏会場(そのときには、いまでもそこで演奏していると思っていたのだが、今は新ホールになった。)があり、ネットで調べると、今でも団員名簿にあったので、私のオーケストラの練習がないいときに、ぜひ聴きにいこうということになったのだ。ほとんどは土曜日で重なっていたのだが、今日は、日曜日なので、練習がなかった。

 
 曲目は一曲のみ。ベートーヴェンの大作荘厳ミサ曲だ。
  実はここまでは、昨日書いて、これから今日。
 新しくできた芸術劇場は、多目的ホールということだが、音楽ホールとしては、かなり贅沢にできている。客席は、今日は、合唱が入る野で、前のほうの客席を削って、オーケストラ用にしており、さらに、客席が減っていた。二階席などはかなり贅沢に作ってあり、ごくわずかしかない。200名の合唱団が入るので、オーケストラを客席まで張り出す必要があったようだ。
 合唱団が出てきたときには、高齢者とごく若い人の混成という感じだった。杖をついている人もいて、客席からば、ため息めいたものがもれていた。
 
 いよいよ演奏が始まったが、とにかく、ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、荘厳な曲が続く。悪くいえば、単調だ。常に迫力満点の曲が続く。いままで2回この曲を演奏したのだが、聴くのは始めてだ。ヴェルディのレクイエムと比較すると、常に切迫した音楽の連続で、ヴェルディのような起伏が乏しい。ずっと壮大な音楽が続く。少々疲れる。
 合唱は、かなり人数が多く、200名前後だ。かなりきちんと訓練されており、私には、りっぱな合唱に聞こえた。独唱は、ソプラノ小林厚子、アルト島本弥生、テノール沢崎一了、バス伊藤貴之で、テノールとソフラノが目立って聞こえた。4人ともりっぱだったが、ソプラノとテノールは叫んでいるようなところがあった。しかし、200名の合唱に突き抜けて、はっきりと聞こえるというのは、本当にたいしたものだと思う。
 荘厳ミサ曲の唯一の事情的なメロディーは、バイオリンのソロだが、少々音が小さい感じだったが、でも、やはり唯一の美しいメロディーとして、楽しめた。
 指揮は山下一史。名前知っていたが、聴くのは初めてだ。荘厳ミサ曲らしい、りっぱな指揮だった。
 
 演奏会が終わって、ホテルに着き、無料のアルコール飲み放題で、しこたま飲んで今書いているので、少々よっている。ということで、今日はお終いにする。
 演奏したが、自分のパートに囚われていた状態から、全体を聴くという体験ができてよかった。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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