松本人志訴訟取り下げについての「解釈」

 松本人志氏が、文春を訴えた際には、私の見解をけっこう書いたが、取り下げについては、別に書くこともないだろうと思っていた。しかし、youtubeでのいくつかの「解説」をみて、少々疑問に思うことがあったので、整理しておきたいと思った。とくに疑問に思ったのは、郷原信郎氏と元週刊朝日編集長山口一臣氏の対談である。通常は、山口氏が聞き手になって、郷原氏が解説しているのだろうが、今回は、週刊文春絡みの訴訟ということで、雑誌側にたって名誉毀損訴訟に当事者としてタッチしたという山口氏が、主に見解を述べる形になっていた。
 当然、弁護士である郷原氏との対談だから、論理的におかしなことをいっているわけではないのだが、いくつか気になる点がある。

 その主な点は、世間での受取りとして、松本側が勝った、いや文春が勝った、というように、自分の応援する側の勝訴を強調する論調に分れているが、そうではなく、痛み分けだというような「雰囲気」の論調なのである。そして、当然二人は「和解」と「取り下げ」の違いを正確に理解しているのに、どうも山口氏の見解を聞いていると、氏が、「和解」であるかのようなニュアンスで語っている場面が散見されるのである。松本氏が、あれだけ強行に事実無根であるという前提で、しかも、名誉毀損としては通常ありえない5億(+訴訟の費用の5千万)の損害賠償を請求するなどという訴訟をおこしておきながら、「取り下げ」たということは、あきらかに、松本氏が、敗訴を避けるために、敗訴よりは取り下げのほうが、傷が少ないという判断の下に、取り下げたと見るのが、正確であろう。提訴後の流れは、明かに、松本氏側が、余計な、やってはならないような愚行を繰り返すことによって、判事たちの心証を悪くするような状況になっていた。それは、探偵をやとって、記事の当事者である女性を尾行させたり、女性の相談相手であった弁護士に対して、訴訟を記事の取り下げを迫ったり、さらに、ありもしないその弁護士の不倫で脅しをかけるなど、あいた口がふさがらないような暴挙をしたことが、暴露されていた。もともと、文春の記事がいいかげんな取材に基づいたものではないことは、おそらく読んだ人の多くが感じていたところであり、もともと松本氏に勝ち目がないことは、ほぼ明かであった。だからこそ、こうした暴挙をしたのだろう。当初から松本氏の不利は明かだったが、こういう愚行をすることで、敗訴は確定的といってよかった。
 文春側は徹底抗戦の構えであり、かつもっともっと多くの証拠を握っていたはずであり、そして、女性は何度も証言台にたつということを明言していた。まず、松本氏が恐れたことは、その証言が実現して、赤裸々にさまざまなことが語られることが第一だったろう。今回、「強制性を示す物的証拠はない」ということの確認が、松本氏に有利な条件であるために、文春側が取り下げに合意したかのような解釈がけっこうあるが、そもそも、「物的証拠」など存在しないことは、当初からわかっていることであり、文春側としても、認めていることだろう。だから、松本氏に有利だなどということはまったくないのであって、民事の名誉毀損訴訟なのだから、ほとんどは、「証言」によって判断されるのである。被害者である女性自身と、松本氏自身の証言の、それぞれについて、そしてそれを踏まえた双方の「理由付け・論理」のどちらが真実であるかを、裁判官が判断するということである。私は、松本氏のいくつかの過去のテレビでの映像をみて、この人は、論理的に追求されたときの応答力に乏しいと感じていた。おそらく、松本氏は自分の証言に自信がないに違いないと思う。さらに、松本氏の弁護士は、かつて検事時代に不正取り調べをしたことで、事実上検事を辞任せざるをえなくなったわけだが、その不正を、実際の裁判の場面で追求して暴露したのが、文春側の弁護士なのだから、その点でも、判決がでるとしたら、その結果は明かなのである。
 つまり、松本氏は、裁判が進展して、証言という段階になったときに、女性から生々しい事実が語られること、自分の証言を、文春の弁護士によって、徹底的に追求されること、そのことを恐れたこと、それだけでもかなり致命的な痛手となるうえに、判決で負けたら(その可能性がほとんどなわけだが)、タレントとして、致命的、つまりテレビはもちろん、youtube等の場でも、活動しにくくなってしまう、ということを、恐れたはずである。それで「取り下げ」という、事実上文春の記事を認めるような措置をとったということだろう。
 
 山口氏は、文春側も、血の滲むような、苦しい作業として、なんども交渉しつつ、合意に達したのだろうなどと述べているが、文春側のコメントを読めば、そういう雰囲気はまったく感じられない。松本側が「取り下げ」を申し出てきたので、女性たちと相談して受け入れたという程度のことしか述べていない。裁判手続き上、相手が取り下げをしたい場合、被告側の同意が必要だから同意したということにすぎないように思われる。もちろん、裁判などなくなったほうがいいに決まったから、しぶしぶというわけではないだろうし、郷原・山口氏がいっていたように、「被告としても、自分たちの見解が認められる判決を引きだすことを望むだろうから、勝訴だと思っていたら、取り下げに応じないはずだ」などということはなく、通常は、訴えてきた相手が引き下がるというのだから、同意するだろう。時間と労力が膨大にかかる訴訟など、回避したいのは、被告だった同様であろう。訴えた相手が取り下げたということは、被告側にとっては事実上勝訴となったこととほとんどかわらない。
 
 蛇足だが、山口氏の発言を聞いていると、こういう人が編集長をしていたのでは、週刊朝日が廃刊になるのも、なんとなくわかるような気がした。公平な立場で、双方の主張をまとめている、などというのではなく、論理的に明解な説明ができるところを、明確に切ることができないような煮え切らない感じなのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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