昨日兵庫知事選があり、前知事であり、議会での不信任決議で失職した斉藤氏が、再選された。議会全員一致での不信任決議、数ヶ月に及ぶテレビ・新聞等での激しい斉藤非難、当初圧倒的な不利と考えられていた斉藤氏の逆転勝利という、前代未聞ともいうべき結果に、実質的な選挙戦の期間中、以前とはまったく違うように、沈黙を貫いたテレビも、とりあげざるをえなかったようだ。今日、たまたま「羽鳥モーニングショー」と「ごごすま」で、この選挙結果をとりあつかったのを見た。そして、いかにも旧メディアの代表格であるテレビらしい反応をしていた。私は高齢者であるが、ほぼ新メディア派なので、このテレビのいいわけ的な扱いは、予想とおりであったが、腹立たしく感じた。
私自身、率直にいって、次々にテレビでパワハラやおねだりを「暴露」されていた時期には、斉藤氏はやはり問題だと感じていた。しかし、同時に、あまりに執拗なテレビなどの扱いと、100%斉藤氏への非難に固まっていたことについては、違和感を感じていたことも事実である。いくら問題があるといっても、パワハラやおねだりなどで、これほどの攻撃一辺倒というのもおかしい。多少の弁護論があるのが普通だろう。しかし、告発者が自死したということは、重い事実であるから、斉藤氏の初期対応がまずかったと思っていたことはこれまた事実である。
しかし、公益通報を無視して、ということについては、なんとなくおかしなことだとも感じていた。というのは、最初は、マスコミなどへの通報であり、それにたいして知事が対応したところ、法的な手続としての公益通報を行ったということだったが、批判されているのは前者にたいしてであり、厳密にいえば、前者は公益通報とはいえないものだったからである。
さて、こうした雰囲気が変り始めたのは、選挙戦が始まり、ネット情報として、旧メディアが毎日のように垂れ流してきた情報に対する疑問がだされてきたことである。その正確な転機は、私も知らないが、私がみて、それまでの受取りへの捉えなおしの必要を感じたのは、斉藤氏、稲村氏、立花氏他が同席しての討論会だった。偶然youtubeで見ることになったのだが、この三者が同席しているということ自体が驚きだった。そこで論を展開している立花氏の発言内容は、それまでのメディアの主張とはまったく異なるもので、稲村氏がそれに強く異議をとなえている風でもなかったので(全部みたわけではないので、他の部分ではちがっていたかもしれないが)、再度考えてみるきっかけになった。
そのとき立花氏はだいたい以下のようなことを述べていた。
1 最初の局長による通報は「公益通報ではなく」、むしろ怪文書のようなものであり、それにたいして知事が調査し、内容が不正であれば、処分するのは当然だ。
2 パワハラ、おねだりは、実際には存在しなかった。
3 局長の自死は、処分が原因ではなく、自分の職務用のパソコンに、自身の不倫の記録があったこと、そのことを委員会で公表されそうになったことだった。
4 斉藤知事が行った政策が、旧来の利権をもっていた人の反感をかったことで、知事の追い落としにあったのであって、斉藤知事がやろうとしていたことは県民のためになる政策だったのだ。
以上のようなことだった。そして、これらのことが、立花氏だけではなく、多くの人によって、ネットで拡散していった結果、稲村氏と立場が逆転していったわけである。
こうした見解を知って、その後はネットを調べて、どちらが正しいのかを考えてきた。しかし、テレビや新聞は、こうしたことにほとんどふれることなく、投票日を迎えた。
さて、結果を踏まえて、羽鳥モーニングショーやごごすまの対応を検討してみよう。
まず非常におおざっぱに言えば、ネットはまちがった情報が横行し、テレビは公共性という枠があるので、とくに選挙が始まった段階では、発言が制限されているので、対応が難しかった、といういい訳が前面に出ていたことである。しかし、私からみれば、ネットよりテレビの斉藤氏への誹謗中傷のほうが、よほど酷かったように思われる。とにかく数カ月間、テレビに毎日のように、どこかで斉藤知事のパワハラ、おねだり、をこれでもかというくらい流し続けてきた。ネットでまちがった情報がひろがるといっても、テレビの影響力からみれば小さなものだ。公共性という割には、とうてい公正な報道だったとはいえないだろう。その点について、若干でも反省的に語っていたのは、ごごすまの大久保氏だけだった。東国原氏などは、居直りとしかいいようがない、ネット批判を繰り返していた。
そして、こうした番組の参加者は、いかにもネット情報はデマで溢れているかのようにいうのであるが、そうだろうかと私はいつも、彼ら(テレビ)の認識こそ疑問をもつ。私がみるネットの書き込みが、特別だとは思わないし、よく誹謗中傷の巣のようにいわれるヤフコメをよくみるが、誹謗中傷と感じる書き込みは、ほんとうに稀にしかない。ほとんどは、考えられた内容であって、たまにみる誹謗抽象的な書き込みには、たいていたしなめる書き込みがある。だから、ネット空間は、問題がないとはいわないが、全体としては、健全な意見の交流があると思っている。ワイドショーのコメントなどのほうが、よほどレベルが低いものが多い。
もし、ほんとうに旧メディアがまじめに問題に取り組むのであれば、斉藤知事が「利権」問題にメスをいれようとしていたことは、記者をたくさんかかえている旧メディアはすぐに把握できるはずであるから、「利権」問題を解明すべく努力すべきであった。もちろん、利権といっても、ある面不可避なものもある。県庁舎の立替えは必要であるという認識は、共通のものだったのだし、立替えがなされれば、どんなに小さな規模であったとしても、受注はどこかの企業が受けるわけだから、そこには利権が発生するともいえる。ただ、兵庫の場合1000億円という従来の計画にたいして、斉藤知事が200億程度という提案をしていたということなので、その差はあまりに大きい。そこに深刻な対立が生れたことは当然のことだろう。旧メディアは、そこに公正な立場で検討を加えることができたはずである。しかし、そうしたことは、旧メディアはやらなかったようだ。いまからでも、公共事業のありかたに厳しい玉川氏は、この問題にきちんと取り組むべきであろう。
パワハラやおねだりというのは、人によって受取りが違うだろうが、報道されていたことが事実であるとすれば、あれだけ強烈に批判されるようなことではないとも思うが、知事の態度としては改めるべき点であろう。そう感じていた。3の局長の死については、当初からすっきりしないものを感じていた。テレビは、だいたい処分が原因であるとしていたが、百条委員会に出席して、知事批判をする強い意思をもっていたにもかかわらず、その直前に自死したということは、多くの人が不自然なものを感じていたにちがいない。立花氏の主張のような要素があったとすれば、取扱はそれでも非常に難しいものがあったと思われる。だから、百条委員会側がパソコンのなかみを公表しなかったことは、プライバシーの保護という点で納得できるが、斉藤知事への非難の中心的論点のひとつである点を考えれば、斉藤擁護派としては、明かにする必要があったのだろう。公用パソコンにプライベートなことを保存してよいか、その内容がプライバシーとして保護されるか、という点については、私的内容をいれている人は少なくないように思うが、問題が発生したときに、プライバシーを理由に当人が秘匿できるものとは思わない。
県民の意思は表明されたわけだが、全員一致で不信任をしたり、アンケートにパワハラがあったと書いた職員と、協力して県政をしていかなければならないわけだから-、斉藤知事の苦労はまだまだつづくということだろう。誠実に対応してほしいものだが、利権にしがみつく職員や議員には厳しくすべきであろう。
この間の報道のしかたをみていると、テレビは、ジャーナリズムの騎手としての位置はまったく機能していないのだと改めて感じた。