「教師に残業はない」のか

 福岡の県立高校の教師が、過度の残業でホテルのロビーで突然倒れ、首の後の血管が破裂して、以後意識が戻らないままずっと寝たきり状態になっているという。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2290434?display=1
 校長は当時、「頑張ったんだけどね。残念でしたね」という言葉をかけられただけだったという。学校現場が最悪のブラック職場のひとつであることは、広く認識されている。そして、それは、教育行政による勤務形態の押しつけのために起っていることである。したがって、勤務形態と給与の関係を変更しないと、こうした被害は今後もなくなることはない。
 では、どういうことか。あまりに過度の残業が、こうした被害を生んだというのは、誰でも考えることであるが、しかし、管理者的にいうと、残業は存在しないということになる。公立学校の教師には、残業手当がでないかわりに、特別手当がでており、正規(定時のということ)の仕事を超えて行うことに対しては、その対象を限定し、(生徒の実習、学校行事、職員会議、災害等のやむをえない場合の4つである)これらに対しては、職務命令で仕事をさせることができるが、それは残業手当ではなく、特別手当で充足しているということになっている。
 そして、その論理的帰結ということになるのだろうが、上の4つ以外の仕事は、教師が自発的に行っていることであって、たとえ、勤務時間を超えてやっていたとしても、それは残業ではないということになっているわけである。だから、少し前までは、部活の顧問になっても、まったくの無償労働だった。いまは多少の手当がでるが、微々たるものである。そういう問題もあって、部活は地域に移すべきであるという議論が強くなっている。
 さて、こういう状況が問題であることは、多くのひとに認識されているが、どうすればよいかという点については、かなり大きな対立があるといわざるをえない。
 それを考える前提として、教師の仕事は時間で測ることが難しいという点である。新米の教師もベテランの教師も、同じ教科の同じ単元を授業する場合、新米教師のほうが、準備に使う時間は常識的に多くなる。それを学校で準備をしているとして、残業手当として時間換算することが妥当でないことは、誰でも承認するだろう。ただし、災害などの対応とか、職員会議や委員会での仕事は、新人とベテランで大した時間的差はなく、あるとすれば、むしろ委員長と単なる委員の違いだろう。生徒の実習指導などは、すべての教師が担当しているわけではないから、これを等しい特別手当の対象にすることは、不適切というべきだ。学校行事については、私は、そもそも多すぎると思っている。率直にいえば、運動会、文化祭など、私はないほうがいいと思うが、これは、あるのが当然という考えのひとも多いだろう。しかし、運動会などの教師の負担は極めて大きいのである。
 だから、4つの対象については、それが妥当であり、必要であるのかという検討が必要だろうと思う。
 そして、つぎに、何故教師の仕事が大変なのか、それは極めて明確な原因があることも、教師ならば誰でも思っていることだが、本来やらなければならないことか、という、教師の仕事本来のこととは異なる仕事が、たくさん押しつけられているということである。そして、そのなかには、あきらかに教師がやるべきことではないものもあるし、意見がわかれるものもある。外部からの調査やアンケートの扱いや、文部科学省や教育委員会が実施する学力テストの処理などは、教師ではなく、別の専門・事務が果すべきことだろう。多くの教師はそう思っているに違いない。しかし、保護者の相談事、あるいはクレーム対応などはどうか。あるいは子どもの進路相談などはどうか。こうしたことは、基本的には、カウンセラーの仕事であって、教師が義務として行わねばならないことではない、という考えも当然あるし、いやそれは教師としてさけることができないという見解もあるだろう。授業を妨害する生徒の教室での対応などもそうだ。教師の仕事だという考えもあるし、通常の注意では効果なく、生徒がいうことをきかない場合は、校長などの管理職が対応するべきものだという意見も当然ある。
 私の考えは次のようになる。
 実習指導、委員会の委員には、手当を支給し、学校行事は、授業時間内で準備も含めて行うようにし、それを超える分、そして、非常時の緊急の仕事についても、超過勤務手当を支給する。学校行事は、地域の活動に移すのが適切なものは移し、最小限にする。生徒の勉学の相談などは、本来の教師の仕事とするが、保護者からの相談や困難な指導については、校長の責任において処理することを原則とする。その他、本来の教師の教育活動以外の業務、とくに外部からの依頼業務は、担当の事務と管理職の責任において行う。
 とにかく、学校がブラック職場になっているのは、教師本来の仕事以外のことで、過大な仕事を押しつけられていることによるものであって、教師本来の活動、授業のための準備等であれば、かなり忙しくても、教師にとっては負担感情は生じないものである。もし、授業の負担がいやなひとは、教師に向いていないのであって、辞めたほうがよいのだ。したがって、教師本来の教育活動と認定された仕事については、いくら残業しても、残業手当の対象としないという考えは、基本的に適切だと私は考えている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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