丸山真男のオペラ論1

 丸山真男に「金龍館からバイロイトまでーーオペラとわたくし」という文章がある。もちろん、丸山のアカデミックな論文ではなく、丸山のオペラ歴を語ったエッセイである。これがとても面白いし、賛成できるところもあるし、また、違うなというところもあるが、丸山真男は有名なクラシック音楽、とくにドイツ音楽、そしてオペラ好きだったから、その類の文章はいろいろあるのだが、これがとくに私には興味深かった。
 1985年の文章だが、まだまだこの時期は、日本のオペラ普及はそれほどではなかったのかも知れないが、それでも、次第にオペラ好きは増えていたと思うし、有力なオペラ公演は客もたくさん入っていたはずである。
 丸山真男はクラシックファンがオペラファンになるには3段階があるという。
 第一段階は、オペラにいかれる時期だそうだ。オペラの魅力になんらかのきっかけでとりつかれ、オペラに夢中になる時期という。
 第二段階になると、実際の上演に対する点数が辛くなってくるという。そして、第三段階になると、オペラの無理や困難さが理解できるようになって、オペラを宗教のように思うのだという。つまり、オペラの無理さを原罪のように考えるということだ。そして、ほんもののオペラファンは、ワーグナーを理解した上で、ドニゼッティやベルリーニのベルカントオペラの魅力がわかるようになった段階だというのが、丸山の結論として書かれている。
 丸山は少年のころから音楽好きだったようで、オペラにも関心があったが、当時行われていたオペラもどきは、浅草オペラだったという。そこでカルメンをみたが、実はそれはカルメンのパロディだったというのだ。映画アマデウスで、シカネーダーの芝居小屋が、ドンジョバンニのパロディを上演しているところがあったが、あんな感じだったのだろうか。
 そして、オペラを上映するのは、とにかく難しいということもあり、日本では、実際の上演は極めて少なく、いくつかのオペラ団体はあったが、国立のオペラ専門の劇場ができたのは、1997年のことである。実は、その前にできた国立劇場は、オペラ関係者がオペラ劇場を設立したいということで運動をしていたのだが、それを歌舞伎等の日本の伝統芸能関係者が、計画を変更させて、現在の形にもっていってしまった、とされている。
 日本に本格的なオペラが上演されたのは、なんといってもNHKが定期的に招聘したイタリアオペラだったろう。これが日本のオペラファンを生みだしたことは、周知のことだろう。私自身、小学生だったころに、テレビで何度もイタリアオペラをみて、オペラに目覚めたわけだ。伝説的なデル・モナコのオテロを見なかったが、アイーダでのラダメスなどは、いまでも覚えている。そして、1963年だったと思うが、ベルリン・ドイツ・オペラがやってきて、オーケストラも含めた本格的な海外の劇場のオペラ引っ越し公演だった。NHKのイタリアオペラは、指揮者と主要な歌手がイタリアからやってきて、オーケストラ、合唱、脇役のソロたちは日本人が演じていたのだ。日本人音楽家たちのオペラ教育という点でも、大きな役割を果したように思う。ベルリン・ドイツ・オペラのフィデリオはテレビで放映され、フィッシャーディスカウが出てくると、その場の雰囲気がはっきり変ってしまったことが、とても印象的だった。
 このようにみてくると、日本のオペラファンは、丸山が認識していたよりも、もっとひろがりがあったのではないだろうか。(つづく)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です