女子大の存続問題がいろいろと論議されているし、また、実際に女子大の教職員は真剣な検討をしているだろう。2025年から約5年間は、18歳人口が多少増えるのだそうだ。それは、団塊ジュニアの子どもたちが18歳を迎えるからだという。私は、団塊の世代そのものなので、こうした受験人口の変化による学校の淘汰を何度も経験してきた。
団塊世代が高校進学の時期になると、定員不足で高校にいけない中学生がけっこうでた時代だった。もちろん、高校側も新設・増設などの対応をとったのだが、高校進学率はかなり高くなっていたので、団塊の世代が通りすぎたあとは、高校の苦難がやってきて、私の近所の高校も廃校になったところがある。団塊ジュニア世代の場合も同じようなことが起きた。そしてその後は、高校進学率がほぼ100%に近くなったので、人口の推移が明確だから、当然廃校になる高校もでたが、特別社会の注目をひかなくなったような気がする。
これに比べて大学のほうは、少子化による影響は、だいぶ遅れてやってきた。というのは、私の世代では、大学進学率はまだまだ低く、20%程度だったのではないだろうか。それが現在では50%を超えているから、進学率の上昇が、少子化の影響をある程度吸収したわけである。
しかし、団塊ジュニアが通りすぎて、少子化が顕著になると、やはり、大学にもその影響が現われはじめ、既に大学も「全入」状態になっている。この場合の全入とは、大学進学希望者よりも大学の定員が多いことをさしており、どうしても第一志望の大学に入りたい人が浪人する以外は、大学に入ることがそれほど困難ではなくなったことになる。私の勤めていた大学は、偏差値は中程度だったので、そうした全入の影響は、非常に顕著に現われていた。それは、大学に苦しい受験勉強を経て入ってきたという学生が、極めて少なくなったことである。ゆとりのある高校生活をしてきたという学生が多くを占めるようになったことで、大学生としての基礎教養が低い面もあるが、それよりは、受験勉強に疲れて勉強嫌いになっている学生が稀だという、私たち教員にとってみれば、とてもよいことだと受けとっていた。少なくとも私自身はそうだった。私が所属していた人間科学部は、受験勉強をして積み重ねる知識内容を、あまり含まず、まったく新しい、しかも、学生たちにとって、興味深い内容を学ぶこともあって、学生たちの大学における学生意欲はとても高かった。
さて、少子化の影響をうけて、経営難になった大学の部門は、女子の短大がもっとも早かった。そして、私の大学でも、女子短大をもっていたので、大学全体としてかなりその扱いが困難な状況だった。多くの教職員にとって、女子短大が今後生き残ることはかなり困難であるということは、ほとんど自明だったように思われる。そして、有効な対処は、共学化すること、そしてその上で、4年制に組みこむことである。ところが、肝心の女子短大、そして卒業生たち(同窓会)から、強い反対が続いたのである。自分たちは、女子短大としての伝統を築いてきたから、その伝統の上に発展できるという自負があり、また、卒業生にとって、自分たちが学んだ形の学校が消えていくことに、強い懸念を示した。
しかし、結局のところ、受験生の応募が顕著に減少すれば、そのままでの存続か危ういことは誰の目にも明らかになる。そして、かなりの年月をかけて、経営のあやうい学科から、順次4年生大学の一部として再編する形で、短大部門を廃止していったのである。比較的人気のあった学科でも、最終的に追随することになった。
4年制の大学のほうは、非常に早く共学化していたので(出発時は女子大だった)、比較的スムーズに短大の受け入れが可能だった。そういう意味では、現在女子大が直面している状況よりは、かなり有利に対応できたといえる。
現在の女子大は、女子大として生き残るか、あるいは共学化する以外の道はなく、その2者択一になる。私は、ごく一部の女子大以外は、女子大としては生き残れないと感じている。その証拠に、名門中の名門女子大で、かつては難関大学だった女子大のほとんどが、偏差値の大きな低下が現実で、名門の栄光は影を潜めているといえるだろう。しかし、名門だけに、共学化への抵抗感が、教職員と同窓生に強いのも事実だろう。なんといっても、女子に限れば応募可能高校生は半分になってしまうのだから、答えは明白なのだ。
できるだけすみやかに共学化できるかどうかが、多くの女子大の存続を決めるのではないだろうか。そして、団塊ジュニアの子どもたちによって多少若年人口が増えているこの5年間こそが、存続の可否を左右するだろう。