最近は、皇位継承問題は、youtubeはともかく、あまり表面的には議論さていないのかも知れないが、問題はまったく解決されることなく推移している。そして、意見は極めて対立の幅が大きい。小泉内閣が、皇室典範の改正を準備し、ほぼそれが通りそうになったときに、秋篠宮妃が妊娠し、男子を身ごもっていることが明らかにされて、皇室典範の改正が完全に頓挫したことは、40代以上のひとならば、覚えているひとも多いだろう。最近では、ほぼ広く認識されていることだが、かの妊娠は意図的なものであり、最新の医学を使って男子を出産させた、つまり、皇室典範の改正を潰すためのもっとも有効な手段がとられたわけである。しかし、男系男子派にとっては、それは問題のもっともよい解決であったのだろうが、そうでないひとたちにとっては、問題を混迷させたに過ぎないし、現在では、その混迷はさらに深くなっている。
この問題は、実は、血統内の問題である側面と、実は血と能力という問題とが絡んでいることで複雑になっている。現在でもロングランとなっている「国宝」は血と能力の相剋を描いたことで、普遍的な問題を扱っており、そのことが、極めて多くのひとに訴えるものがあったから、これだけ多くの観客を獲得し続けているのだろう。
現天皇家も秋篠宮家も、上皇の血統(最近はこれに対して大きな疑念が生じているが、ここでは問わない)であるが、現皇室典範では男系男子主義になっているので、天皇に男の子がいないことによって、血統の争いという側面が生じている。しかし、多くの国民が愛子天皇を望んでいるのは、秋篠宮や悠仁親王の行状や人柄、そして、とくに外交面での能力に対する不安視があり、天皇や皇后、愛子内親王の公務や外交面での高い識見が対比されて、愛子天皇渇望論が生じているわけである。
現代の民主主義国家において、そもそも王室の存在が許されるのかという議論はあるが、その議論をおいて、許される前提にたつとしても、憲法が、天皇は国民の創意に基づくという規定が意味するものは、やはり、天皇が、その地位にふさわしい品格と能力をもっていることが、必須条件となっている、また、そうでなければ、国民の支持をえられないことを意味しているし、また、そういう国民感情が形成されているとみるべきだろう。
その点、悠仁親王の幼稚園から高校、大学への入学・進学に際して、国民に対してみせた事実は、天皇となるにふさわしい品格と能力をもっているか、という疑問を生じさせるのに、充分な事実を提供していた。これは、そもそも先天的な資質によるものなのか、あるいは、うけてきた教育によるものかは、正確には誰にもわからないだろう。ただ、現天皇が、将来天皇になるための厳正な教育をうけ、天皇自身、その自覚を強くもって、さまざまなことに対処してきたことは、よく知られている。
他方、秋篠宮は天皇になることはないという予測の下に、厳正な教育ではなく、自由な教育(放置というべきか)をうけてきたといわれている。そのことによる弊害が、とくに、真子内親王の結婚問題あたりから、急速に表面化してきた。あくまで表面化してきたのであって、結婚問題によって生じたわけではない。以前から、皇室外交の面での失態は、多くの機会に指摘されてきたのである。そうして、皇位が秋篠宮家に移ることに、多くの疑問が生じているのが現在であろう。
結局、天皇とは、血統によって存続している存在であるが、現在では、天皇にふさわしい資質をもっていないと、国民に支持されないという、非常に困難な条件が突きつけられていることになる。ただ、現天皇や皇后、愛子内親王が、厳正な教育によって、そうした資質が形成されたことが事実であれば、皇位継承資格をもったひとには、すべて「厳正な教育」を施せば、問題は生じないことになる。しかし、教育学者としては、教育がそれほど確実な成果をもたらすものではなく、逆の効果をもたらすこともあるといわざるをえないのである。
血統を前提としながら、能力や資質が求められるという矛盾は、民主主義社会においては、やはり、解決困難な問題であるといわざるをえない。皇室制度の存続そのものがあやうくなるか、あるいは、皇位継承資格者のなかから、もっとも適切なひとを選ぶという制度になるのか。もし、このまま秋篠宮家に皇位が移れば、かなりの混乱が生じることは、あきらかだろう。