プロ野球の巨人がもめている。内部的にはもめていないかも知れないが、ファンたちの間ではかなりの騒動になっているようだ。それは、1軍打撃コーチの二岡、二軍監督の桑田、そして3軍の駒田という3人の指導者たちが、解任されたことであり、更には、優勝を逃した最大の責任者である阿部監督がそのままであるということも関係しているといえる。とくに、桑田と阿部の関係が取り沙汰され、桑田を解任したことは、巨人の将来にとってマイナスという見解が、OBたちには多いようだ。そして、先日山口オーナーが、桑田にはフロントのポストを用意したのに断られた、などと釈明したことが、油に火を注いだ感じになっている。
つまり、このいわば外野の憤慨は、ポストを用意したのは、やめさせるための口実つくりという非難も含めて、とにかく、理論派桑田を惜しむ声が大きな根拠になっている。しかし、それに対して、まったく違う見解もある。それは、阿部はあと一年契約が残っているから解任はできない。しかし、このままでは来年も優勝などできないだろう。その場合解任はさけられないが、その際、今回解任した3名を現在の時点で辞めさせておけば、ある意味無傷のままの退任となり、来年復帰が容易になる、そのための3者の解任だったというのである。
真相は藪の中だが、少しこの処遇から離れて、今回の騒動の背景にある阿部と桑田の指導方針の違いについて考えてみたいことがある。周知のように、阿部は旧い精神主義的な猛練習派であり、トップダウン的な方針を貫徹しようとする人であるのに対して、桑田は、個々人の能力や適性を見極め、それに応じた練習法を、本人も納得の上で採用するというもののようだ。桑田自身、極めて才能があり、かつ努力家で一流選手であったわけだから、自分の練習法を身につけていたし、それに確信をもっているだろう。そういう人にありがちの、自分のやり方を若手に押しつけるというのではなく、それぞれの個性にあった練習法をとりいれるという、非常に稀な優れた指導者といえる。選手生活をおえてから、早稲田や東大の大学院で科学的なトレーニング法を研究したということも、そうした姿勢に結びついているという。
私が気になって、この文章を書こうと思ったのは、阿部のようなやり方が従来の巨人的なスタイルで、桑田はとても新しい方法を導入しようとしており、それが旧い勢力に受け入れられなかったというような解釈が、けっこう多いことである。本当にそうだったのか。
私が、まだ野球に極めて興味があり、試合を球場にいってみていたのは、巨人の長嶋加入からV9時代くらいまでだった。V9というのは、今後絶対に達成不可能な偉業だが、それを成しとげたのには、さまざまな理由があると思うが、私は、もっとも重要なことは、川上がとった理論的な指導と作戦だったと思っている。監督だった川上は、主要な作戦は、ヘッドコーチの牧野にまかせ、バッティングや投手の指導はそれぞれのコーチにまかせていた。牧野は、巨人の選手だったわけではないが、牧野の書く試合の理論的分析に、川上が感心して、巨人に招き、信頼の度合いを示すために、墓を一緒にするように作ったと言われていたと記憶する。極端な形ではあるが、個性にあった指導をするという例として、伸び悩んでいた王に、専門のコーチ(荒川)をつけて、数年間指導を任せて、実現したのが一本足打法だった。牧野の非常に合理的な作戦の一例として私が記憶しているのは、当時、全盛期だった江夏の攻略法だ。とにかく、江夏の速球をどうしても打てない状況を打破するために、牧野がとった方法が2つある。(それ以外にもあったろうが、私が記憶しているのは2つ)
ひとつは、江夏の速球になれるために、バッティングマシンを近くにおいて打ち込みをすること。これは、単純なアイデアだが、当時の普通の練習法ではなかった。もうひとつは、江夏が肥満気味だったことを利用した作戦である。それは、打者が、前半はバントをするようにみせかけることを執拗に行うという手だ。バントをすれば、当然投手は処理をするために、走ってマウンドをおりてくる。もし、江夏がバント対策をしなければ、実際にバントして、無理にも処理させる。それを何度も何度も繰りかえしていくうちに、江夏といえども疲れてきて、球の威力が後半になると落ちてくる。そうすると、強打者がそろっているわけだから、さすがの江夏も打たれるというわけである。
牧野は、そうしたさまざまな局面で作戦を考えだし、それが極めて合理的だった。そして、個性にあった指導による最大の成果が王だった。
つまり、巨人の伝統が精神主義ではなく、もっとも強かった時代の伝統は、合理主義、理論的だったということだ。巨人が復活するためには、やはり理論派の指導者必要であろう。