IOCバッハ会長の呆れた言葉 (訂正版)

 森委員長とバッハ会長の電話会談が行われ、開催することが一致したという。しかし、30分の予定が1時間かかったということで、やはり、中止の可能性について話がでたのではないかという憶測を呼んでいる。
 私が驚いたのは、バッハ会長の発言のなかに、「日本人に忍耐を求める」という言葉があったことだ。国民が忍耐をしなければらないうような大会であることを、会長、つまりトップが要請しているということだ。一連の最近の流れをみれば、IOCがどうしても開催したいのは、結局テレビ放映権料を得たいということではないかとしか、考えられない。そう思っているひとは、たくさんいるようだ。他方、日本政府や東京都がやりたいのは、インバウンドによる経済効果を求めているからだろう。しかし、現在の状況では、無観客でやるという雰囲気作りが行われている。無観客ということは、コロナが終息していないことを意味するわけだから、外国人を禁止するのが妥当だろう。そうすると、日本政府や関係者か期待する経済効果は、ほとんど望めないことにる。NHKの企業対象のアンケートによると、6割が開催すべきであるとして、理由は経済効果である。経済効果をあげるためには、外国人の来日を許容する、あるいは奨励するしかない。それは、コロナが終息していないという前提なのだから、感染が再爆発する可能性が高い。

 IOCのために、無観客で放映権料を保障すれば、日本の経済効果はなくなる。
 そういう事態になったとしても、日本人は耐えてくれというのが、バッハ会長の言葉の意味なのだろうか。
 
 youtubeで高橋洋一氏のオリンピックに関する説明をきいた。高橋氏は、菅内閣の重要なアドバイザーだから、見過ごすことができない乱暴な話がされている。
 オリンピックに反対する人たちは、ただ反対して騒ぎたいだけだというのだ。そして、ワクチンができるから、開催できるに決まっているというように話している。こういう人が、政府の重要アドバイザーなのだ。
 多くの国民が反対しているのは、ワクチンが効果を発揮する程度に普及することは、ほとんど考えられないとされており、そういうなかで開催すれば、コロナの再感染が起きること、現在の状況では、予選や大会運営の準備(実際にプレ大会をやって、機器類なども含めて、運用のチェックをする必要がある)が間に合わないこと、大会を支えるボランティアや審判が集まらない可能性が非常に高いこと、等々の、実際的な困難を理解していることであり、更に、オリンピックそのものに対する反感がある。
 酷暑のなかで、様々な場面で支えるボランティアには、一切謝礼を出さず、また1万人必要とする医師たちも無報酬であるのに、組織委員会の委員たちは、最高月額200万もの報酬をえているという、この差別に怒っているのである。つまり、オリンピックというのは、単なる利権のために行われていることへの反対もあるのである。
 高橋氏は、ワクチンがあるから開催は可能だといっているに過ぎず、そもそも、日本にどのようなメリットがあるのか、説明していない。企業が期待している経済的利益は、期待できない可能性が高いのである。そして、コロナの再感染の可能性というデメリットは明確にある。
 
 日本人は、なぜ「忍耐」を求められても、オリンピックを受けいれなければならないのか。オリンピックは、国民に「夢」を与えるものではなかったのか。
 
訂正
 朝日新聞の記事によって、上記ブログを書いたが、その後、朝日の訳文が間違っているというツイッターがあった。英文を参照すると、確かに、日本人に辛抱せよ、といったのではないことがわかった。さまざまなオリンピック関係団体に対して、辛抱と理解をお願いしているという内容だった。
From these consultations, we can conclude that it is too early to tell which of the many COVID countermeasures will finally be the appropriate ones when it comes to the time of the Games. We just have to ask for patience and understanding – from the athletes, from the National Olympic Committees, the International Federations, the Japanese people, the Organising Committee, everybody.”
 まだ正式に決めるには早いので、もう少し待ってほしいという趣旨であることがわかる。したがって、バッハ会長の部分については、撤回する。高橋洋一氏の部分については、撤回の必要はないと思う。
 ただし、バッハ会長の談話について、開催できるかどうかという観点での決定を想定していると思われるが、日本国民が気にしているのは、開催された場合のコロナ感染の増大である。そういう意味で、ここに書かれている他の組織と、日本国民は意識がまったくことなる。その点についてのバッハ会長の意識については、やはり、疑問である。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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