読書ノート『戦争と平和』トルストイ3

 男性の主要人物として、2番目に重要なのがアンドレイ公爵である。アンドレイは、トルストイ自身の理性的で勇敢な部分を描いていると言われている。アンドレイは、二度の戦争に参加して、多くの貴族たちとは異なって、実際の戦闘場面に配属されることを望んでいる。トルストイ自身も、セバストポリの戦闘で勇敢に闘ったとされており、当時既にいくつかの小説を発表して、優れた才能を示していたのだが、その小説を読んだニコライ二世が、危険な戦場から離すように命令をしたという逸話が残っている。もちろん、大作家であり、平和のための理論家であったトルストイは、極めて知性の高い人物だった。そういう側面をアンドレイ公爵という人物に託したことになる。
 ところが、非常に理性的であるといっても、理解しがたい行動をいくつかとっている。特に妻(リーザ)と婚約者(ナターシャ)に対する態度は、多くの読者は共感できないのではないだろうか。

 ナポレオンとの戦争が避けられなくなった1805年、アンドレイは軍隊に入り、ヨーロッパ戦線に赴く。これは、父のボルコンスキー公爵自身が、有名な軍人だったので、自然なことだった。しかし、アンドレイ夫婦は、当時セントペテルブルクに住んでおり、リーザは典型的な社交界に生きる女性だったし、そこに多くの友人がいた。しかし、アンドレイは、リーザに強制的に、父のボルコンスキーと妹マリアが住む禿山に移るように指示して、嫌がるリーザを、田舎につれてきて、戦場に出かけるのである。リーザは出産を控えており、十分な医療を保障されるかどうか、不安に思っている。モスクワから医者を呼べばよい、とアンドレイは考え、父に頼むが、実際にモスクワの医者が到着したのは、陣痛が始まってからで、結局、リーザは出産のときにそのまま死んでしまうのである。意識がなくなっているリーザの顔をみながら、アンドレイは、妻が「私が何か悪いことをしたの?」と語っているように感じる。後悔したのだろうが、死後の後悔は、何の役にも絶たない。
 アンドレイとリーザがどのように結ばれるのかは、まったく書かれていない。『戦争と平和』の出だしの社交界に、ふたりとも出席しているのだが、そのときから、リーザをまわりに不安を述べ立て、屋敷に帰ったあとも、ピエールがいるにもかかわらず、散々不満を述べ立て、アンドレイに厳しく叱られてしまう。このあと、アンドレイとピエールは、食堂で話すのだが、アンドレイはピエールに対して、絶対に結婚してはいけないと強く主張するのである。怖いアンドレイの父親との生活による、ストレスが影響したことは十分に考えられる。
 このように、最初の妊娠のときから、お互いの感情が離れているのだから、結婚のいきさつにどうしても疑念が湧いてしまう。
 ピエール最初の社交界からの場面で、アンドレイ宅にいったが、そこでふたりはいろいろと語り合う。そのとき、アンドレイはさかんに、ピエールに対して、結婚などというものをするな、と忠告までしているのである。
 ナターシャとの関係も、友人なら、酷いのではないか、と忠告するようなものだ。
 戦争における負傷、帰宅後の妻の死という悲劇に見舞われて、虚無的な生活をしているが、突然、セントペテルブルクに出て、政治活動に参加する。当時の最大の実力者であるスペランスキーとともに改革に乗り出すのだが、これも結局失敗してしまう。そうしたときに、舞踏会でナターシャと出会い、やがて結婚を申し込む。しかし、ナターシャは、貴族ではあるが、浪費型の父親のために、財産を傾けてしまっていることもあり、アンドレイの父がナターシャとの結婚に猛反対をする。当然、アンドレイは既に独立した貴族なのだから、父の反対を押し切ることもできるが、結婚を一年延ばし、その間、アンドレイは外国に療養に出かけてしまう。しかも、その間、ナターシャは自由であると宣言し、婚約を公表もしないで出かけてしまうのである。だから、ふたりが婚約関係にあることは、ごく一部の家族しか知らない。そして、モラルのかけらもない、ピエールの妻エレンの弟であるアナトーリが、ナターシャに猛アタックをかけ、アンドレイとの関係に不安を感じていたナターシャは、駆け落ちに同意してしまう。ドーロホフとアナトーリが連れ出しにくるときに、あわやというところで、ナターシャがそのとき居住していた家の女主人マリア・ドミトリエヴナが、防ぐ。そして、ナターシャは既に婚約破棄の手紙をアンドレイに送っていて、この婚約は、成就されないことになってしまうのである。
 ちなみに、この部分は、アメリカ映画では、原作と違って、ピエールが防ぐことなになっている。防いで、すぐに、自分が自由の身なら、と愛の告白をするのだが、原作では、ナターシャが砒素を飲んで自殺未遂をして、寝込んだあとだ。アメリカ映画だと、駆け落ちを防ぎ、すぐに愛の告白をするという点での劇的効果はあるが、その後のナターシャの自殺未遂や精神疾患は浮き彫りにならない。
 婚約が破棄されたアンドレイは、ふたたび、戦争に出かける。
 ボロジノの戦闘で、致命的な負傷をしたアンドレイは、高級将校だから手厚く扱われ、モスクワに至って、更に脱出するときに、偶然にもロストフ家の列に入ることになる。そして、やがて落ち着いた先で、ナターシャの献身的な介護を受けるが、その甲斐もなく死んでしまう。死にいたる経過の描写は、死とはこんなものなのか、と思わせるようなものだ。もちろん、本当にそうかどうかはわからないわけだが、トルストイは、死に直面した人の精神の描写が、特に優れている作家だ。『イワン・イリッチの死』は、ほとんどが、死にゆくイリッチの精神の描写である。
 結局、ピエールは幾多の変遷をへて、平凡な幸福を手に入れるのであるが、アンドレイは、常に危険なところに身をおいて、最後死んでしまう。しかも、自分が作戦参謀などの地位にいようと思えば、そして、クトゥーゾフに、自分の身近にいてほしいと望まれたにもかかわらず、それを辞退して、危地に赴く。農民を愛そうとしたピエールは、さっぱり領地経営がうまくいかないが、アンドレイは、農民に熱い思いなどないのに、そして、厳しく農民に接しているのに、ピエールが実現しようとしたことを、結果として実現してしまう。理性や知性が、平時の経営にはうまくいくが、戦時にはそうではないということを、トルストイは描こうとしたのだろうか。アンドレイは、私には、うまく理解できない人物である。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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