読書ノート『戦争と平和』トルストイ1

 前に、ソ連版映画『戦争と平和』の感想を書いたが、あの時期をはさんで、小説そのものも読み返していた。そして、最近読み終えた。たぶん5度目くらいになる。若いころ、読み始めたときに、『戦争と平和』は、人生の節目に、何度か読み直すとよい、と言われたが、確かにそう思う。今回は、ゆっくり、じっくり読もうと思って、少しずつ進み、時間をかけたので、これまで読みとばしていた部分をずいぶん意識し、また、そういうところに面白さが隠れていることがわかった。また前回までは、辟易していた、そして、アマゾンのレビューでも多くの人が指摘している、トルストイ独自の戦争論の部分も、じっくり読んでみた。
 トルストイの戦争論の部分は、ほとんどの人が、訳わからないという感想をもつ部分だし、また、繰り返しが多く、正直、私も辟易するものを感じる。しかし、また、トルストイは、ここが本当に書きたかったのだろうなあとも思うのである。もしかしたら、トルストイは歴史学者になりたかったのだろうかなどと思ったりもする。それほど熱がはいっている。
 ただ、主張していることは、比較的単純である。それは、戦争が起きる原因は、英雄とか、国家の指導者とか、思想家とか、戦略家とか、そういう影響力のある人物が、命令したり、そうするのがよいと働きかけて、それに兵士たちが、動かされて戦争が起きるのではない。実際に、ナポレオンが命じたことなどは、実はほとんど実行されなかったのだというのである。では、何が、戦争を、または、戦争にむけて兵士たちが移動していくことを引き起こすのか。それは、民衆一人一人が、何かにかられて動いていく、そのなかには、確かに政治指導者の意志もあるだろうが、そういう個々の力の総体として、また偶然なども重なって、戦争が起きるのだというのである。しかし、トルストイの「論文」のような文章を読んでも、ああなるほど、と納得のいく人は、ほとんどいないに違いない。個々の民衆の意志の総体といっても、それは言葉の遊びのようにも見える。

 60万とも90万とも言われるナポレオンの率いる軍隊が、ロシアの国境を超えるにあたっては、やはり、ナポレオンの命令がなければなされなかったのではないか。また、ナポレオンがモスクワ入りする前に行われたボロジノの闘いでも、やはり、ナポレオンとクトゥーゾフの戦闘を行うという命令がなければ、ボロジノの闘いは起きなかったように思うのである。ただし、トルストイが詳細に検討した、ボロジノの闘いで、ナポレオンとクトゥーゾフのだした具体的命令が、実はほとんど実行などされずに、それぞれ個々の連隊の事情で不可抗力的な形で戦闘が行われたというのは、確かにそうなのだろう。
 脇道にそれるが、ボロジノの闘いで、主人公の一人であるアントレイ公爵が負傷し、結局その後死亡するのだが、このボロジノの闘いにおけるアンドレイ公爵の扱いは、あまりに素っ気なく、トルストイがなぜこんな形での負傷にしたのか、よくわからない。アンドレイは、二度戦争に参加するのだが、いずれも重傷を負い、二度目に死んでしまうことになる。最初のアウステルリッツの闘いでは、劣勢の味方を鼓舞するために、自ら旗をもって兵隊たちの先頭をきって攻めていき、そこで負傷する。しかも、負傷して横たわっているアンドレイを、戦場の点検のために通りかかったナポレオンが、見事な負傷だといって、捕虜にして手厚く介護してやれと命令するということになっている。そして、傷が癒えて帰宅すると、妻のリーザが出産するところで、しかも、難産の結果死んでしまう。つまり、かなり劇的な内容を含んでいるのだが、ボロジノの闘いでは、アンドレイ公爵の率いる連隊は、予備隊となって、まったく闘わず待機している。しかし、大砲は富んでくるから、次第に人数が減り、そして、アンドレイも流れ砲にあたって、重傷を負ってしまうのである。だから、長いボロジノの闘いの叙述のなかで、アンドレイの扱いは、ごくわずかしかない。むしろ、負傷してからが、いろいろなことが続く。なかでも、婚約者ナターシャを誘惑して、婚約破棄の原因となったアナトリイと、負傷して運び込まれた場所で偶然一緒になり、苦しんでいるアナトリイを複雑な目で見ることになる。明示されてはいないが、アナトリイはここで死亡するのだろう。
 元に戻る。
 軍隊の指導者の思惑で戦争がなされるのではないという、トルストイの命題は、当然ナポレオンとロシアの司令官のクトゥーゾフの描き方にも影響を与えている。ナポレオンは、実際の事実の創造主であったわけでもないのに、まるでそのように思い込んでいた俗物として描かれ、徹頭徹尾つまらない人間になっている。むしろ、運命を支配しているのに、翻弄されている人間である。それに対して、クトゥーゾフは、民衆が引き起こす総体としての流れを理解していたが故に、無駄なことをせず、流れに任せたがゆえに、最終的な勝利を得た。しかも、そうしたクトゥーゾフの考えにもかかわらず、それを理解しない将軍たちの、さまざまな建言のために、しかも、ほとんどはクトゥーゾフが禁じているにもかかわらず、多くの無駄な戦闘が、フランス軍の退却時にも行われ、それがロシア軍に無駄な被害を生んだとする。しかも、ロシア皇帝アレクサンドルも、クトゥーゾフを理解せず、ナポレオンをロシアから追い出したあと、彼を罷免し、自ら、フランス軍を追討するために、ロシア軍を率いて、ヨーロッパに攻めていった。そして、理解されないままに、クトゥーゾフは死んだと書かれている。ここらは、多少史実とは違うようだ。
 歴史書といわれるものは、クトゥーゾフが敗走するナポレオンの軍隊に攻撃をしかけ、フランス軍を徹底的に痛めつけたことになっている。
 トルストイは、戦争が起きる原因について、かなり多数の歴史家の叙述を批判する形で論を構成している。しかし、歴史家は、個々の民衆を登場させるわけにはいかない。なぜなら、個々の民衆の記録などは、ほとんど残っていないし、しかし、一人一人の民衆や兵士は、事態を大きく変更させる力をもっているわけではなく、結局、流れに乗っているものとしか、描きようがないだろう。そうした見方に反対の具体例をあげる意味で、トルストイは、小説を書いたのだろう。小説ならば、プラトン・カラターエフのように、リアリティを感じさせる人物として、平凡な農民であるのに、まわりに影響力を発揮させることができる。砲兵のトゥーシンや騎兵のディニーソフなどもそうだろう。戦場から離脱してしまうニコライなども、意志をもった兵士である。そういう個々の民衆や兵士の動きを描くことで、トルストイは自身の歴史観を表現する手段をもった。
 しかし、日本の代表的な歴史小説家である司馬遼太郎は、民衆が主体的に生きて、歴史にかかわっているという描き方をしない。民衆や兵士は、名前をもたない形で登場する。しかし、トルストイは、ほとんどの例外なく、どんなにつまらない役割をしかしなくても、名前を付与して登場する。そういう意味で司馬遼太郎は、英雄史観で歴史を書いている。だから、合戦は、大名たちの力量の差として描かれる。
 戦国時代のような下克上の時代には、大名やいわゆる名前のある者だけが、状況を動かしていたわけではないだろう。司馬歴史小説と比較すると、『戦争と平和』のユニークさがよくわかる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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