旗本の転落の後半だが、前回の女問題ではなく、今回御家相続に関わる犯罪である。武士は、「家」が最大の課題であり、家の継続が至上命題になる。武士にとっての家は、単なる家族の集合体ではなく、経済単位であり、「家」そのものが生活の糧だった。家が存続している限り、生活は保障されていたわけである。家族が収入源の仕事をもつことによって、家族の生活が成り立つ現代とは、根本的に異なる。だから、家が大きな領主で、家臣がたくさんいれば、「家」が処罰されて取り潰されたり、あるいは、相続者がいなくて断絶したりすると、領主の家族だけではなく、家臣の家族全体の生活の糧が失われることになる。現代でいえば、会社の倒産にあたる。当然、誰が跡目を継ぐかという争いが生じる。自分の子どもや跡目にしようと企む者もいる一方、邪魔者を除こうとする者もいる。男子がいなければ家を存続させることはできないから、妾をもつことが当然とされ、その一族の争いも生じる。江戸時代を通じて、相続者がいないためにつぶされた大名だけでも、59家あったそうだ。旗本や陪審を含めれば相当な数になるだろう。
鬼平犯科帳は、犯罪の主体が町人であるから、大名は対象になっていないが、希に、旗本の犯罪が扱われる。跡目相続に関係する話はふたつある。まず「毒」である。
「毒」のあらすじ
陰陽師の山口天竜の財布を、伊太郎が掏るのを目撃した平蔵が、伊太郎を追いかけて捕まえ、財布をとりあげると、30両と笹竜胆の紋入りの布に、白い粉を包んだ紙袋が出てくる。伊太郎を役宅に引き立て、佐嶋与力に、粉の鑑定を井上立泉医師にしてもらうように命じ、南蛮渡来の毒であることが判明する。天竜を見張ると、5000石の旗本土屋左京の屋敷に出入りしていることがわかり、また、無くした毒を再度入手することを予測した平蔵が、伊太郎を使って、天竜から毒を受け取った土屋の家臣から掏らせる。掏られたことに気付いた家臣に近づいていって、平蔵は薬をみせて、自分の身分を名乗り、ご用があれば、役宅にくるようにいう。すると、土屋の家老が口止め工作に300両をもってきたので、土屋左京の関与がはっきりしたとして、お上に報告すると伝える。平蔵の関わりはここまでだが、後に、土屋左京は急死し、家が取りつぶされたことを知る。
筋は以上で、比較的探索も順調に進むのだが、裏の事実はわからず、対応も平蔵はできない。「後味の悪い事件」と平蔵は感じる。
物語では、土屋が何故急死したのか、また、家が取り潰されたのか書かれていない。
土屋家の側で、左京が死んだことにして、取り潰しを逃れようとしたのか、あるいは、幕府が左京を切腹させ、家を取り潰したのか。また罪状が、密貿易を疑われたのか、将軍家、あるいは有力大名な誰かの殺害を図ったからなのか。
ある意味順調に探索が進んだ事件であるが、しかし、大身旗本の関わりもあり、ひとつ間違えたら切腹という危険があり、小林与力と酒井同心に、捜索は町奉行にまかせようかと意見をきいてみるが、「掏摸から発したのだから、やるべき」と二人がいい、(原作では佐嶋与力一人)「命懸けだぞ」という平蔵に対して「いつものことです」と何事もないかのように答える二人。
事件の背景は結局わからないままだが、平蔵の予測が語られる。
将軍の側に使える土屋左京が、やったことかはわからないとしながら、将軍にたくさんの妻妾がおり、たくさんの子どもが生まれているが、いつのまにか、そうした子どもや母親がいなくなったりするのだそうだ、と妻の久栄に語るのである。これは、他のドラマにも出てくる話であり、正確なことは、もちろん闇の中だが、ありそうな話として、語られていたのだろう。大河ドラマの「篤姫」でも、夫で将軍の家定が、兄弟が何人も殺されていること、自分も危ないので、腑抜けを装っていることを語る場面がある。(しかし、ひとつの説として、将軍の子どもたちが病弱だったり、早死にする例が多いのは、江戸城にいる女性たちが、白粉を大量に使う風習があったが、当時の白粉には鉛の成分が含まれており、鉛中毒によるものだというのがある。つまり陰謀めいたことは、言われるほどではないということだが、真偽はわからない。)
また、原作には、平蔵自身が、毒を盛られる場面が2度出てくる。
鬼火のあらすじ「毒」は、原作とドラマの差がほとんどないが、「鬼火」は、文庫一冊分の特別長編であり、スペシャル版ではあっても、ドラマ一回分には収まりきらないので、ドラマのほうはかなりの省略があり、更に異なる場面も少なくない。原作は、次々に事件が起き、しかも、複雑な展開をするので、できるだけ簡潔に原作で筋を整理しておく。
従兄弟の三沢仙右衛門から、りっぱな武士が「丹後守さまが亡くなられた」と亭主に語ったという話に興味をもって、駒込の権兵衛酒屋によった時、襲撃があり、平蔵が浪人ひとりを切り、「火付け盗賊改め」と名乗ると居酒屋亭主の弥一は逃走し、傷ついた弥一の妻お浜と浪人を捕らえられる。浪人は「よ・し・の」といって獄中で死に、お浜は、自害する。お浜の素性を知っているという勘蔵に、平蔵が聞き込みをしたあと、勘蔵も殺害される。同じ頃、平蔵も駕籠に乗っているときに、4人の浪人に襲われ、九死に一生をえる。権兵衛酒屋には、その後同心や密偵が常駐する。りっぱな武士が現れるのもを待っていたのが、やってきたので五郎蔵が跡をつけ清水家の者であることをつきとめる。役宅にそれを知らせる途中五郎蔵は襲われ、偶然に平蔵の道場友達の井関録之助に助けられる。そのころ、岡場所のおよねの客が、平蔵暗殺の話をしているので、通報された平蔵の友人の旗本が、家来に尾行させ、居酒屋に居候していることを確かめる。平蔵はその後その浪人高橋に会い、協力を約束させる。録之助が清水家の当主と友人なので、話にいかせると、居酒屋にきた父親三斎が悩んでいるらしいことを知る。そこで、三斎の若いころに親友だった永井弥一郎が、突然出奔したのだが、偶然権兵衛酒屋の弥一としてみかけたので、後日居酒屋に行くが、話をしてくれないのだとわかる。永井家では、渡辺丹波守の助力で次男の伊織が家を継いだ。
その頃盗賊の押し込みが発生する。被害は中屋幸助薬種問屋。また高橋が役宅に現れ、平蔵殺害の依頼に関する相談をする。その後、中屋に永井伊織、かつて渡辺丹波守が出入り先となっていることが判明する。
平蔵が権兵衛酒屋にいき、その帰途、高橋に襲撃され、偽装で切られる。死んだことにするため、平蔵は笹やのお熊のところに滞在する。探索によって、高橋と一緒に平蔵を襲った浪人たちが、渡辺丹後守の下屋敷に逃げ込んだこと、また、京極備前守から、永井伊織が渡辺丹後守の子どもであることを聞かされる。密偵たちが、渡辺下屋敷から、吉野道伯という医師がでてきたことを見つける。そして、吉野が渡辺丹後守の腹違いの弟と知る。
中屋以外の丹波守出入りの商家が以前襲われていたことがわかり、次の押し込み先の可能性を探ることになる。また、吉野の別邸に、浪人が集まっていることを発見する。そして、次の押し込み先が加賀屋であることをつきとめ、現場をおさえて逮捕した。そして、かなり経ったあと、弥一がお浜の墓にきたところ逮捕された。息子の伊織を当主にさせたい渡辺丹波守が、吉野道伯に相談し、吉野が、弥一郎に女族のお絹を近づけ、弥一郎を追い落とすことに成功したことがわかる。吉野は、盗賊と結託しており、渡辺にも協力を強要していた。弥一郎は、盗賊と関わりをもったが、彼が盗賊から足を洗ったとき、お浜を引き合わされ、その後一緒に権兵衛酒屋を経営していたのである。お浜は、伊織の実の母親であった。
権兵衛酒屋が襲われたのは、いまも吉野とついている一味が、弥一をみかけ、協力を迫ったのに断ったからであった。渡辺、永井家は取りつぶしになり、弥一郎は処刑される。平蔵、佐嶋、井関、高橋の4人がお浜のお墓参りをしていると、鬼火がみえた。
原作は推理もの、ドラマは人間臭
骨格だけのあらすじでも、これだけになる。時間も関係もあるだろうが、ドラマでは、かなりの要素が削除されている。清水親子、勘蔵、井関などは登場しないし、五郎蔵が襲われる話や、同心や密偵たちの探索などもかなり省略され、ドラマでは、平蔵が高橋を偽の殺害をし、その後高橋は盗賊たちを逮捕する部隊にやってきて、平蔵を襲うことに同伴した大野を切り捨てる。原作では、平蔵が偽で殺害したあと、高橋は証拠隠滅のために襲われ、怪我をして役宅に匿われる。平蔵は、しばら死んだことになっていて、虚無僧姿であちこち探索をする。ドラマでは平蔵の虚無僧姿もない。弥一とお浜が関わった盗賊は登場しない。
また、原作に登場しないのに、ドラマでは登場する人物もある。渡辺丹後守、永井伊織、吉野道伯は原作では名前だけだが、ドラマでは登場する。
そして、原作とドラマが大きく違っている部分が少なからずある。
・最初に権兵衛酒屋が襲撃されるときに、ドラマでは、弥一が「渡辺丹後守のさしがねか」と叫ぶので、平蔵は最初から渡辺を疑い、捜査する。しかし、原作では、何故襲われたかがなかなかわからず、渡辺丹後守の関与は、かなり後ろのほうで判明する。
・ドラマでは、襲われた権兵衛酒屋で、弥一とお浜は一緒に逃げ、隠れ済んでいる。弥一はお浜に知り合いの寺に匿ってもらえというが、お浜は分かれられないと拒否していると、そこも襲われて弥一は死亡し、お浜は逃れる。伊織の行列を見入っているところを、おまさに見つかり、役宅に保護されるが、死亡する。原作では、逃げるのは弥一だけで、弥一はそのご行方不明であり、事件がすべて片づいたあと、かなり経ってから逮捕される。
・ドラマでは、永井家は取りつぶしにはならない。
・お浜への墓参りは、平蔵とおまさになっている。
・年齢が大分違っていて、原作では、渡辺丹後守は高齢で死亡しており、永井伊織は40歳、弥一とお浜は60代である。ドラマでは、渡辺丹後守がおそらく40代、永井伊織が20代、弥一とお浜は40代くらいにみえる。つまり、親子世代分若くなっている。吉野道伯は渡辺丹後守の弟のはずであるが、ドラマでは、親世代の感じであり、親類関係はないように描かれている。単に弥一郎を陥れる策を頼んだだけということだろうか。
・お浜が永井伊織の母であることは、原作では、弥一が捕まって白状するのだが、ドラマでは、平蔵がどこかで調べたのか、瀕死の床にあるお浜自身に語ってきかせ、事実かを確認するのだが、お浜はそれを否定してまま亡くなるのである。
正直なところ、「鬼火」は原作のほうがずっと面白いし、話の展開が巧みで、直接登場しないからこそ、逆に旗本たちの「堕落」が見事に浮き彫りにされている。平蔵が、旗本の不正を捜査するのは、権限を超えているが、京極備前守の許しをえて、切腹覚悟で少しずつ真相に迫っていく。そして、平蔵が直接追っているのは、あくまでも押し込みをする盗賊たちであるが、盗賊たちの活動を支えているのが、渡辺や吉野であることを突き止めていく。
「毒」とは異なって「鬼火」は、御家騒動になる前に計略で「相手」を陥れる。そして、養子にやった我が子を、本来なれないはずの当主におさめてしまうわけである。そのとき計略を依頼した弟が、盗賊と関係をもっていて、逆に渡辺自身が吉野に利用される関係になるところが、皮肉なのだが、渡辺丹後守自身は死んでしまい、その報いを渡辺家を継いだ子どもが受けることになる。
原作では、永井伊織も御家断絶になるわけだが、現代人からみれば、気の毒な感じがしないでもない。本人は、何もしていないし、また、様々な事情を知らないだろう。ドラマはそのためか、何らおとがめなしになっているのは、いかにも日本のテレビドラマ的改変だろう。それは、最初の権兵衛酒屋の襲撃で、弥一とお浜がともに逃げて、しばらくの間隠れ住む、そして、私が伊織のことを諦めれば、夫婦になれるのか、とお浜が弥一に迫る場面がある。弥一は過去をかえることはできないという姿勢を貫こうとするのだが、実際には夫婦となっている。襲撃されるまでの生活を、ドラマでは継続することで、彩りを添えたのだろう。
当主でない武士
もうひとつの堕落が、旗本の子どもでありながら、武士として世に出られず、医師となるが、盗賊の世界と交わり、盗賊たちを利用して財を蓄積するが、やがて利用される吉野道伯。鬼平犯科帳には、武士に生まれながら、跡継ぎではないために、やっかい者になって、道を踏み外す者がたくさん出てくるが、同じ親に生まれながら、まったく異なる生涯を歩む、特に特権から外される者の悲哀は、かなりのものだったろう。道伯自身は、家族の助力で、医者として優遇されていくから、あぶれ者とはいえないが、屈折した感情はあったに違いない。
そして、妻を亡くした気持ちの空白を利用されたとはいえ、女をあてがわれて当主の地位を棒に振り、盗賊の一味となってしまった弥一郎。
当主の地位を終われた弥一が、どのような経緯で、盗賊に加わったかは、もちろん詳しく語られているわけではないが、浪人なった人たちは、どうなったのだろうか。弥一のように犯罪者になった者も少なくないようだ。
安部昭『アドのアウトロー 無宿と博徒』によると、八丈島に流人として送られた1912人のうち、327人が武家であり、3名の大名もいる。一番多いのは、無宿452人だが、無宿の出身階層はまた多様だから、そこにも武家がいるかも知れない。鬼平犯科帳には、盗賊仲間に浪人がたくさんいることが、頻繁に出てくるが、弥一郎のような有能な人物だけに、逆に、盗賊からすれば欲しい人材だったろう。
では弥一郎は、盗賊になるしかなかったのだろうか。さすがに、江戸では無理だったろうが、地方都市にいって、寺子屋の教師になる、実際に居酒屋をやっているのだから、商売をする等、生きる手段はなかったはずはなく、また、すぐに盗賊の仲間になったわけではないだろう。どのような経緯が想像してみるといいだろう。
もうひとつ、道伯に紹介されたお絹が、女の盗賊だったことで、「消える」ことを余儀なくされたわけだが、原作では、お絹と一緒にその後行動したように書かれている。消える前日に、清水三斎とだけあって、自分は大変な間違いを女に関してしてしまったのだ、と説明し、以後会えない旨告げるのだが、道伯によって自分を貶めるために近づけられた女と、その後行動をともにするものだろうか。
長谷川平蔵は、田沼時代の大飢饉で、非常に社会不安に陥った中で、犯罪も激増した時代に、松平定信によって、火付け盗賊改めに任命され、長く激務をこなすわけだが、松平定信の改革が、結局武士階級の本質的な矛盾を解決しないものだったから、武士の困難は増大した。そうした背景を念頭に、平蔵の活動を見ると、また違う面白さがある。