ピエール瀧出演の作品放映問題


 臨時の投稿になるが、ピエール瀧の出演の映画が、東映によって上映が決まったということで、話題になっているようだ。私自身は、ピエール瀧という人にあまり関心がないので、そのこと自体はどうでもいいのだか、これまでは、たいてい犯罪容疑者となる人がでると、その出演作品は、没になることが多かった。
 今回でも、中止になる放送中の番組が8あり、過去に出演したのが、51あるそうだ。https://ccccclub.net/c/pierretaki/
 再放送がされなくなる等のことはあるだろうし、DVDなどの販売が中止になることもあるだろう。
 ウェブ情報は以下のように伝えている。

 東映は20日、麻薬取締法違反(使用)容疑で逮捕されたミュージシャンで俳優のピエール瀧(本名・瀧正則)容疑者(51)が出演している映画「麻雀放浪記2020」について、当初の予定通り4月5日から劇場公開すると発表した。場面のカット、再編集はせず、本編開始前にテロップ(字幕)で瀧容疑者が出演していることを明示し、劇場に掲出するポスターに同様の文言を掲載するという。
http://penguinsokuhou9.blog.jp/archives/17060637.html


 前売りで購入したが、見たくないという人には、払い戻すということだ。もちろん、公開の動機は、中止したら、莫大な費用をかけて制作したものが無駄になるという、大損害をさけるためだろうが、私は支持する。そういう人が多いのかと思っていたら、私も時々見ている「世に倦む日日」というブログで、このことを非難していた。https://critic20.exblog.jp/30179989/#30179989_1
 金融ビッグバンという、新自由主義経済政策によって、日本が外国に売られたという状況に重ねて、麻薬ビッグバンを起こそうとしているとして、江川紹子氏を批判している。
 直接江川氏の文章を読むことはできなかったが、以下のような紹介ページがある。

 江川氏は、今回の逮捕の影響でドラマや映画やCMにおよぶことは必至で多額の賠償金が発生する事態になりそうというネット記事を貼りつけた上で「またも過去の作品お蔵入り、収録済み映像も編集し直し消去、みたいなことをやるのか…。薬物自己使用とか被害者がいない事件で、そういう非生産的なことは、もうやめた方がいい」と独自の見解を示した。https://www.hochi.co.jp/entertainment/20190313-OHT1T50069.html

 確かに、江川氏が、ピエール瀧のドラッグ騒動で、彼の出演した作品をお蔵入りにすることに反対していることは事実だろうが、それが、オランダなどのように、ドラッグ解禁を狙ったものであるかのような批判は、少なくともこの文章を読む限りでは、承服しがたい。そして、新自由主義政策に関する記述にも大いに疑問を感じるが、それはここではおいておこう。

 「世に倦む日日」の記述を読むと、ドラッグ解禁がグローバル・スタンダードであるかのような印象だが、そんなことはいえない。ドラッグ解禁に踏み切っている都市はけっこうあるが、国家として解禁しているのは、そんなにないはずである。私は、オランダを重要な研究対象にしているので、ドラッグ解禁の経緯は、かなり把握しているつもりであるし、講義でも必ず触れていたが、その際、日本で解禁すべきかという点についは、反対であるという立場を明確にしている。教師がこうした立場の明確化をするべきではないと思っているが、ドラッグや体罰については、明確にすべきであると考えているので、そうしている。
 ドラッグ解禁論が、左翼を中心に起きているというのだが、そうなのだろうか。むしろ、安倍夫人などがめだっているのではないのだろうか。安倍夫人はどうみても、左翼ではない。https://zuuonline.com/archives/121106

 ピエール瀧の作品問題に戻るが、私も、かねがね俳優、芸能人等が犯罪容疑者となって逮捕されると、決まって出演作品が没になることに疑問をもっていた。今回は、ドラッグだったが、性犯罪や、交通事故等いろいろある。もちろん、個別のケースによるとは思うが、私が疑問に思う理由は、例えば、映画の場合、数億、数十億のお金がかかり、出演者だけではなく、本当に大勢の人たちの協力で作品ができあがるわけである。もちろん、その人たちは、完成したことによって、対価をえて、それで生活しているわけだ。それが、ひとりの不心得者のせいで、そうした報酬を得られなくなるというのは、いかにも不合理ではないだろうか。容疑者が、そうした費用をすべて弁償できるならば、他の人たちが迷惑を受けることはないかも知れないが、弁償などとうてい不可能だろう。ギャラは予定通り払って、制作会社が損害をかぶるというのも、あまりに大きな額になるし、かぶる責任があるとも思えない。
 もちろん、予定通り公開したり、上映したりしても、容疑者に対しては、容疑がはれるまでは、ギャラを支払わないし、また、そのために評判を落として、損害がでた場合には、弁償請求するべきだろう。しかし、全部やめるというのは、まるで江戸時代の「連帯責任」の発想でしかない。もし、世の中の人たちが、容疑者の作品を公開することはけしから、というならば、そうした封建道徳的な発想こそ、批判されるべきだろう。個人の犯罪は、あくまでも個人が責任をとればいいので、たまたま一緒に仕事をした人が、連帯責任をとらされるのはおかしい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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