途上国からの脱出3

 入学試験があるのは当然だという思い込みともうひとつ思い込みは、学校の単線型体系が民主主義的であり、複線型体系は非民主主義的であるというものだった。これは、いまでもそのように考えている民主主義者が多い。特に日本では1960年代に高校の多様化路線が打ち出されて、職業高校を多くつくり、早めに就職させる、大学などに進学するのは無駄だという特に財界の意志が、教育に反映したものだ。しかし、明かに、成績のよい者が普通科に進学し、成績の悪い者が職業科に進むという、大体においてそうした傾向があったことと、その後社会が高度化して、大学卒業生が就職の基礎資格のようになると、大学進学に有利な普通高校をほとんどの中学生が求めるようになって、現在では圧倒的に普通科の高校が多くなっている。こうした中で、普通高校と職業高校を格差をもって構成すること、そして、それ以外の高専など、学校体系を複線型にすることが、民主主義的でないと考える人が多いわけである。

 しかし、それは本当にそうなのだろうか、と考えなおすようになったのは、1990年代の初頭に、オランダに海外研修にいったことだった。当時、ドイツとオランダは、中等教育から資格の異なる学校に分岐していた。ただ違っていたのは、ドイツではほぼ成績で振り分けられ、あとで修正するバイパスがあまり機能していなかったのに対して、オランダでは、基本的にどの学校種に進学するかは当人と親の決めることであり、かつ、進学後変更することもできるし(ただしその場合には成績がよくなければ難しい)、卒業後、ワンランク上の学校に編入できることになっていた。だから、小学校時代は勉強が嫌いだったから、職業コース(中等専門学校)に進んだが、途中で勉強が好きになったから、大学に進学できる高校に編入して、大学に進学したという学生が少なくなかった。そして、海外研修の翌年に学生引率の形で、オランダの職業高校に見学にいったのだが、そこは園芸科で、園芸の全国コンクールに出品して、専門農家と競い合っており、しかも、ビニールハウスは完全なコンピューター管理になっていて、花を年間通じて栽培する方法を学んでいた。教師たちが非常に熱心だったので、小学校の成績はそれほどよくない生徒たちだったが、誇りをもって勉強しており、将来に対する希望も大いにもっていそうだった。因みに、オランダは九州と同じくらいの面積の国家だが、農産物の輸出額において、世界二、三位を保持している。こうした高校からの希望による専門的な教育が基礎にあることは間違いないだろう。

 それに対して、ドイツの最も水準が低いとされるハウプト・シューレを訪問したことがあるが、そこでは、生徒たちは、私たちとすれ違うとしたを向き、授業でも活気がなかった。やはり、ハウプトシューレの生徒は劣等感が強いというのは、本当なのだと思った。 この二つの国の似たようなシステムでありながら、現れ方の違いは、やはりドイツでは成績で振り分けられ、オランダでは希望で進学するという点だろう。オランダでは、最もレベルの高い高校にいった場合、かなりハードな学習が行われ、二年連続で落第すると退学になるので、けっして無理して進学はしないのも、格差による差別感があまりないことに影響しているように思われる。
 こうしたシステムだから、オランダでは、同種の高校、そして大学において,学校の一流、二流という感覚がほとんどなく、**の強い大学などという意識による区別感があるようだった。だから一分の人気大学に志望者が集まって、大幅な選抜が必要になることもないようだった。(ただし、学科に志望する場合、複数の志望を書くということだ。)

 学校で学ぶことによる効果が最も高いのは、学校で学びたいことを学ぶことができ、そして、それが自分の将来を切り開くことになるという状況が保障されることだろう。日本のように、「学力」それも「偏差値」で入学が決まるようでは、学習意欲は競争にあり、学習そのものにはない。ここに日本の教育の最大の問題があり、いわゆる「追い付き追い越せ」社会であれば有効性もあるが、その段階を終えた社会では、各人の学習意欲を最大限引きだすシステムでなければならないことは、明かなのである。そう考えれば、学校での学習をしっかりやることによって、上級に進学できる方式のほうが、明かに、個々人の学習意欲を高めることになるだろう。
 次回は、学校単位で、こうした考えに基づいたやり方を徹底的に行っているサドベリバレイ校の実践を紹介しよう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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