北海道旅行1

 5月末から6月始めにかけて、10日ほど北海道旅行にいっていた。もっとも、通常であれば飛行機で札幌あたりに飛び、レンタカーで北海道を廻るということだろうが、車ですべての行程をこなした。妻には「変だ」とか「無駄だ」とかいう声があったらしいが、私は、そういうことを誰にもいわなかったので、いつもと変わらず、長距離ドライブ旅行をしてきた感じだ。一番遠くは知床半島だった。
 通常の旅行記を書くのは、不得手なので、特に感じたことを、いくつか書いておきたい。

 最初の宿泊地は岩手県の八幡平で、夕方到着したので、当日はホテルで夕食をたべて、休み、翌日短いが観光をした。八幡平というところは、明治から昭和の半ばころまで、硫黄の採掘で栄えたところで、たいへん高いところにあるが、新しく学校がつくられたり、文化会館ができて、有名なタレントが公演にきていたそうだ。そうしたなかで、私がえっと思ったのは、バイオリニストの諏訪根自子が演奏したことがあったそうで、その写真もあった。諏訪根自子といっても知らない人が多いに違いないが、戦前ドイツにわたって天才を認められ、ゲッベルスからストラディバリウスを与えられたというほどだ。そのためか戦後は多少不遇だった感じがあるが、一度テレビで演奏会のビデオを見たことがあって、その鮮烈な演奏はいまでもよく憶えている。


 現在では硫黄産業は完全に消失しており、学校なども閉鎖されていたが、硫黄のために周囲の森林がすっかりやられてしまったのだが、その後森林回復のための事業が取り組まれ、いまでは山を豊かな森林が覆っている。

 そして、実はこの旅行中に、もうひとつの硫黄の産地だったところを見た。それは、北海道の東部、弟子屈町の硫黄山だ。摩周湖の側にあり、摩周湖にいって、それから硫黄山にいったのだが、ここは、いまでも硫黄がむき出しになっているような感じで、水蒸気が絶えずでており、しかも、その近くまでいくことができる。近くは有名な温泉観光地だ。

 このふたつの硫黄の産地をみて、日本という社会は、学校で資源の乏しい国と習うが、実はそれは間違いだということを改めて感じる。日本は資源が極めて豊かな国なのだが、それなりに長い歴史のなかで、取り尽くしてしまったために、現在では、とくに鉱山資源が乏しいとされているにすぎないのだ。銅は、長い歴史があり、かつ昭和まで採掘されていたし、銀や金は江戸時代まで世界経済に影響を与えるほど、たくさんとれた。金は、オランダとの不利な貿易と、幕末の賠償(たとえば生麦事件)、開国後の赤字貿易で大量に流出してしまったのは、いかにも、まずかったわけだ。石炭も夕張炭坑がとじるまで、日本の花形産業だったのだ。日本は、災害だけではなく、鉱山資源も豊富な国であることは、歴史をみればすぐにわかる。要は取り尽くしてしまったことだ。
 今でも世界的にみても、豊かな自然資源が現存している。それは水と森林である。しかし、水は、多量の雨があるにもかかわらず、川が急流であるために、有効に活用されていないといわれている。また、森林はとくに西日本では戦国時代に伐採しつくされ、多くがはげ山になったそうだが、江戸時代の平和のなかで、よみがえった。しかし、現在たしかに日本は森林が豊だが、手入れが不充分で今後どうなるかわからない。資源は、適切な対策が必要なのだとも感じる旅だった。今回のように、車で長距離移動すると、日本の産地は、本当に豊かな森林にめぐまれていると感じる。水と森林は循環型、再生可能な資源なので、適切な対策をすれば枯渇することはないが、しかし、水と森林を守る人々の意思が必要だろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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