途上国からの脱出4 悠仁親王の進学問題

 今日は終戦(敗戦)の日とされている。正式に戦争が終ったのは9月の降伏文書の調印であるが、一般的には8月15日に戦争が終了したとされている。これは、天皇がポツダム宣言の受諾をラジオ放送したことによって、戦争が終ったのだという、一種の天皇制の意味づけを行っていることだと解釈できる。だが、戦前は決して許容されなかった天皇への批判も、戦後は可能になった。現在でもタブー視されている面はあるが、戦前に比較すれば、健全な状態になっているといえるだろう。しかし、しばらくは国民にも支持されてきた天皇制度も、近年不祥事もあり、国民の信頼はかなり低下しているように思われる。そしてそれが加速するような事態が起きつつある。

 さて、現在、様々な面で日本の社会システムの制度疲労ともいうべき点が露になっているが、「能力主義」という面からみても、適切な意味での能力主義に反する現象が拡大しているように思われる。
 教育学の世界では、「能力主義」は現代の教育を歪めている最大の社会的価値意識であると考えられているが、それは、一般社会のあいだでは、それほど貫徹しているようには思えない「能力主義」が、学校教育のなかでは、かなり人々が囚われている考えであり、測られる能力がかなり一面的であるにせよ、それなりに「能力主義」によって、教育が実行されていると考えられてきたからであろう。しかし、学校教育の分野でも、究めて問題ある形で、能力主義をよい意味ではなく、まったく悪い形で蹂躙する動きが進展している。天皇継承順位2位とされている秋篠宮悠仁親王の進学問題である。この進学問題自体は、幼稚園入園からはじまり、中学進学、高校進学と続いて行われ、そして、いよいよ大学進学へと進んできたことは、国民周知のことである。そして、すべての段階で、国民が許容するとはいえない形での、皇室特権によって入園、進学が行われてきた。形の上では、制度によって進学がなされてきたが、皇室特権が行使される形で実質的には進学が実現してきたことは、否定しようがない。
 そして、その弊害は悠仁親王自身にも及んでいると考えられている。
 筑波大学附属高校は、有名な進学校である。私自身、この学校ではないが、同系列の附属の出身であり、おそらく、授業や生徒の雰囲気は似たようなものだと思うので、悠仁親王が、どのような状況にあるかは、だいたい想像がつく。
 表面的には、なんら問題がないかのように、平穏な関係が取り結ばれているだろう。試験の結果は当然当人に知らされるだろうが、全体の順位等については、おそらく本人にも知らされていないはずである。だから、彼の成績がまわりの生徒たちに知られることはないだろう。そして、それを詮索したり、あいつは能力がない、などという態度をとられることもないだろう。それだけ大人の生徒が多く、多様性を認める雰囲気があるからである。
 しかし、だれが優秀な生徒であるかは、おのずとわかる。そして、通常はほとんど存在しないのだが、授業にほとんどついていけない生徒がいれば、そのことも自ずと感じ取られるものだ。一度も受験勉強などをせずに進学して、特別に成績がよかったわけでもない人が、こうした有名進学校に入れば、授業についていける可能性は究めて低いことも、ほぼ予想がつく。このことは、悠仁親王が筑付に進学する前からいわれていたことであり、おりおり報道もされてきた。とくに筑付のような学校では、特別な補習とか、そういった対応も通常は一切しない。だから、置き去りにされたままになるに違いない。(悠仁親王のように特別な人は、特別な対応をとられているかも知れないが。)
 こうした矢先、「週刊文春」が、「秋篠宮家の帝王教育は大丈夫か? 筑付で『異例の成績』 ひさひとさまの真実」という記事が掲載された。私にとっては、意外でもなんでもない記事だったが、こうした公の形で、悠仁親王の筑付における成績が、「生物」以外は惨憺たるものであって、とても進級できるものではないことが報道されてしまった。そうした成績であることは、ごく自然な状況といわねばならないだろう。常識的にみれば、東大どころか、偏差値の高い大学への進学など、正規の手続によって受験すれば、まず合格しないに違いない。
 しかし、他の週刊誌は、東大に推薦入学で応募すれば、確実に合格すると書いているものがある。その根拠は、学会誌に掲載されたトンボの研究が根拠となっている。では、この学術論文はどうなのか。中学時代に、作文コンクールで入賞したとされるものが、他の文章からの剽窃があったことが指摘されたことは、まだ多くの人が記憶しているだろう。さすがに今回は、そうしたことはないだろう。そして、10年近くトンボの観察を行ったことは事実なのだろう。しかし、それを学術論文としてまとめ、審査に通るような形までもっていくことに、悠仁親王か主な貢献をした、と考えている者は、どれだけいるだろうか。もし、そう考えている人がいるとしたら、よほど学術論文が書かれる際の状況について、知らないのだといわざるをえない。
 とくに理系の学術論文は、だれが本当の著者であるかを確定することは、実はとても難しい場合がある。通常は,最初に名前があがっている者(ファースト・オーサー)が中心的な役割をはたし、最後にある者(コレスポンデント・オーサー)が指導をしていると考えられる。しかし、通常理系の研究は、共同研究だから、2番目、3番目のひとたちが大きな功績がある場合もあるし、また例は少ないとは思われるが、業績つくりのために、実際には、2番目3番目の役割なのに、あえてフォースト・オーサーにしてもらって、著名な学術誌に掲載されたことで就職できる、というようなこともある。そうした実例を知っている。
 悠仁親王の論文の場合、当該分野の著名な研究者が共同研究者となっているということだから、観察データなどを作成したのが親王だったとしても、そのデータを取捨選択し、整え、そして論理構成を含めて「作文」したのが、悠仁親王だというは、ほとんどありえないことである。それを行ったのは、その著名な研究者のほうであることは間違いない。
 さて、もし悠仁親王が、筑付における東大推薦入試の枠に選択され、そして合格したとしたら、常識的に考えて、ふたつの不適切な選定が実行されたと考えざるをえないだろう。
 第一は、筑付としての4名の推薦枠にいれるために、本来はいるはずの実力をもった者が除外されたということ。そして、共通テストの点数をなんらかの形で操作されたということ、このふたつである。推薦枠にはいるためには、当然筑付での成績が究めてよくなければならない。しかし、確定的事実ではないかも知れないが、文春によって、生物以外の科目は、ほとんどが「異例」の成績であるということだから、推薦枠にはいるはずがないのである。そして、同じ理由によって、共通テストで8割という高得点をとれるはずがないということだ。そもそも、普段の生活で、受験勉強をしているようには思われないのに、そんな高得点をとれるはずがないと断言できる。究めて優秀な生徒が、たまたま調子が悪く低い点をとることはあっても、進級もできないような学力で、受験勉強をしていない生徒が、やさしいとはいえないテスト(しかも科目数が多い)で8割をとるなどということは、おこり得ないといってよい。
 筑付にしても、東大にしても、国立の教育機関であって、国民の税金で成り立っており、その入学については、公正な入学試験に合格したことをもって許可されるものである。少なくとも、国民の多くはそうしたことが実際に行われていると信頼しているだろう。そして、悠仁親王が、東大に合格し、それが皇室特権のごり押しだったとしても、表の論理としては、試験に正当に合格したと、されるならば、それは日本の学校教育の根本原則が踏みにじられたことになる。そして、国民の信頼によって成立している東大や筑付の権威が大きく揺らぐことになる。そして日本人にあたえる、負の精神作用も小さくないだろう。
 もちろん、日本の学校が全体として、それほど信頼できるような形で運営されているものではないが、しかし、それでも、公正であるべきだという意識が揺らいでいるわけではない。それが揺らいでしまう危険がある。
 そして、それを秋篠宮が強行したとすれば、それは将来の天皇制というシステムにたいして、大きな傷を残し、制度そのものが崩壊する要因のひとつとなるに違いない。
 
 もっとも、私は、悠仁親王が東大で学ぶことは絶対にあってはならないと思っているわけではない。将来天皇になる可能性がある人であることは間違いないのだから、そのために、ぜひ東大で学びたいというのであれば、入学試験ということとは無関係に、つまり試験など受けずに、更に入学定員にまったく影響をあたえず、また筑付の推薦枠にも影響しない形で、東大での学習を認めることを、特別にきめるのであれば、私はかまわないと思っている。そして、単位をとりたければとるもよし、学びたいことだけをまなび、試験などを受けないというのもありだろう。単位認定に関しては、一切の特別措置をとらないことは当然である。むしろ、単位もとらず、学びたいことを学んだから、自然退学となる。皇室に「東大卒」などという「資格」は、まったく不要である。個人的な見栄で、国全体の教育制度の公正さを破壊しようというのは、「国民の信託」に基づく皇室のやることではあるまい。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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