鬼平犯科帳 がっかりする話3 瓶割り小僧

 鬼平犯科帳ネタで「がっかりする話」を2回、中途半端になっているので、もう少し続けてみたい。優に100を越える話があるのだからは、どれもが優れた出来ばえというわけにはいかない。何度か書いているように、ある回の話と別の回の話が、辻褄が合わないことも、けっこうある。しかし、それでも全体として、小説、ドラマを含めて、鬼平犯科帳の面白さはとびきりのものだと思う。
 そういうなかで、がっかりする話として、今回とりあげるのは、「瓶割り小僧」だが、これは、実は、作者の池波正太郎が、気に入った話の5つのなかにいれているものなのだ。だから、池波は、この話を非常によくできたものだと考えていたことは、間違いがない。しかし、私は何度読んでも、あまり感心しないのだ。

 話の筋はこんなところだ。
 この話の前のことだが、旗本の息子に小便をかけてしまい、ころされそうになっているところを必死でとめて助けた(最終的には平蔵に助けられるのだが)盗賊の高萩の捨て五郎が、怪我を癒している間に、平蔵に説得されて密偵になっている。そして、足ならしででかけた先で、偶然、盗賊の石川五兵衛を発見するところから、この物語が始まるわけである。捨て五郎は五兵衛の顔見知りなので、同伴していた彦十が五兵衛のあとをつけ、翌日宿屋で逮捕される。
 そして、普段容疑者の取り調べ(拷問に近いことが行われる)に関与しない小林金弥が、取り調べを命じられるのだが、なれないせいか、黙秘する五兵衛にてこずっている。その様子を平蔵は別室からみているわけだが、はっきりしないが、なんとなく過去にあっているような気がしている。自室に帰るときに、お茶を運んできた小者が、茶わんを落として割れてしまう。その音で、昔のことを平蔵は思い出すことになる。
 それは20年前のことだが、京都奉行だった父がなくなって、江戸に帰って家督をついだ平蔵が、用事で麻布にでかけ、刀の研ぎ師の店にたちよったところ、真向かいの瀬戸物屋で子どもと主人梅吉が争っている。子どもたちがうるさいので梅吉は追い払うのだが、一人音松は立ち去らず、自分は客だといいはる。そして、大きな瓶をふたつ買うというのだ。子どもにはとうていもてないし、お金も払えないと馬鹿にした梅吉は、自分でもって帰るという条件をつけて、6文で売るという。音松は4文銭を2枚わたして、「釣りはいらない」という。そして、さあもって帰れ、といわれると、大きな石で、瓶を割ってしまう。「オレのものだから、割るのは自由だ、破片にしてもってかえるのだ」といって、立ち去ってしまう。それをみていた梅吉の義理の弟の浪人赤松が、音松をおいかけ、切りかかる。音松は恐怖で助けてくれと懇願するが、おいかけてきた平蔵に救われるわけである。そのとき、平蔵は、気がついた音松に、「大人を莫迦にするな」「莫迦な大人ばかりではない」と諭し、逃がしてやる。
 そこで、ふたたび20年後に戻り、翌日、平蔵直々の取り調べが行われる。当初五兵衛は前日と同じように平蔵を無視していたが、平蔵を「どこかでみたような」と思い、そして、ついに思い出してしまう。そして、平蔵に平伏してしまうのである。
 平蔵の裁きをみていた小林金弥と筆頭与力の佐嶋にたいして、自分はたまたま彼のことを知っていたので、白状させることができたのだ、といい、音松が義父を殺害して、母を捨てて逃げたという白状にたいして、音松にもっと目をかけてやる大人はいればよかったと語り、赤松は、瀬戸物やの主人である義兄がなくなったあと、あとを継ぎ、平蔵も目をかけてやったと語って、酒になったところで物語が終る。
 
 ではどういう点にがっかりするのか。
 まず、捨て五郎が五兵衛を見つける場面だが、最初どの程度の距離があったかは書かれていないが、本所弥勒寺まえの茶店にいるのだから、けっこうにぎやかだったはずである。そして、五兵衛は頭巾をかぶっており、「両頰から顎のあたりまで隠れていた」状態だった。捨て五郎は、五兵衛に以前仕事を斡旋されてあったことがあるが、「一目で嫌気がさした」というのだから、そのとき一度あっただけに違いない。にもかかわらずこの場面で、「一瞬の間に見破った」のは、いかに「捨て五郎の眼力」が優れていても、かなり不自然ではなかろうか。しかも、すぐに捨て五郎は、五兵衛のことを彦十に告げて、店の奥にいってしまうのである。
 そして、すぐに彦十は追跡して、宿屋をつきとめ、五兵衛は、翌日捕縛される。
 いかに江戸時代とはいえ、五兵衛は「江戸ではまったく盗みをしたことがない」のだし、捕まったときに、現行犯でもないのだから、なんら証拠がないわけである。いくら火盗改めとはいえ、誰であるかもまったくわかっていない人物を、拷問まで含めた取り調べをするだろうか。彼が盗賊であることは、まったく確証がないのである。あるのは捨て五郎の証言だけだ。捨て五郎に面通しをさせているわけでもないようだから、ほんの一瞬のため、見間違えの可能性だってある。しかし、そういうことは、ここでは露考えられていない。
 次に、何故五兵衛は、2、3年に一度江戸にやってくるのか。生れ故郷といっても、義父に虐待され、最後は義父を殺害して、逃亡した場所である。母親がいきていて会いに来るということも考えられるが、殺人犯なのだから、近所の者に通報される恐れがある。しかも、江戸には「鬼の平蔵」が活動しているのである。通常は、そんな江戸には絶対にいかないのではないだろうか。しかも、堂々と宿に泊まっているのである。ここに不自然さを感じてしまう。
 もちろん、このふたつの要素がなければ、この物語は成立しないのだから、不可欠なのだろう。だがもう少し自然さがほしい。
 五兵衛の義父殺しについては、五兵衛の白状によって、平蔵たちは知ったことになっているのだが、平蔵は、瓶割りの事件以後も、切りつけようとした赤松と交流しているのだから、義父殺しについて聞いているはずである。義父とはいえ親殺しであり、通常の殺人より重罪である。逆にいえば、五兵衛が自白したことも不自然にみえてくる。江戸以外では盗みの罪は、捨て五郎の進言で言い逃れできないとしても、まさか、捨て五郎が、この殺人まで知っているはずもないのだから、わざわざ罪を重くするようなことはいわないだろう。
 盗賊が裁かれたときには、多くが具体的な処分について触れられているが、この場合は、明日から小林がより詳細に尋問するという、途中経過で終っている。なんとなく物足りない感もあるが、獄門は明白なのでぼかしたのだろう。
 
 このように、私には不満なところが多いのだが、作者はなぜ、これを優れた5本に含めたのだろうか。
 考えられるのは、自白を引きだす機微がうまくできているし、平蔵の人間理解が滲み出ているのだが、構成の巧みさなのかと考えられる。最初に紹介した粗筋は、時系列に組み直してあるが、原作では、場面がこまぎれに転換していく。
 小林金弥のうまくいかない尋問の様子→別室でみている平蔵が記憶を呼び起こしている→うまくいかない翌日再び小林による尋問→5日前の捨て五郎による五兵衛発見の場面→翌日捨て五郎の進言で逮捕→尋問の場面で、戻る途中で小者が茶わんをわることで思い出す
 ここまでが(一)で(二)は20年前の瓶割りの場面が語られる。(三)も引き続き瓶割りの場面だが、途中で音松の家庭の事情が説明される。そして、赤松が音松をおそい、平蔵が助ける場面。(四)が平蔵による尋問で、五兵衛が自白、夕餉のやりとり、という展開である。
 そして、瓶割りの場面以外は、非常に短い挿話のように転換していく。下手すると、展開がわかりにくくなって、興味が失せていくことに陥りやすいのだが、ここでは、「なぜ?」という疑問が自然にわきおこり、それを説明する場面が続く、というように、知りたい場面が続いていくので、挿入が興味を増していくように働いているのだ。こうした構成上の工夫がうまくいったと、作者は考えたのではないかと解釈してみた。
 
 構成の巧みさに惹かれるか、不自然さに不満が残るか、ぜひ原文を読んでみてほしい。(文庫本では21巻にある)
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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