読書ノート『ウクライナ日記』(アンドレイ・クルコフ)集英社

 アンドレイ・クルコフは、レニングラード(現サンクト・プテルブルク)で生まれ、幼少のころにウクライナのキエフに移住して、ずっとキエフに住んでいるウクライナの作家である。そして、この『ウクライナ日記』は2013年から2014年にかけて起きたマイダン革命から、ロシアによるクリミア併合に至る時期の日記である。ジャーナリストや研究者による記録や研究書ではなく、あくまでも作家がみたり、考えたりしたことが綴られている。だから、裏で起きていることは、ほとんど語られていない。メディアで報道されていたような事実も、クルコフが伝聞で聞いたこととして書かれている。社会が非常に緊迫して、暴力沙汰があちこちで起きている時期でも、劇場にいって芝居をみたり、あるいは旅行に出たりしている。そして、そのときの家族生活が詳しく描写されていたりする。
 しかし、だからこそ、市民が遭遇した緊迫した政治の変化が、実感をもって迫ってくるのである。

 その場その場の逸話が書かれているものなので、印象的な場面を紹介することにする。
 
 当時のキエフは、とにかく、親ロシア派や親EU派が、様々に入り乱れて、大人しい活動家、乱暴な活動家、そして、武器をもっている人いない人、まったく統制がとれない形で、広場に集まり、バリケードを築いたり、通行人をチェックしていた。特には暴力沙汰が起き、死者まででることがあった。
 そして、広場では、知られた政治家だけではなく、まったく無名の人物が演説をぶつことも頻繁だった。そして、暴力的な雰囲気が少しずつ激しくなっていって、結局、ヤヌコヴィッチ大統領がいなくなったという噂が流れる。しかし、市民たちは、真相はなかなかわからない。ヤヌコヴィッチは、普段からあちこちに出かけていて、とくに脱出するまえは、ソチオリンピックにいって、プーチンと話をつけるようなことか、流布されていたので、市民たちには、本当にウクライナに滞在しているのか、外国にいるか、普段からあまりわからなかったようだ。
 ただ、緊迫していた状況といっても、キエフはまだ完全なカオスになったわけではいが、東部、ドンパス地方では、早くから、武装した親ロシア派住民が活発に活動していて、ロシアの情報局のひとたちがはいって活動していることが、噂として流れていたようだ。
 親欧米派の活動は、アメリカのCIAが裏で動いていたという記事も少なくないが、この『ウクライナ日記』には、CIAの影はまったく感じられていない。
 
 ヤヌコヴィッチが逃亡したあと、キエフは、激動の時期よりは落ち着いたが、それでも、武装した集団が出現し、そうしたなかには、盗賊になってしまう者もでてくる。しばらくの間は、やはり、騒然としていたが、しかし、その後クリミアでの騒動が起きる。
 
 クリミアの奪取は、実はかなり前から計画されていたことが、プーチンが記念に配布したメダルによってわかったとしている。クリミアの編入を記念するバッチには、2月の20日からロシア編入が決定するまでの期間が記されており、ヤヌコヴィッチの逃亡をロシアが受け入れた時点で、明確にクリミア奪取計画を実行し始めていたということだ。まずクリミアに軍隊を入れ、極めてわずかな期間で住民投票を実施し、圧倒的に独立を支持されたとして、ロシア編入までロシア議会で決めてしまう。そして、ロシアのパスポートを欲する者には、ただちに与えて、居住を許可し、ロシアパスポートを望まないものには、居住権限を取り上げてしまう。そして、住民の選別をしつつ、クリミアをロシア化していったわけである。そうしたプロセスが、クルコフの日記に、順を追って書かれているのである。
 
 クルコフは知人たちとプーチンについて語ることが、当然多かったと思うが、極めて的確にプーチンについて語っている。「プーチンはどんな夢をもっているんだろうか」という友人の発言に対して、「プーチンは夢を追うことなどしない。すべては冷静に計算して、一つずつ実行していくんだ」とクルコフは切り返している。だから、マイダン革命のあと、クリミアを奪取し、ドンバス地方を内戦状態にして、ロシア軍が介入し、やがてウクライナ全土を支配するという政策を、一歩一歩進めていくに違いないと、この段階でクルコフを予想していたようだ。
 
 しかし、こうした激動の時期にも、生活はしなければならないし、また人々はなんとか食事をし、仕事をし、そして楽しんでいる。クルコフは、マイダン広場に近いところに住んでいたので、騒ぎが近くで起きているわけだが、そうした日々にも、親として子どもを学校に送っていき、また迎えにいっている。有名な作家であるからだろうが、仕事やバカンスでの旅行もけっこう行っている。
 このあと、ドンバス地方での内戦が続くことになるから、現在に至るまで、ウクライナはずっと戦争をしているわけだ。この時期のあとの日記が公刊されることが待たれる。
 現在のウクライナを理解する上で、とても役にたつ本だと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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