チャイコフスキー・コンクールが開催されている。開幕に際しては、各紙が報じた。とくに、今回はロシアのウクライナ侵略開始後のことなので、そのことが話題の中心であった。西側からの応募者は激減し、参加国もへったとされる。ロシア以外では、積極的に参加したのは中国くらいのようだ。しかし、そういうなかで、日本人の参加は、7人とどの新聞も報じている。
チャイコフスキー・コンクールは、ショパン・コンクール、エリザベート・コンクールとならんで、世界の3大コンクールと呼ばれているが、戦前からある他のふたつと違って、戦後になって、ソ連の国策によって設置されたコンクールであり、国威発揚的色彩が強い。もっとも、芸術的歴史の長い、そして、優れた音楽家を多数輩出してきた国らしく、とくに偏った順位づけをしているという感じもなく、チャイコフスキー・コンクール出身の優れた音楽家はたくさんいる。日本人の優勝者や上位入賞者もおり、そういう意味では、日本人にとっても、親しまれているコンクールであった。
しかし、なんといっても、今回は、主催国であるロシアが、ウクライナにたいして、歴史に残る悪逆非道の侵略戦争をしかけている真っ最中であり、通常であれば、戦争が終了するまでは、開催を延期するものだろうが、それを強行するところが、現在のロシアなのだろう。そして、どうしても、政治と音楽、芸術という問題を考えてしまう。
第二次世界大戦のさい、ドイツに残って演奏活動を続けた人たちは、戦後、その責任を問われることになった。とくに、ナチスの音楽政策のなかで重要な役割を果たしたフルトヴェングラーと、フルトヴェングラーと対抗させられるような位置にあり、職をえるためとはいえ、ナチス党員であったカラヤンは、長い間、演奏停止状態にさせられた。カラヤンは戦後長く生きたから、そうした責任を問う声がずっと続いたわけである。
同様のことが、ロシアのウクライナ侵略に際して起こった。ロシア人の音楽家は、ロシアの政策に反対しないのかどうかが、明確に問われ、反対の意思を表明しない演奏家は、欧米での演奏を拒否された。そして、西側のポストについていたひとたちは、ポストを解任された。その代表が、サンクト・ペテルブルグのマリンスキー歌劇場の音楽監督を長く務めているゲルギエフである。そして、今回のチャイコフスキー・コンクールでは、開会式での演奏をして、おそらく、ファイナルの協奏曲では、伴奏オーケストラの指揮をするかも知れない。ゲルギエフは、西側でいくつかのポストをもっており、ロシアでの地位を失っても、活動にこまることはないから、明確にプーチンを支持しているということだろう。もちろん、長年育ててきたマリンスキー劇場を放棄することはできない、という感情もあるには違いないが、ロシア軍のやっていることを知らないはずはないのだから、その責任は重いといわねばならない。
フルトヴェングラーの場合は、ナチスによって迫害されている音楽家を守るという名分は、確かにあった。事実、彼はユダヤ人音楽家を守り、また、亡命せざるをえなくなった人については、それを助けた。そして、心からナチスに協力したのではなく、真実は、軽蔑していたに違いない。そして、自分を必要としているベルリンフィルを見捨てることはできないという感情もあったろう。カラヤンは、党員にならなければ、指揮者としてのポストをえることはできない法律になっていたから、ただそのために入党したといえる。カラヤンが、反ユダヤ主義者でなかったことは、夫人がユダヤ人だったことでわかる。特別露骨に協力したわけではないし、既にポストをえていたから、入党する必要もなかった他のひとたち、ベームとかヨッフムなどが、フルトヴェングラーやカラヤンに比較して、問題はなかったともいえないだろう。
ゲルギエフで、解せないのは、彼の故郷でもあるオセチアが、ひどい紛争状態になったとき、彼は本当にショックを受けて、ヨーロッパのひとたちに訴えていた。戦争状態になって、人々が死んでいくことに耐えられないという風だったらしい。では、ロシアがウクライナ人をそのような目にあわせていることについて、彼は何も感じていないのだろうか。もともと、ゲルギエフを好んで聴いてきたわけではないのだが、今後は、聴くことはないだろう。チャイコフスキー・コンクールの中心的な人物になっていたことは、彼のロシアにおける位置からして、ことわることはできないのだろうが、それでも、残念な気がする。
当初あいまいな態度をとっていたソプラノのネトレプコは、明確にウクライナ侵略への否定的見解を表明し、西側での音楽活動を継続している。おそらく、その代わりロシアでの活動はできなくなっているに違いない。既に、オーストリアで居住していたために、態度を明確にできたという面もあるようだ。
参加した日本人は、どうなのか。もちろん、コンクールに出るからには、まだ若いひとたちだし、音楽家として生きていくためのステップとして活用したいということは、当然のことだろう。また、どのように勉強しているのかにも影響するだろう。日本からは、ロシアに多数留学しているから、ロシアに居住して、音楽を学んでいる人もいるに違いない。そういう人たちは、先生からぜひでるようにいわれて、ことわるのも難しいかも知れない。そして、ウクライナの状況をあまり知らないということも十分に考えられる。だからといっ
て、それでいいのか、とも思うが。
ただ、日本や西側の国で勉強している人が、現在ロシアのコンクールに出場するということは、やはりかなり残念なことだと思ってしまう。昔ならいざしらず、現在は、有力なコンクールはたくさんある。日本や西側の国で住んでいる以上、ウクライナの状況は、いやでも知っているはずだ。
非難するつもりはないが、残念ではなある。