読書ノート『水を守りに森に 地下水の持続可能性を求めて』山田健(筑摩書房)

 近年読んだなかで、最も引き込まれた本だ。大抵の本は、途中で休止するのだが、この本はまったく休みなく読了した。筆者は、長くサントリー社内でコピーライターの仕事についていたためだろう、文章のテンポがよく、しかも、ときどきジョークをうまくはさむので、飽きることがない。そして、内容も非常に重要で、しかも、これまでの誤解をいくつも解いてくれる。そして、持続可能性の取り組み、SDGsと呼ばれて、流行になっているが、実は非常に複雑で、簡単ではないのだ、ということを、あらためて認識させてくれる。
 
 サントリーは、アルコール飲料と清涼飲料を主力とする企業だから、よい水は生命線である。よい水は豊富な地下水によってえられる。水は自然の資源だが、水資源がよい状態で確保できるかは、ひとの努力による。開発が進み、自然が破壊されていくと、水資源も枯渇してしまうのである。そこで、サントリーは企業をあげて、水資源の保全に取り組んでいる。その中心となっているのが、本書の筆者で山田健氏である。

 本書を読んで驚いたことが、いくつもある。
 まず、日本は水資源が最高度に豊かな国だったと思っていたが、実は、人口一人あたりの水資源は、かならずしもトップではないという。大量の雨が降るから、多いという印象があるが、一人あたりでは、世界の平均の4分の1しかないのだそうだ。しかも、日本は、山地が圧倒的に多く、従って、急流が多く、川を流れている水が、どんどん海に流れ込んでしまう。そして、地下水にしても、地下に留まっている年数が、かなり短いのだそうだ。川の水の利用は、ダムをつくることで、向上するのだろうが、地下水は、森を保全する必要がある。
 第二の誤解は、日本は森林が多い国だから、地下水の保全は、有効になされていると思っていたが、実は、森といっても、雨を地下水にすることができるためには、森のあり方が、水を保全しやすいようになっていなければならないのに、日本の多くの森林は、保水力が低下しているのだそうだ。
 森林は、実は雨が降っても、木の葉に留まって、その多くは蒸発してしまうので、森があるから地下水か増えるという単純なものではないという。だから、雨が多く、木や草などによって、水が留まる分が多いと、地下に浸透していくのだが、森にある木の種類や、草の生え方によって、浸透の具合は異なってくる。だから、森の、目的にそった管理が必要となるわけだ。
 戦後、木材をとるためのコストが高騰し、輸入材に頼るようになって、森が放置され、荒れてしまったことは、よく知られていることだ。そして、開発によって森が伐採され、土壌流出も起きやすくなっている。大量の雨がふると、土石流が発生したり、崖崩れが起きたりしやすくなっている。地下水になるどころではない。
 
 こうした状態を改善するためには、人間の努力と多大なコストがかかる。適宜伐採が必要だが、荒れた森林だと、伐採するために道具を運ぼうにも道がない。そのために、道をつくるところから始めなければならない。そうして、伐採が可能になっても、技術をもったひとが切らないと、倒れ方で周囲を傷つけたりする。思った方向に木が倒れるように切る技術は、簡単なものではないそうだ。伐採や森の保存には、費用がかかるが、山田氏を中心とするサントリーが、自治体や森林組合、森林所有者などをまとめて、保全の費用をかなり負担し、伐採して売れた木材の利益は、伐採したほうがえる、その代わり、サントリーは、良質な水を確保できるというわけだ。そうやって、win-winの関係を構築しながら、事業を進めている。
 森の保全といっても、地域や気候、そしてこれまでの木の種類など、それぞれの森に応じて、必要なことをしなければ、逆に保水力がなくなってしまうこともあるそうだ。だから、様々な分野の専門家の協力をえて、調査して、最適のやり方を編み出すことにも、注力している。
 印象的だったのは、日本全国で鹿がふえていて、保水力の保持のために必要な森林の草をどんどん食べてしまうという被害が深刻だということだ。戦後、鹿が絶滅しそうになったために、過度の保護になって、甚大な被害をもたらすほどに増えている。しかも、狩猟が許可されても、狩猟するひとが少ないので、解決が難しいということだ。生物の多様性保持が、外来種が入ってくることで、簡単に壊されてしまう例が多数紹介されている。
 
 このように、森の状態の改善に関する、様々な知識をえられたが、私が最も驚いたのは、自らの企業の利益のためとはいえ、かなり長期的な取り組みが必要であり、コストがかかり、結果の保障がない事業を、サントリーという会社が、山田氏の提案を躊躇もなく同意して、山田氏が思う存分活動するのを認めている点だ。山田氏によれば、サントリーという会社が、創業からもっていた息の長い事業が必要だったということがあるのではないかという。つまり、ワインつくりのために、ワインに適したぶどうの種類を見つけ出し、そして、それを育てる。よいぶどうがえられるまでに、20年以上かかるわけだ。そして、できたワインもウィスキーも、長年寝かせることでよくなる。そうした企業だから、よい条件を獲得するためには、何十年かかるのは不思議ではない、という意識が企業のなかに根付いているようだ。
 これは、近年の日本の研究や企業経営で、非常に薄くなっていることなのではないかと思うのである。成果を速く生まなければならないという前提で、計画をたてていく。仕方ない面もあるが、やはり、長期的な視野と計画があってこそ、そして、短期間での結果を求めないことも、安定した事業や研究が可能になるのだろう。
 そのことを確認できたことが、本書を読んでの最大の収穫だった。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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