大学の教職課程で、現場出身教員採用枠義務化?

 最近、文科省は、教員養成に関して、矢継ぎ早に政策を繰り出している。教員採用試験の応募数が減少し、教員へのなり手が減っていて、更に現場では教師不足が深刻になっていることに、よほどあせっているのだろう。私は、20年以上前から、やがて日本も教師不足になると警告していたが、それは、文科省の政策が、どんどん教師への魅力を低下させているから、確実に教師不足になると予測できたわけだ。同様の見解をもつひとは、少なくなかった。今更というより、あせっている割には、基本的な政策転換ではなく、これまでの誤りを糊塗するようなことばかりだしていることに、失望してしまう。
 教職単位を2年で取得できるとか、教員免許をもたない社会人を採用できるようにする、などということを提起してきたが、そのようなことは、現在の制度でできることで、特に新しいことではない。教職の免許取得は、完全な単位制だから、単位が取得できれば、4年かける必要はなく、教職課程をおいている大学が、どのような履修を可能にするかによって、何年かけるかが決まるのであって、それも柔軟にしている大学もある。私が所属していた学部は、中高社会の免許取得が可能だったが、2年生から授業が始まるので、3年かかるし、予め登録しておかなければならないので、ほとんどの学生はそのルールに従っていたが、特別な理由で、3年からの登録も認めていたので、数名はそうした短縮期間で取得したと記憶する。それに、通信などでは、小学校免許でも2年で取得可能だ。

 免許をもたない社会人のために、臨時免許や特別免許などの制度があり、これまでも何人もの教師が生まれているから、これも特に新しい政策ではない。しかし、今回新たに提起した現場教員の教授採用の「義務化」は、新しいといえる。
「教育学部の教授に小中高教員経験者、起用を義務化…文科省方針」
 
 これはどうなのか。2026年度以降の学部新設や改組が対象というので、現在ある学部には当てはまらないが、そうした行政指導はなされるに違いない。
 私は、教員に限らず、様々な分野で、現場で働いていたひとを、教授として迎えることは、基本的に賛成である。経済学部や経営学部に、企業経営者、企業人、法学部に、政治家、議員、官僚だったひと、社会学部にジャーナリスト、等々、それぞれの分野に、専門的な知見をもって働いている現場のひとがいるわけだから、そうしたひとの経験や知見は、学生にとって、学びがいがあるに違いない。だから、教職経験者を教員養成課程で活用することは、多いにするべきだし、また、実際に行なわれている。
 しかし、現場の教師たちには、長所がある代わりに、欠点もある。長所は、なんといっても、長年実際に教師として教育活動をしてきたわけだから、そこで蓄積された経験的知識は、多いに参考になる。しかし、それはまた欠点にもなりうるわけである。というのは、経験的知識は、そのひとが更なる研究心をもって学び続けないと、その人の経験に囚われた知識に留まってしまうことである。教育方法は、実に多様であり、一人の教師が、たくさんの方法を駆使することは、通常ない。だいたい、自分のよしとするものを採用して、それを深めるものだ。そうすると、その人の経験した活動方法以外のものに、学生は触れににくくなる。更に、自分がよしとする教え方に、固執し、他を認めないようなことになれば、かなり大きな弊害となる。
 教育実習にいった学生で、指導の教師が法則化運動(TOSS)の実践者で、違う方法で授業を行なった学生を、まったく評価せず、自分のやりかたを押しつけたので、実習生は効果的な実習をすることができなかったことがある。しかし、その教師は、その分野では評価の高いひとで、実践記録なども書いているひとだから、それが業績となって、大学に採用されるかも知れない。大学にきても、一面的な授業方法を教授するかは、別問題だとしても、現場教師のそうした弱点は、十分に考慮すべきことだ。しっかりとした業績があるか、大学教師としての力量と柔軟性かあるかをしっかり見きわめて採用することが必要であり、枠を埋めるために、少々疑問のひとも採用してしまう、などということが起きてしまう可能性もある。枠の義務化というのは、やはり、慎重にすべきであろう。
 
 どうしても、大学という大きな人材配置のプールを対象にして、公務員の再雇用先(天下り先)を確保しようという、姑息な姿勢が感じられてしまうのである。
 
 もちろん、研究者には、逆の長短がありがちであることも、間違いないから、理想的には、両者の補完的な協力がなされることだろう。だが、そうした協力体制というのは、自由ななかで行なわれるものであって、強制されるものではない。教育のなかで、権力的な強制や規制ほど、マイナスな作用はないのである。いくら現場の教師を採用せよ、ということが正しくても、量的に義務づけるのは、かえって、その効果を台無しにする危険性が強いと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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