文春オンラインで、紙の健康保険証をマイナンバー・カードに一体化して、紙を廃止するのは、老人ファシズムであり、また、リベラルのラッダイト運動であるという批判を展開している。紙の保険証問題については、前にも書いたが、こういう議論がでているので、反論せざるをえない。
まず、私自身は、高齢者であり、かつ後期高齢者になってしまった。しかし、紙の保険証をマイナンバー・カードに一体化して廃止することについては、原則的に賛成である。医療情報が統合されて、より合理的な医療が可能になるという主張が、文春オンラインでなされているが、その点については、あまり納得していない。今後の医療についてはそうだろうが、これまではそれぞれの医療機関における診察内容は、各医療機関のカルテに記載されていたはずであり、電子カルテがかなり普及しているとしても、紙の情報がすべてデジタル化されているとは、とうてい思えない。とくに、高齢者ほど、デジタル化されていない情報が多いに違いない。すると、マイナンバー・カードに統一するといっても、少なくともより便利になるのは、比較的若い世代であって、高齢者はその利点は小さいに違いない。それとも、各医療機関にたいして、紙のカルテの情報をすべてサーバーに蓄積することを義務化しているのだろうか。その点については詳しくないが、常識的にそのようなことがなされているとは思えない。カルテをパソコン上で処理できるようになった時点以降は、そうした作業も義務化すれば可能だろうが。
そういう意味で、医療が合理的になるということについては、高齢者にとっての利点は若い世代に比較して、薄いとおもわざるをえないので、老人ファジズムというのは、正当な批判とは思えないのである。
文春は高齢者が嫌いらしいが、レストランでのタブレット注文について、高齢者が使い方を志郎ともせず怒っている様を描写して、老人ファシズムの一例にあげている。私自身は、最近なれたのでとまどうことはないが、はじめてこのタブレット注文の店にはいったときには、少々戸惑った。そうしたら、店のひとが丁寧に教えてくれたので、注文に困ることはなかった。だれでも最初は、戸惑うものだ。おそらく、文春の記事が非難している老人も、はじめてのことで戸惑ったのだろう。まだまだ過渡期のことなのだから、そうした客がいることを想定して、教えてくれるスタッフを容易にするとか、忙しいときにできないときには、何らかの紙での説明書を置いておくとか、店側の工夫も必要だろう。
にもかかわらず、私が紙の保険証を廃止することに賛成するかといえば、紙の保険証が身分証明書として他人によって使われているという不正があるからだ。現在、身分を証明するものは、パスポート、車の免許証、マイナンバー・カード、保険証が基本的なものである。このなかで、写真がないのが唯一保険証である。だから、他人が使っても、他人であることがわからない可能性がある。保険証は各人にひとつしかないのだから、そして、原則的に日本国民は全員がもっているのだから、身分証明書として使用するのは合理的だが、しかし、時代の変化・社会の変化で、写真のない身分証明書などは、社会的に通用させるべきではないという状況になっている。だから、健康保険証に写真をいれることを義務つけるか、マイナンバー・カードに機能をいれるかのどちらかで対応すべきことは、当然だろう。
前回書いたので、詳しくは書かないが、マイナンバー・カードの新規発行や再発行に関して、もっとも便利なような準備をすべきである。現在のやり方では、やはり面倒だと感じる人が多いのではないだろうか。マイナンバー記載の書類あるいはカードをもっていけば、その場で写真をとってくれ、カードを短時間で発行してくれるような状況にならないと、やはり、全国民対象に強制するしても実効性がないだろう。
それから、高齢者はみなデジタル音痴のような書き方は、いかがなものかとおもう。