熱中症で体育の授業後死亡

 北海道で、小2の女子が体育の授業のあと、教室に帰る途中で倒れ、死亡したという。「熱中症疑い “小2女児” が死亡 体育の授業後に倒れる… 北海道伊達市 最高気温33.5℃ 統計開始以来で一番の暑さ」
 近年、文科省の指導なのか、授業日数を確保するために、かなり無理な日程が組まれることが多い。北海道などは冬の休みを多くするために、8月から授業を開始するのは、以前からだったが、東京などでも、そういう学校が多くなっている。ところが、夏の暑さは、以前とは比較にならないくらい酷くなっており、この事故が起きたときにも統計開始以来の暑さだったという。近年は、教室にはエアコンが設置されていることが多くなっているから、(北海道の学校はどうなのかわからないが)教室での通常の授業は、特別問題ないとしても、体育の授業は、まったくの炎暑のなかで行われることになる。体育館は直接の日差しがないだけましかも知れないが、熱いことにかわりはないだろう。

 天気予報などで、熱中症の危険性はくどいほど流されているのだが、学校ではどのような対応をとっているのだろうか。外にでることは、できる限り避けるように、という注意が、テレビやラジオ、そしてネットで流されるのだから、そもそも体育をやること自体に問題があるといえる。これは誰でも考えることだろう。
 
 このような場合の、授業の割り振りの変更を、学校に対して認めるべきだろう。外にでること自体が、かなり危険な天候であれば、外で体育の授業をするなどは、子どもたちを生命の危険に晒すことである。だから、体育をやめて、他の教科にふりかえる。その代わり、天候が体育にふさわしい時期になったら、体育の授業をより多めに行う。少なくとも、その程度の変更裁量権を学校に認めるべきであろう。この死亡事故は、ほぼ確実に訴訟になり、多額の損害賠償を課せられるに違いない。小学校2年生なのだから、未来は長く、希望に満ちたものになったと考えられるから、賠償金も相当になる。こうした天候のなかで、体育の授業を強制することで、こうした哀しい事故がおきることは、充分に予想されることである。授業の割り振りを変更することで、そうした事故そのものと、それに付随する多額の賠償金の発生を防ぐことができる。賠償金といっても、税金である。
 
 東京オリンピックのことを思い出してみよう。1964年のオリンピックは、10月に行われた。それは、通常の8月は暑いので、スポーツをするのにふさわしくない。それで、スポーツに好ましい10月に延ばしたのである。2021年のオリンピックのときには、招致運動のなかで、8月は快適な天候だ、と真っ赤な嘘をついたのだが、それでも、暑いことは誰でも知っており、かなりの対策をとった。それでも危険ななかで行われたことにかわりはない。世界最高のアスリートでも、危険な天候であることが危惧されていたのである。涼しいということで、北海道に変更して行われたマラソンは、通常より途中棄権が多かった。まして、特別強いわけでもない子どもが、この炎天下で体育をさせられたら、事故がおきるのは当然ともいえる。数年前に、校外学習に徒歩ででた小学生が、やはり熱中症で亡くなったこともある。
 現在のシステムで可能な対応は、授業振替の権限を学校に与えること、そして、危険な天候のときには、けっして体育をしないことを、徹底させることだろう。
 
 より徹底した改革を考えるとすれば、現行の学校体育のシステムを変更することだ。あるいは、体育は専科にすることだ。そして、体育の教師には、安全なスポーツをするための知識を、養成課程のなかで、徹底的に修得させることである。学校の授業における事故で、体育が最も多いことは周知のことだ。子どもに限らず大人でも、身体能力の差は非常に大きい。そうした能力差のある集団をひとまとめにして、スポーツをさせることは、そもそも危険なことだが、学校の体育の授業としてそうせざるをえないとすれば、指導者と施設を、より個人差に対応できる、また常につきまとう危険性を認識し、対応法を修得している教師が担当することが必要なのである。小学校の学校体育で、担任が教えることは、そういう意味では最悪の方法なのである。
 外部の専用体育施設を使う社会体育であれば、そこにいる指導員が教えるので、小学校の担任よりはずっと専門的な指導が可能である。専門的な指導とは、より高い技術を教えられるということではなく、楽しく、安全に教えられるということだ。専門の施設だから、ゆとりをもって施設を使える。つまり、個人差に対応しやすくなる。これが理想的だろう。
 しかし、それには多くの体育施設がなければならない。したがって、すぐに可能なわけではないが、小学校の体育を専科の教師が教える態勢への移行は、より容易に実現できると思われる。とりあえず、体育専修でまなんだ教師を、研修等で安全教育を修得させて、専科にすることで、ある程度対応できるし、その後の採用で必要な数をそろえていけばよい。
 私は、小学校の全体的な専科教師の制度には反対だが、主要5教科以外は専科がよいと思っている。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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