一週間間があいた(前号はお盆のための二週間分合併号だった)『週刊文春』の最新号を早速読んだ。前回は、木原氏のデリヘル問題だったので、この事件の軸である警察官による犯罪の、警察機構あげての隠蔽という側面から、軌道修正を図ったのか、と訝しく思った点もあったのだが、やはり、真っ向から警察と対決するという記事構成をしてきた。あくまでも、一週刊誌の記事だから、絶対に正しいと受けとっているわけではないが、ただ、私自身、文春記者の取材をうけたことがある経験から、『週刊文春』の取材の徹底度については、充分に認めているので、いいかげんなことを書いているとは思わない。私がうけた取材というのは、私のかつての職場(定年退職間近だったのだが)で、ある事件をおこした教授がおり、すぐに、我が家に記者が取材にやってきたのだ。職場が、この件について取材に応じないように、という指示がでていたので、特段話しはしなかったのだが、とにかく、すぐに自宅までやってくるその取材の徹底度に感心したことは確かだ。「すごいですね、なぜ、ここがわかってのですか?」と聞いたら、「われわれもプロですから」と答えていたものだ。そして、職場から、話さないようにという指示が出ているのだ、と説明したら、了解してくれた。だから、無理な取材をして、取材源が応じていないのに、無理矢理こじつけで書いているとは、思えないのである。そして、文春の記事と、警察の発表していることとを比較検討すれば、警察の発表の「真実味のないこと」は歴然としている。
さて、今回の記事だが、主に警察内部の、2006年の木原夫人の元夫の変死事件に関して、内容を知った多くのひとが認識している「殺人」事件であることを、否定して、自殺であるという「統一見解」で押し切ろうとしている、その動きを紹介している。警察庁長官が、警視庁刑事部長に、事件をもみ消せ、と指示して、刑事部長以下計3名で相談し、自殺の論理を構築するべく、知恵を絞ったようだ。そして、その結果を反映してか、死亡した元夫の父親と姉が、地域の警察署に呼ばれて説明をうけたようだが、そのときの警察の説明が、素人でもわかるようなでたらめなものだったということが紹介されている。自殺ではなく、他殺である決定的な証拠として、これまで紹介されてきたこと、「ナイフに血がついていなかったこと」「滴り落ちた血痕が死体のあった部屋から廊下にまであったこと」に対して、「刺したナイフを引き抜いたときに、堅い肉片で血が拭われた」、「死体を警察が運び出すときに、血が滴り落ちた」と説明したというのである。それに対して、おそらく文春の記者が確認にいったのだろう、実名告白した、再捜査のときの担当刑事が、死体を運びだすときには、専用の袋にいれるので、絶対に血が滴り落ちることはない」と断言している。そして、天井にまで飛び散ったほど大量に出た血がつかないでナイフを抜き取ることなどない、というわけだ。それにも、そもそも、自殺者が、自分でナイフを抜き取ることなどしないだろうし、また、しようとしてもその力はないとされている。
つまり、警察は、正規の説明として、まったくでたらめを遺族に対しておこなっているのである。この事件は、すでに、大手メディアは報道していないにもかかわらず、広く知られる状況になっている。そして、遺族側も「真実を知りたい」と訴え、『週刊文春』が徹底した報道をしている以上、公的機関が嘘をつけば、すぐに国民にそのことが明らかになるのである。警察機構は絶大な権力をもっているが、徹底抗戦している出版社は、論理で闘うことになるから、負けない闘いが可能である。
警察に勝ち目はない。少なくとも、道義的に完全に敗北している。
しかし、それにしても、不思議なのは、何故警察はこれほどまでに、隠蔽工作をしようとするのだろうかという点だ。犯人と思われるのが、警察官だからだが、(捜査にあたった刑事たちが、ほとんどそう思っていたようだし、この間情報を調べたひとも、そう思っているだろう)いまどき警察官の事件などは、いくらでもあるではないか。そして、警察官だからといって、特別に市民の猛反発がおきるわけでもない。警官だって人間なのだから、そういうひとがいてもおかしくないという程度に受けとられるのではないだろうか。むしろ、警察官が事件をおこして、警察官であるが故に、捜査が打ち切られたり、あるいは軽く処理されたりすることに対してのほうが、ずっと人々の怒りは大きいはずである。だから、この事件の真犯人が警察官だったら、逮捕し起訴すればいいのではないだろうか。そうすることによってこそ、警察の信頼を回復することができると思うのである。これまでの報道をみれば、警察が、これは事件性がないといくらいっても、情報にアクセスしているひとは、まったくそのまま受けとることはない。警察はいつまで嘘をつくのか、という反応になるだけだ。
もちろん、新聞やテレビでは報道していないから、知らないひとも少なくないだろう。しかし、ずっと、新聞・テレビがこの事件を無視し続けるとしたら、それはそれで、非常に恐ろしいことだ。『週刊文春』の記事を読むと、密かに情報を提供している警察関係者がいることがわかる。それは、あきらかに上層部が国民にむかって嘘をついており、そして、本来の警察の任務(事件を捜査して、犯人をつかまえる)を抑圧していることに対する、まっとうな怒りからだろう。警察内部のひとたちですら、そうした正義感をもって行動しているひとがいるのに、新聞・テレビのひとたちは、どうなっているのだろうか。この警察とメディアの体質に注目していく必要がある。