アシュケナージのこと

 今年はこれまでまったくCDを購入しなかったのだが、アシュケナージの室内楽総集編がでることを知って、今年最初のCDの買い物として、アシュケナージのボックスを注文した。ソロと室内楽だ。以前協奏曲がでていて、これは購入していて、けっこう聴いていたのだが、まだ注文の品がこないので、いくつか協奏曲を聴いてみた。ラフマニノフの4曲とパガニーニ狂詩曲がはいっている2枚を聴いた。バックはハイティンクとコンセルト・ヘボーだが、これまで聴いていた他の演奏とはちょっと違う感じがした。ゆったりと穏やかで、余裕がある感じというところか。
 アシュケナージとハイティンクは、他にも共演していて、ベートーヴェンの協奏曲の全曲映像版もはいっている。アシュケナージがかなり若いころのものだが、すでに大家の風格がある。

 アシュケナージとハイティンクは相性がいいのかは別として、ふたりの演奏家としての姿勢には、共通点がある。それは、「全集魔」ということだ。とにかく、ふたりは「全集」をたくさんつくっている。ハイティンクは、すべてはわからないが、ベートーヴェン・ブラームスなどは当たり前のこととして、ショスタコーヴィッチの全集をつくっている西欧の指揮者としてはめずらしい。ブルックナーとマーラーの両方の全集を録音しているのは、ほかにインバルとマゼールくらいではないだろうか。指揮者は、ブルックナー派とマーラー派に別れるところがあって、だいたいどちらかに偏っているものなのだが。作品を神に捧げたブルックナーと、死を描き続けたマーラーとでは、指揮者にとって水と油なのかも知れない。
 アシュケナージも、とにかく、全集が多い。著名作曲家のピアノ協奏曲は、モーツァルトも含めて録音しているうえに、ショパンの個人全集やシューマンもほとんど録音している。さらに、パールマンやシフと組んで、バイオリンソナタ、チェロソナタ(ベートーヴェン・ブラームス)そして、ベートーヴェンやシューベルト他のピアノトリオまで全集やそれに近く録音している。これほど多彩なジャンルで、全集を録音しているピアニストは、他にまずいないと思われる。以前は、ベートーヴェン弾きとショパン弾きはかなりはっきりわかれていたが、アシュケナージは、その双方の全集をつくっていることが驚きだ。そしていずれもが、トップレベルの出来ばえだ。
 
 これだけたくさんの録音をしていると、いかにも粗製乱造という危惧があるが、アシュケナージに関しては、がっかりするようなできの録音は、少なくとも私が聴いたなかでは皆無である。他方、ポリーニのように衝撃をあたえる演奏はない。ポリーニが長い沈黙のあと、演奏活動に復帰して、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」、ショパンの「演習曲集」、そして、ベートーヴェンのハンマークラビアをだしたときに、音楽界に与えた衝撃は、いまだに覚えている。吉田秀和が、ショパン練習曲集レコードの帯びにつけたコピー「これ以上何をお望みですか」というのは、聴いた人みなが、ほんとうにそうだと思ったものだ。
 だが、ポリーニは、そういう衝撃をあたえ続けたために、衝撃を期待する雰囲気が強くなり、次々に録音をだすことはなかった。そういう意味でアシュケナージとは対照的な、しかし、20世紀後半を代表する二人だったことは間違いない。(ふたりともまだ現役だが、全盛期はやはり20世紀だった)
 
 ハイティンクと似ているのは、全集魔ということだけではない。音楽の解釈に奇をてらったところがなく、非常に素直な音楽つくりをすることも似ている。そして、最高度のテクニックをもっているために、作曲家が求める音楽を、アシュケナージは、まったく無理なく表現できる。だから、かなり多様な作曲家の曲を、全集として録音していても、みな同じようなアシュケナージになるのではなく、それぞれの作曲家によりそう演奏になっている。
 
 私が協奏曲ボックスを購入したのは、実はある一枚が聴きたかったからだった。その一枚は単体では当時入手できなかった。それはアシュケナージがショパンコンクールで2位になった記念で録音された2番の協奏曲だった。周知のように、このときの2位は実際には一位で、当時のショパンコンクールの審査を支配していた政治的思惑で、2位になっただけで、だれもが1位だと思っていたらしいし、そして実際その後の活躍からしても、それははっきりしていた。大分前にFMでこの演奏を聴いて、そのあまりのすばらしさにいつか購入したいと思っていたのだが、どういうわけか、ショパンコンクールの優勝者は、その後ショパンの協奏曲を録音しないような傾向があって、実際にアシュケナージもポリーニも、ライブで演奏はしても、録音はしていない。
 2番はその後、ポリーニのすばらしいライブに接して、どうしてもいい演奏がほしくなり、アシュケナージのボックスにはいっていることを確認して、購入したのだった。(ポリーニは2番をまったく録音していない。)その後何度もきいたが、やはり、すばらしい。2番の2楽章は、ピアニストの音楽性が、はっきりとでる曲だ。50年代の録音だから、古いのだが、音はすばらしい輝きでとらえられている。コンクールの優勝者が、大家になって録音しないのは、あのような曲は青春時代だからこそ、味がだせるという感じがあるのだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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