「鬼平犯科帳」殺人者となった武士の処遇

 鬼平犯科帳の魅力のひとつは、人間を単純なパターンに押し込めない点である。人は悪いことをしつつ、善いことをする、善いことをしながら、悪いことをする、善人と悪人の差は紙一重だというのが、基本にある。だから、盗賊であっても、許して密偵にする場合もあるし、容赦なく磔の刑にしてしまう、あるいは切り捨てる場合もある。
 そして、自分の部下も悪事に染まってしまう例がけっこうある。その事後措置はけっして一様ではない。

 悪事が深刻で重大な場合には、平蔵自身が切り捨ててしまう。「殺しの波紋」では、与力の富田達五郎は、殺害現場を見られてしまい、みた人物が、弟を富田に殺害された竹松であったために、100両もってこいと脅迫される。そして100両つくるために辻斬りなどをしていることが発覚して、平蔵に切られてしまう。お吉なる女性を恐喝していた黒沢勝之助は、お吉が雇った殺し屋に切られそうになるのを平蔵が捕縛し、切腹を命じる。だが、美人局にひっかかった佐々木新助は、盗賊改方の警備情報を盗賊側に伝え、更に盗みのさいの見張りまで勤めてしまう。そして、平蔵に悟られたと錯覚して、お才をとらえようと乗り込むが、逆に盗賊達に切られてしまう。平蔵は真相をしったが、だれもそれを知っていないこともあり、新助が、秘密の探索を行っている最中に逆に殺害されたということにして、業務上の死という扱いにしてしまう。(「あばたの新助」)これは、新助の罪はかなり重いはずであるが、平蔵が温情をかけた事例となる。より微妙なのは、「狐雨」の青木助五郎の事例である。青木は、若いころに出入りしていた盗賊と情報のやりとりをして、彼に便宜をはかり、また小物の盗賊の情報をえて手柄としていた。そのことを平蔵に察知されたと思った青木は、狐に取りつかれた風を装って、とりついた狐が自白をする。その後重病となるが、死亡したかどうかは書かれていない。
したがって、青木が罰せられることもなかったようだ。
 このように、与力、同心の場合には、それぞれの悪事によって、平蔵はかなり異なった対処をしている。
 
 しかし、特に、平蔵と親しかった侍の場合には、かなり部下とは異なる対応になるように、物語を結んでいる。
 「泥鰌の和助始末」に登場する松岡重兵衛は、若いころ平蔵が通っていた道場の指南の一人だったが、実は盗賊であり、一度だけ盗みの手伝いをしそうになったとき、松岡が、叱ってくれたというできごとがあった。その松岡が、久しぶりに、盗みの手伝いをするのだが、結果として、他の助っ人にだまされて、獲物をとられた上に、殺害されてしまう。優れた剣豪である割には、少々不自然なことだが、瀕死の状態の松岡のもとに平蔵がかけつけ、そこで息をひきとる。
 松岡が盗みに加わっているかもしれないというときに、平蔵と左馬之助の間で、捕らえるかどうかの論争がなされるが、平蔵は捕らえるといい、左馬之助はそれを非難することがあった。
 「高杉道場・三羽烏」では、平蔵、左馬之助とともに三羽烏といわれた長沼又兵衛は、いまや盗賊の首領となっている。そして、粂八の「鶴屋」で密談をしていた手下の話で、計画が平蔵に知らされ、高利貸しをして暴利をむさぼっていた僧侶を襲うことになっていた。その寺に一時的に泊り込んでいた平蔵が、又兵衛と合い交え、切腹せよ、そうしたら家名を傷つけないようにするというが、受け付けない又兵衛を切り捨てる。
 「乞食坊主」で、平蔵の昔の剣友井関録之助は、ふとしたことで盗賊二人の会話をきいてしまったために、盗賊がやとった刺客に狙われる。その刺客は、また平蔵の同門の菅野伊介だった。菅野は貧乏御家人の息子で、家が潰れ、結局殺し屋になっていた。そこでたまたま録之助の殺害を依頼されたのである。そこで、録之助は平蔵のところにやってきて、事情を説明し、菅野の助命を頼むのだった。平蔵はそれへの回答を与えないまま、井関に協力を求め、最終的に、会話をきいた盗賊たちの盗みの現場を抑え、逮捕にいたるが、これから、菅野と話をしにいこうという朝に、菅野自害の知らせがくるのである。
 小説では、ここでそのまま終るが、ドラマでは、井関が、自害の知らせをうけて、平蔵に、「あなたは、菅野が自害をするのを知っていたね」といって、そうしむけたかのように平蔵を非難する場面を創作している。この違いは、興味深い。
 そして、「霜夜」では、たまたま料亭のとなりで食事をしていた池田又四郎に、平蔵は気づくが、声をかけることなく、あとをつける。池田又四郎は、若いころ、平蔵が継母にいじめられ、跡継ぎのために養子をとるなどと継母が主張していたときに、それなら又四郎を養子としようと目論見、かつ継母の殺害を目論む、という過去があった。又四郎は、拒否し、交流が途絶えるのだが、やがて又四郎は江戸から出奔してしまう。平蔵がみたときの又四郎は、盗賊の仲間になっており、盗賊を裏切った女の殺害を命じられたのだが、女はかつての妻の妹であったために、殺害を躊躇していた。それで歩き回っていたし、また、仲間に催促されていたのである。事情をわからないままに帰宅した平蔵のところに、又四郎からの手紙が届けられており、事情を説明して、平蔵に助けをもとめていた。しかし、平蔵を会えなかったために、盗賊たちと闘う決意をしていたのだった。そして、日時と場所を指定していたので、そこにかけつけると、仲間の盗賊たちをうちとったが、自身も重傷をおっており、結局平蔵の下で死んでしまう。
 昔の親しい友人であった者が、盗賊となっていた武士たちの事例は、これだけだと思われる。そして、いずれも、彼らを死んでいるのである。平蔵自身が切り捨ててしまうのは、長沼又兵衛だけだし、いかにも、助命の意思があるかのように思われた菅野も、結局平蔵の意思を察したのか、自害してしまう。
 この意味を、いろいろと考えてしまう。
 やはり、武士である以上、悪事を働いてしまった者は、最終的には罪を償う必要がある。武士ではない町人の盗賊は、悔い改め、殺人などおかしていない場合には、密偵としてつかうことはあっても、それは武士にはあてはめることはできない。そういう意思を明瞭に表わしているとも考えられる。
 しかし、そうではないのかもしれないとも思えるのである。いずれの場合も、優れた剣客なのだから、密偵というより、左馬之助のような助っ人として活用することは、充分に可能である。そうする試みをあってもよいはずである。池波正太郎も、そういうことを考えたに違いない。
 だが、結局は、与力・同心も含めて、武士たるもの、死罪にあたるような悪事をなしたときには、情状の余地はないのだ、という「倫理観」を押し出したと考えるのが妥当だろう。それにしても、最近の自民党の「悪事」をまったく反省しない姿勢には、呆れてしまうのである。
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です