五十嵐は、教育学の中核に「教育実践」という概念を常においていた。最初の論文集『民主教育論』でも、教育実践が、教育研究に先行し、また中核を占めることを強調している。しかし、他の概念もそうだが、五十嵐の教育学概念のなかで、「教育実践」がいかなる内実をもっているのかは、明確でない。少なくとも、常識的に考えられる教育実践よりは、広い概念であると考えられる。常識的に考えられる教育実践は、(私の考えに過ぎないが)教師が教室で行う授業実践が中核となるといえる。しかし、五十嵐は、そうした教師の具体的な教室における実践を、ほとんど対象としていない。教育財政学が専門だから、当たり前ともいえるが、具体的に教室で授業を見ることは、何度もあったはずであるし、また、自身が教授として、大学で授業をしていたのだから、そういうなかで、実践分析をすることがあってもよかったのではないかと思うのだが、私が見る限り、そういう教育実践分析の文章は、ほとんどみられない。
そういう中で、唯一の例外ともいえるのが、生活綴方への言及である。そのひとつとして、「教育実践についての考察」という4回にわけて『教育実践』という雑誌に掲載された文章がある。まだ2回分しか入手していないのだが、今回、「上」という一回目の文章を読んで、驚いたことがある。(ちなみに、この五十嵐の文章は、恵那の生活綴方実践から触発されたものであるが、教師の指導を中心とした「実践」の考察というよりは、子どもの作文の分析を五十嵐なりに行ったもので、私のイメージでの「実践分析」とは異なる。)それは、魯迅の「藤野先生」へのコメントがあることだ。生活綴方に関する論文で、いきなり「藤野先生」がでてきたので、少々驚いた。
小学生が授業の一環として書く作文(綴方)と、職業文筆家である魯迅が書いた、一連の自伝的作品とは、あまりに違うし、また、時代も異なるのだから、私には、なぜここで「藤野先生」が登場するのか、いまだによくわからない。五十嵐自身以下のように書いている。
「彼の生前死後の日本・中国との関係および日本人民・中国人民の関係のなかで、魯迅の作品を考えるときに、教育実践は、このばあいは魯迅の側の光の照り返しのなかであるけれども、みずからの教育的価値の歴史をもっているのではないだろうかと考えたしだいです。
『生活綴方・恵那の子』別巻と、教科書検定問題と、魯迅の「藤野先生」のことをひとつの連関のもとにひきよせて脈絡をつけるまでにはいたっておりませんが、これらのことはしだいに教育実践の歴史ではなく、教育実践における歴史を考えるようにしむけました。しかし、教育実践における歴史といういい方はわかりにくいとおもいます。」
自身「脈絡をつけるまでにいたって」いないと書いているから、私が、「藤野先生」がここで語られていることに当惑しても不思議ではないだろう。ただし、私が当惑しているのは、「藤野先生」の読み方なのである。この作品は、教科書にかなりの頻度で掲載されているから、多くの人は内容を知っていると思うが、理系の国費留学生として日本にきた魯迅が、仙台の医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学し、解剖学の藤野先生との交流を書いたものである。最初の留学生であった魯迅が、講義を理解しているか心配した藤野先生が、魯迅の講義ノートをチェックして、添削してくれた。そのために、魯迅はまあまあの成績をとることができたわけだ。ただし、単なる美談としてだけ書いているわけではなく、魯迅が合格していることを疑った学生たちが、魯迅の不正を糺弾するという内容もあり、このチェックノートに、藤野先生がつけた印が、試験問題を教えているのではないか、などと難癖をつけられたが、最終的には、魯迅の説明によっておさまることになる。
そして、「藤野先生」には、もうひとつの大きなテーマがある。授業が早く終わり、時間があまると、幻燈をみせられることがあり、そのときに日露戦争で、中国人のスパイが日本軍によって処刑される場面が映り、中国人たちがそれを笑ってみているという場面に、魯迅がショックをうけたことが書かれている。ここには書かれていないが、「吶喊」という小説集の序に、このことがきっかけになって、医師になることを断念し、身体の病気よりは、精神の病気をなおすことが、中国人には必要であり、そのためには文学こそが武器となると考え、作家になることにしたと書かれている。
実際に、魯迅が仙台医学専門学校で、どのような日露戦争の幻燈をみたのかは、いろいろと研究されていて、しかも、魯迅のいくつかの作品での記述が異なっているために、「藤野先生」に描かれたことが、厳密に精確な事実であるかは、疑問視されているとしても、どこかで、スパイの処刑の場面をみて、医師から小説家に転向したことは、事実であると魯迅自身が語っているという。つまり、「藤野先生」という作品は、たしかに藤野先生に感謝をあらわした作品であるが、私にとっては、むしろ魯迅が人生の方向を変えるきっかけになったことが書かれているというほうが、重要だと思っていた。しかし、五十嵐は、その部分はまったく触れていないのである。ただ藤野先生が添削してくれて、それを生涯感謝していたという話だけをとりあげている。
だが、考えてみれば、生活綴方の実践の例としてあげられている作文は、いずれも、背景としてつらいことがあり、それを作文に書き、はげまされたり、あるいはより詳しく知りたいと望まれて、書き直していくうちに、認識や理解が次第に深化し、成長していくという内容のものだ。そういう意味では、「藤野先生」のなかでは、成績がよかったことを疑われたことを、友人の協力もえて克服したり、あるいは、スパイの処刑事件から、小説家になっていく内容のほうが、とりあげられている生活綴方実践と共鳴し合うのではないかと思うのである。
未読の部分で新たな展開があるのかも知れないが、この時点で「藤野先生」のとりあげかたには、かなり強い疑問を感じざるをえなかった。ただ、五十嵐はおそらく、とくにこうした現場の教育実践分析では、試行錯誤の部分が大きいのだろうと思う