五十嵐顕考察30 「教育財政学」はなぜ書かれなかったのか2

 五十嵐が、なぜ、教科書無償制度について、なんらふれることがなかったのかについて、前回簡単な想像を書いたが、実際のところは、よくわからない。当時の『教育』や『教育評論』などを読み返す必要があるが、今はそれが難しいので、「理由」は、おそらく、日教組に遠慮したということにしておこう。
 今回考えてみたいのは、教科書無償制度について議論の対象としなかったことが、教育財政論や行政論、そして、国民の教育権論として、どのような結果をもたらしたか、ということである。結論は、かなりはっきりしている。それは、当時の戦後改革を継承しようとしていた人が、共有していた「教育の自由」を、非常にぎりぎりのところで考えるきっかけを放棄してしまい、その後の「教育の自由論」が脆弱なままに推移したということである。

 教科書無償化措置までは認められていた、教科書の学校単位での採用は、その限りで、教師集団の教材選択権、つまり、教育の自由の重要な一部が制度的に認められていたことが、無償化に伴う広域採択によって、その権利・自由が剥奪されたことを、何ら理論的にも問題にしなかったということになる。それまで認められていた教育の自由の一部が剥奪されたのに、なんら対応理論を提示しない「教育の自由」論とは、何なのだろうか。私からみれば、実に白々しい感じすらするのである。
 
 問題を端的に示せば、公費、つまり国家が費用をだして、教科書を学齢児童・生徒に配布するのだから、どの教科書を選定するかは、国家機関が決めるという論理に、国家が費用を出したとしても、教師がそれを決める権限を認めることこそが、合理的である、そして、公費の使い方を教師たちが決めることが、恣意的にならないための方法はこうだ、という論理、政策を示すことが必要だったのである。
 しかし、こうした論点を説得的に構築する論理は、当時(その後もだが)の教育権論は、充分に掘り下げられていなかった。
 国民の教育権を最初に打ち出したのは宗像誠也だったが、その論理的出発点、あるいは、国民の教育権を考えた最初のきっかけは、「君が代を卒業式等で歌わない権利」は認められないのか、ということにあった。卒業式で、出席者が君が代を歌うことが、義務付けられることに対して、君が代は歌いたくない、しかし、それを権利論として構築できないかというのが、出発点だったのである。しかし、それはあくまでも出発点であって、その後詳細に理論構築されることはなかったと言わざるをえない。
 君が代を歌いたくない権利を認めたとして、君が代を歌いたい権利はどうなるのか。君が代を歌わない権利とは、儀式で歌いたい人が歌っているときに、歌いたくない人は歌うことを強制されない権利なのか、あるいは、歌うかどうかを民主的に決める権利なのか、あるいは、そのときに退出する権利なのか、こうした次のステップの議論には踏み込まなかったのである。あるいは、君が代を歌わない卒業式をしている学校の保護者が、君が代を歌いたいといったらどうなるのか。強制的な儀式における君が代であれば、歌うことを強制されないことで妥協できるだろうが、では教科書を決める権利については、どうだろうか。その学校の教師集団として、ある教科書を決めたとして、その教科書には反対であるという親がいたら、その意志はどのように扱われるのだろうか。おそらく、国の論理は、そういうトラブルがないように、国の機関が決めるのだ、ということを含んでいるのだろうが、教育の自由の立場からすれば、教師集団に決める権利があると主張するだけでは、論理的にいえば、宗像のような反対論がでてくる可能性があるわけである。
 当時の教科書事情からすれば、検定制度が次第に強化されていったから、教科書は金太郎飴のようになり、どの出版社の教科書も似たようなもので、だれが、どのように決めるかという問題は、あまり切実なものではなくなったという事情もあったと考えられる。しかし、その後、家永教科書訴訟ではなく、まったく逆の政治的立場のひとたちが、教科書訴訟を起こすようになり、とくに社会科の教科書が、かなり立場の相異がある教科書がでてきて、採用をめぐるトラブルが各地でおきるようになった。国民の教育権にたつひとたちは、そうした新自由主義史観の教科書に対しては、内容的に批判して、採用すべきではない、という議論をしていた。そして、新自由主義史観の教科書を支持するひとたちは、その採用運動を展開し、反対のひとたちは反対運動を展開していた。結局、政治的力関係で決めざるをえないのだろうか。
 
 こう考えていくと、教育の自由との関係と、公費の使いかたはだれが決める権限があるのか、という問題が重なっていることがわかる。そういう意味では、五十嵐が絶対に全力をあげて取り組むべき課題だったはずなのである。
 では、どう考える余地があったのか。あるいはいまでも続いている採択区での採用だから、現在でも課題でありつづけている。
 
 まず、教師は、公務員であり、当然専門家である。そして、学校はもっとも小さな教育実践における公的な単位である。したがって、そこの教師集団が決めることは、公的機関が決めたことになる。採択区を設置して、そこに教師の代表があつまって決めたとしても、そこで、決定的な差異が生れるわけではない。学校の教師集団が決めることと、代表が決めることの差異は、「公費だから公的機関が決める」という点で存在しない。むしろ、教科書は、学校における子どもの状態に見合った教科書が好ましいわけだから、大きな単位で決めることは、そうした子どもにあった教科書選定という点では、マイナスになる。したがって、それほど難しい議論をしなくても、政府の学校での選択を取り上げることに対抗する論理は、充分にあったといえる。おそらく、無償化という年来の要求が実現したことによって、採択制度の変更は、それほど重要なことだとは気づかなかったのだろう。多くのひとたちには。しかし、五十嵐ばこの問題における専門家だから、そういういいわけはできない。
 さて、上記の論理で解決するわけではないことは、君が代問題を考えれば、容易にわかることである。かなり質的な相異がある複数の教科書が、それぞれ強い推薦で決められなくなる、あるいは決めることを強行すれば、教師集団としてのまとまりがなくなってしまうような状況がおきる可能性がある。現行制度であれば、話し合いで解決する以外にないだろうが、やはり、より柔軟な教科書システムを導入するか、あるいは、学校のあり方を変える必要も考えられる。
 柔軟な教科書システムとは、たとえば、教科書を複数使用するということだ。教科書を個人所有とせず、学校に置き、使用するときに貸与するようにすれば、複数の教科書を比較しながら使うことで、多様な見方をできるような教育も可能になる。複数使用であれば、対立は回避できるし、また、貸与にすれば、経費的にも軽減できるはずである。
 さらに、自由度を高めるとすれば、教科書だけではなく、教育内容、方法等を予め公表した上で、学校を選択する方式がある。
 
 ただ、ここでは、この問題のベストなものを見出そうとしているわけではなく、当時、考えねばならないことがあったことを具体的に示すことが目的なので、この程度にする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です