五十嵐は、レーニンの膨大な文章群から、教育に関係する文章を抜粋して、「レーニン教育論」を著作として刊行したが、その構成について、村山士郎氏が強く批判していることがある。それは五十嵐が、レーニンの否定的な側面は無視しているということである。レーニンは間違いなく、優れた政治指導者であり、理論家であったが、実際の政治活動のなかで、批判されるべきいくつかの選択をしている。革命後、選挙を実施したが、自党が敗北したために、議会を解散したり、教育においては、党が教育を指導し、また校長に権限を集中させるなどの政策をとったといわれる。そうしたレーニンの主張は、五十嵐「レーニン教育論」には含まれてこない。議会の解散は、教育の領域ではないにしても、おそらく、そうしたレーニンの行動は、五十嵐のレーニン像には入ってこなかったのだろうと思われる。五十嵐には、おそらく、レーニン、マルクス、社会主義についての、つよい世界観、倫理があって、それにそうレーニンの叙述を探し、構成したのだと思う。
村山氏は、若いころソ連の大学で学んだ経験をもち、そこで、表では語られない数々のおかしなことを経験したという。そうしたこと五十嵐に話しても、それで自身のレーニン観、ソ連観をかえようとはしなかったように、村山氏にはみえたそうだ。
こうしたことは、社会科学者としての研究態度としては、非常に問題が多いといわざるをえないが、宗教的人格、あるいは倫理的立場からすれば、ただしい規範だけをとりだして、それを学び、実践することが正しいありかたなのだ、ということは充分に納得できる。
五十嵐がマルクス主義的な立場を前面にだしていたころの文章を読むと、日本の教育について書いているのに、突然クルプスカヤやレーニンの文章が挿入されることが、めずらしくないことに気付く。ソ連の教育やクルプスカヤを論じている文章ならまだしも、まったく関係ない文章に突然あらわれるのである。これは、キリスト教を信仰する筆者に、聖書の文言があらわれるのと、よく似ていると感じるのである。マルクス主義を非難する人がよく口にする「マルクス主義は宗教のようだ」ということは、私はまったく肯定しないが、マルクス主義者が、宗教であるかのように著作に接していることは、それほど珍しくないと思っている。クルプスカヤの突然の引用は、それに近いものを感じるのである。
晩年、五十嵐は矢内原、石橋、柳、宮本百合子の紹介を大量に行ったが、彼らのできるかぎり全体像を示そうというのではなく、ある特定の主張のみをとりあげているのだが、(戦争や植民地支配に反する論述部分の紹介がほとんど)そうした政府や軍部に批判的な見解を、彼らがなぜとるようになったのか、また弾圧の危険があるのに、それに対してどのように考えていたのか、等々のような分析は、ほとんどしないまま、批判部分のみを紹介することにとどまっている。それに多少の意義付けをあたえているだけである。行動やそこに含まれる倫理を示せば、それが行動の模範になるということであれば、その紹介の意味はあると考えたのだろうか。それは、やはり「宗教的人格」と考えるのが妥当だろう。
青年時代、五十嵐は仏教青年会に所属し、キリスト教関連の集会に出たりしていたが、戦後は、そうした宗教的な要素は影をひそめ、とくにマルクス主義者になってからは、自覚的な唯物論の立場をとった。したがって、教育基本法を強く支持しながら、宗教的情操の尊重という規定に関しては、極めて冷淡であった。しかし、晩年その態度が変化する。矢内原を論じるなかで、宗教的情操の尊重という教育基本法の規定を、積極的に受けとめるようになった。(つづく)