五十嵐顕の人間類型的考察2

 たしかに五十嵐は、当時の有力な理論であった「国民の教育権論」について、基本的には支持しながらも、批判的な見地を遠慮なく提起していた。また政府批判などもきびしいものがあった。こうした姿勢は、「環境適応型」とは違うのではないかという疑問も当然ある。
 しかし、「国民の教育権」への批判的な見解についても、「国民の教育権論」の骨格そのものを批判、つまり、否定しているわけではなく、部分的な疑問を述べているに過ぎない。政府や権力への批判も、批判的陣営にいたわけだから、それは、むしろ陣営的に適応していたといったほうが、実態に近いだろう。
 逆に、もし、環境適応型ではなく、真に主体的自律的人間であったなら、違うように振る舞ったのではないかと考えられることがいくつかある。
 五十嵐は、四高入学時に、読書ノートをつけ始めるのだが、その開始のところに、高校で読むものとして、倫理学・哲学・歴史学・文学をあげ、社会科学は大学にはいってから学ぶと記している。そして、高校で社会科学を学ぶことについては、否定的見解を書いているのである。なぜそのようなことを書いたのか、あるいはそうした態度をとったのか。もっとも考えられることは、五十嵐が高校に入学した10年ほど前に、京都の大学で社会主義を学ぶサークルが治安維持法によって弾圧され、全国の高校・大学で社会科学研究会が禁止された「学連事件」が起きていたことである。当然、新入生の入学に際して、その旨が通知されたはずである。五十嵐はそれを素直に受けとったのではないだろうか。
 五十嵐は、はじめての研究生活として、アメリカの教育委員会制度の調査を課題としてあたえられたが、アメリカの教育委員会制度の最大の特質は、多くが公選によって委員が選出されていたということだった。そして、アメリカの通説として、州レベルでは、任命制も少なくないが、市レベルではほとんどすべてが公選制度をとっており、それは民主主義的原則からして適切であると考えられていたことを、肯定的に紹介していた。しかし、日本で教育委員会が全国設置されるときに、日教組は、県教委は是、市町村は地域ボス支配の危険があるので、設置反対を主張した。五十嵐は、この日教組方針を批判したりはせずに、むしろその方針にそった講演をしているのである。
 五十嵐が教育現場のことに注目するようになったきっかけは、京都の旭丘中学が、偏向教育をしていると非難され、実態はどうなのか、ということで現地調査をしたことだった。五十嵐は、旭丘の教育(推進派の)を高く評価したことは自然なことだったが、実際には分裂授業が行われ、推進派の行う授業に参加する生徒より、次第に反対派のほうが多くなっていったのである。かならずしも、一方が絶対的に正しく、一方が絶対的に間違っているというものではなかったと見るべきであるのに、五十嵐は、推進派の教育を専ら支持し、紹介するものだった。そして、分裂授業自体に触れていない。
 五十嵐は、教育財政学を専門にしていたから、教科書無償を強く望んでいた。そして、1960年代初頭に、それが義務教育段階で随時実現していったとき、この教科書無償化への言及がまったくなかった。これは国民の切実な願いの実現ではあったが、当初から教科書統制の手段となることが指摘され、実際に、その後の教科書検定制度が強化され、画一的な教科書になっていった土台となるものだった。そのことを指摘する批判は少なくなかったが、五十嵐はまったく触れないままであった。
 このような対応に、「主体的」というには、すっきりしないものを感じるのは私だけではないだろう。こうした点は、五十嵐を「環境適応型」とみると、すっきり解釈できるのである。
 ただ、誤解のないように断っておくと、これは五十嵐への批判ではない。一面として、五十嵐は、一般的な意味での優等生だったということである。そして、もっと重要なことは、「環境」そのものの選択を誤ったことがない、ということである。それは「運」もあったのだろう。戦争中、インドネシアで活動したのだが、きびしい戦闘地域に派遣されれば、戦犯とされたような、理不尽なことを自ら実行しなければならなかったり、あるいは部下に命じたりすることを余儀なくされたかも知れない。しかし、そうした危険性のほぼないところで、五十嵐は勤務していた。
 戦後帰還したときに、五十嵐は繰り上げ卒業後間もなくの招集だったために、職業についていなかった。そのため、帰国しても浪人状態だった。そして、幸いに、大学時代の友人に教育研修所の助手募集を教えてもらい、生涯の師となり友人となった宗像誠也に採用され、そして数年後東大に呼ばれることになる。つまり、五十嵐は、人間的であるためには、その環境に反抗しなければならないような環境に身をおくことがなかった。非常に幸運に恵まれていたし、また、それは五十嵐の最終的な選択でもあったともいえる。そうしたことも含め、私は五十嵐を「環境適応型」人間と考えている。(つづく)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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