昨日は、311東日本大震災から15年目の日であった。多くの人、とくに東日本の人びとは、あの日の思いをもっているだろう。とくに被害を受けた人びとにとっては、重い記憶、いやまだ記憶ではなく、現実として背負っている人もいる。
私自身は、被害というほどのものをうけていないが、やはり、いくつもの思いをもってきた。
あの3月11日、私はふたつの仕事をしていた。ひとつは、年度末に提出しなければならない研究費の精算の書類を作成していたことである。これは、領収書などをたくさんおいて確認する必要があったので、自分の研究室ではなく、小さな演習室で作業をしていた。このことは、あとで実に幸運だったと思わずにはおられないことであった。というのは、私の研究室は、大学内で最大の被害状況になったためだ。後日理事長が確認にきたほどである。というのは、研究室は元々は、一方の壁にきちんと留められた形で大きな本棚があった。これは耐震対策が施されていた。この本棚では不足するひとたちは、各自で別の本棚を調達して、もう一方の壁に据えていたのだが、私はそれでも足りないので、研究室の中央に二列、大きな本棚を設置していて、全部で本棚が14ほどならんでいた。そのうち10個は、当然おいてあるだけだった。この3列の本棚が地震で倒れたのである。もちろん、本がぎっしりはいっていたから、棚が倒れただけではなく、本が落ちて、研究室のドアから窓際にある机まで、ずっと1メートルほど本が積み重なる状態になっていた。本をとにかく外にだして、倒れた本棚をおこす作業ができるまで1週間以上かかってしまったのである。地震のときに、研究室で書類整理をしていたら、どうなっていたかわからない。私が大怪我したとか、死んだとかの噂が一時あったとも聞いている。
しかし、地震が起きたときには、別のもうひとつの仕事のために、教室に移動していた。大学としての教育コストを少しでも軽減しようということと、学生の履修できる科目を増やして、選択の幅を増やすために、ふたつのキャンパス間で、ひとつの講義をして、それをスクリーン上でみる、つまりオンライン授業をするための準備作業をしていたのである。別キャンパスのひとたちと、マイク越しに意見交換をしているときに、揺れだしたというわけだ。揺れが激しくなって、たっていられなくなり、固定机につかまっていた。そして、構内アナウンスで外にだされ、たぶん2時間弱そこに皆立って落ち付くのをまっていた。電車がとまってしまったので、帰ることができない人びとは、体育館に泊まった。さすがに、そういう準備はしてあることを、そのとき知った。
私は、車で来ていたので、そのまま車で帰ることができたのだが、家に帰ると、本棚から本が散乱している程度で、壊れてしまったというようなものはなかった。
3月で大学は当然春休みなので、その後は、ずっとテレビで状況の確認をしていたのだが、とくに福島原発の事故以後は、テレビにかじりつきのような状態だった。そして、感じたのは、テレビで解説する、「専門家」たちがいかにいいかげんなことを言うかということの驚きと怒りだった。
あの爆発で、誰もが感じていたのは、核物質が格納容器から外部にもれ出ることだったが、すべての専門家たちが、そんなことは構造上ありえないことだから、心配ない、と繰り返し繰り返し説明していた。しかし、実際には、メルトダウンして地中にもれだしていたのであり、その回収に50年かかるということに今なっている。そして、現在でも、毎日数千人のひとたちが、作業をしているのだということだ。(そして、この作業のコストのために、全国民からかなりの税をいまでも徴収されているのである。)
いかに専門家が嘘をつくか、ということの、もっとも端的な事例は、東京にも放射能が注いでいるのではないか、とテレビでアナウンサーが質問し、それに対して、そんなことは絶対にないので、安心して窓をあけていてよい、と断言した大学の原子力専門の教授がいた。ところが、その人がテレビを終えて、大学に戻り、研究室に入ると、窓が開いている。すると、大きな声で、「何で窓なんか開けているのか」と怒鳴り、研究室のメンバーが、でも教授がテレビで安心だから、開けていていいといっていたので、と答えると、放射能が降り注いでいるんだぞ、と激高して、すぐに窓を閉めさせたというのである。これは、間接的ではあるが、その場にいた人から聞いた話である。
その後、原発審査が厳しくなり、原発の運転に厳しい見解がだされると、科学者の厳格な基準によって審査されているのだから、安全だ、信用できるという人がいるが、私は、科学者のいうことだから、信用できないのだ、と思ってしまうのである。
身体に関することを知るためにyoutubeをみていると、まったく違う見解が、学術研究によると、ということで主張されていることが珍しくない。一方が正しければ他方は間違っているわけだ。両方が違うのかも知れない。だから、まったく信用するなとは思わないが、科学者が学術研究を踏まえているのだから、これが正しい、といっても、そのまま信じるのではなく、自分でもその説明を吟味したり、あるいは異なる見解をチェックしないと、間違った見解に誘導される危険性かあるということだ。震災と原発事故が教えてくれた教訓である。