WBC地上波放映なしを考える

 WBCが開催されているが、今回は日本の地上波のテレビでは一切生中継されないという事態になり、大きな話題となっている。実は、昨日私のオーケストラの練習があったのだが、まだ練習会場に入れない時間帯で、ある年輩の団員が、「地上波でWBCの試合をもっていないんだね。いくら番組表をみてもないんだ」と歎いていたのを、他の団員が、いやnetflixが独占的に放映しているんですよ、と説明していた。そういう事情を知らなかったようだ。
 何故地上波が放映できないかといえば、netflixとの価格競争に敗れたからという、極めて単純な理由だ。前回までは確かに地上波で放映していたし、最高視聴率は40%を超えたという。皮肉なもので、これだけ盛り上がったが故に、netflixのような財政力豊かなメディアが目をつけて、放映権を買い占めたということだろう。
 こうした事態をうけて、視聴者の対応を調査した統計があったが、はっきりと、WBCをあえてみないという人が多数であることが示された。WBCをみるために、わざわざ新規にnetflixに加入する人は、非常に少ないようだ。私も大分前に少しだけnetflixに加入していたことがあったが、すぐにやめたし、今回加入するつもりもない。また、実は、地上波で放映していても、リアルタイムで視聴しようとも思っていない。youtubeでハイライトを提供しているし、むしろそれをみるほうが、時間の制約になる。野球というスポーツは、空白の時間が非常に多いスポーツなので、現地でみるならともかく、テレビでずっとみているというのは、時間を無駄にしたという感覚が拭えないのだ。たとえば投手が5球投げて、5球目にホームランを打たれたとして、プロの評論家やマニア的なファンであれば、その5球の推移をじっくり追うことで、醍醐味をより深く味わえるだろうが、私のように、今は他のことに主に時間をさいている人間にとっては、5級目のホームラン場面だけをみれば満足なのだ。だから、前回WBCでも、地上波の放映は、決勝戦の最後のほう以外は、まったくみなかった。ほとんどをyoutubeのハイライトで見ただけだ。だから、私にとっては、今回の事態は、日本のテレビ業界は、これほどまでに力を失ってきたのだということを、再度実感したという意味合いが強い。

 地上波テレビの魅力は、ほとんどの人にとっては、無料でみられるということだろうが、実は、この無料でみられるということが、地上波テレビの力を削いできた要因のひとつなのだ。無料ということは、広告料金に依存しているということだが、今やテレビに使われる企業の広告料は、インターネットの3分の2程度なのだそうだ。そして、その割合は、年々低下しているのである。そうして財政基盤が弱くなるので、充分な費用をかけて番組をつくることが難しくなる。すると、魅力がなくなっていくので、視聴率がさがり、その結果広告がますますとりにくくなるという悪循環に陥っているのが、いまの民放テレビの現状で、それは広く知られている。
 私の家には、さすがにテレビは複数台あるが、いずれも何時購入したかわからないほど古い機械である。youtubeやnetflixをみる機能などはついていない。もちろん、私は食事以外のときには、ほとんどみない。ただし、すぐにチャンネルをつけることがある。それは地震があったときだ。いまや通常のニュース、天気予報などは、テレビでなければアクセスできないものではなくなっている。娯楽関係は、もともとほとんどテレビを使うことはない。つまり、かつてテレビを利用したいた機能は、今やテレビ以外で簡単に、より便利にアクセスできるのである。だから、テレビ離れが進むことは、不可避なことだといえる。そういうなかで、テレビの機能がもっとも高いというのが、おそらく突発的にやってくる自然災害だろう。地震、火山の爆発などの、自分たちへの緊急の影響を知ることだ。
 しかし、思い出すのは、東日本大震災のときだ。あのとき、私は勤め先の大学にいて、新学期のためのふたつのキャンパスで共通授業を行う実験を始めようと準備していたときだった。突然地震がおきて、構内放送があり、全員がグランドに避難した。そして、何人かがスマホを画面をみつめて、そして、2番目の地震が起きた。その頃からだろうし、スマホに津波が押し寄せ、家が流される画面がうつし出され、多くの人がそれをみて恐怖の念を抱いていた。あれは、考えてみると、まさしく、リアルタイムの映像だったと思うのである。ということは、スマホがあれば、リアルタイムの災害の情報もえられるということだ。

 では、なぜテレビをみなくなったのか。少なくとも私の場合には、時間に拘束されることが嫌だからだ。テレビは、例外なく、番組表があって、それにしたがって番組が流される。その番組をみたいときには、その時間にテレビの前にいなければならないのだ。そういう拘束は、自分の生活スタイルにあわない。それに他人の時間を拘束することも好まない。だから、私は電話を個人にはかけない。何かの必要で、企業のサービスなどにかける以外には、電話を使わない。当然、かけてほしくもない。だから、個人との連絡は、ほぼ100%メールになっている。そういう生活になってずいぶんたつ。テレビをみなくなるのは、ごく自然なことだった。
 もちろんどうしても見たいテレビ番組はあるが、そういう場合には録画すればよい。
 こういう身勝手な視聴者を相手に、今後地上波テレビ業界が、どのように対策をたてていけば、生き残れるのだろうか。ときどき他人事ながら考えることがあるが、名案は思い浮かばない。これを機会に、少し考えてみたいと思っている。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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