読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」3

 また脱線してしまうが、集団主義は非常に難しい実態である。日本は集団主義の国だという。とくに学校教育では集団を重視して、班活動を行ったり、集団登校などを組織したりする。しかし、私は常々日本はそんなに集団主義の強い国だろうかという疑問をもっている。というのは、スポーツで日本が強い種目をみてみると、柔道、水泳、レスリングなどだ。これはいずれも個人競技である。サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボールなど、かつて強かった競技もあるが、現在は、やはり、柔道やレスリングなどに比較して弱い。これらは集団スポーツである。つまり、結果が現われやすいスポーツでは、日本人は集団競技は弱く、強い競技はたいてい個人競技だ。
 そういう思いを抱いていた時期に、私はオランダに一年間自由な留学期間を与えられて、オランダで家族とともに過ごした。そこで感じたのは、オランダ人は、個人主義の塊のようにいわれているが、実はとても集団性が強いということだった。私がそのときに住んだ通りは、典型的な住宅街の一角だったが、通りのコミュニティが強く、仲もよく、通りの祭などを全員が参加する形で行っていた。助け合う雰囲気も強く感じた。スポーツでは、サッカーなどは強豪にはいる。
 日本は、江戸時代の五人組などを基礎にした農村共同体的性質が色濃く残っていたことと、徴兵制度による外的に形成された集団主義があり、それが戦後も残存したということだろう。しかし、徴兵制度がなくなり、農村共同体もかなり解体したと思われる。そこで、必ずしも日本人が集団主義とは言い難い面がでてきているのではないかと思われる。
 それにたいして、個人主義といわれるオランダでは、たしかに宗教の自由を求めて独立戦争を闘ったという歴史が背景となって、個人的自由を尊重する社会なのだが、他方、国土の多くが海面下にあり、運河の管理がうまくいかなければ、国のおおくが水没するという状況のなかでくらしており、そこで合理的精神と、協力しあう資質が形成されたのではないかと思う。
 ところが、10年後にふたたびオランダで生活する機会をえて、今度は移民の多く住む地区に部屋を借りたのだが、そこでは、地位的連帯感はほとんどなかったのである。やはり、民族が異なると、オランダ人が背負ってきた洪水との闘いの歴史を知らないひとたちにとっては、オランダ人がみせるような地位的共同性は極めて薄いのである。個人主義や集団主義といっても、やはり、複雑に形成・変化すると考える必要がある。

 本論文に戻ろう。
 変化の説明よりは、調整の論理
 新制度学派は「共同体」を重視するという。それは、おそらく、共同体がもつ「規範性」故だろうが、では、共同体自体が、懐疑・動揺が起きたときに、新しい制度(規範)に移行して、適応することができるのだろうかという疑問が生じる。それに対して、幸田氏は、分析の軸として、集団主義的性質の強い社会の分析として、共同体が有効であるという立場をとっている。共同体一般ではなく、共同体が集団主義と結びついているときに、共同体が経済発展において重視されるということだろう。そこで、集団主義が強い日本とベトナムが対象として選択されることになる。
 ただ、むしろ、幸田氏が重視するのは、それに加えて個人の心理の自律的変化である。それはニーズとモチベーションを含めた「動機」を軸として、達成動機、パワー動機、親和動機が職務にとって重要であるとする。こうした経済活動の心理的問題は、さまざまな人によって、さまざまな形で使われている。(マックス・ウェーバー等)幸田がここで主な分析軸として採用しているのは、マズローの要求階層説である。有名なマズローの階層説は、
1 生理的欲求
2 安全欲求
3 愛と所属の欲求
4 承認の欲求
5 自己実現の欲求
というように、低段階の欲求が満たされると、次第に高次の欲求を求めるようになるという説である。これを幸田は、経済発展の動機として活用してみるのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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