では、具体的にどのようにマズロー理論を日越の経済発展にあてはめているのかをみよう。
日本は次のようになっている。
1 占領の時代 1945~1952
前半は、戦災からの復興 生理的欲求の時代
後半は、企業が社内食堂設置など不安が払拭される措置 安全の欲求の時代
2 55年体制と高度成長 1953~1973
農村から都市への移動の時代 愛と所属の欲求時代
高度成長後 承認の欲求が生じる
3 安定成長期1973~1980年代前半
承認欲求が満たされつつも、円高不況で承認欲求がおぼつかなくなる。
4 バブル経済とその崩壊1985以後
自己実現の欲求はおろか、承認の欲求まで失ってしまった。
占領時代が、戦争で焼け野原になってしまった地域も多数あり、破壊された経済状況のなかで、生理的欲求を満たすことが切実であったことは、充分に納得がいく。そして、次第に経済が回復し、企業が共同体的な機能を果すことで、安全欲求を満たす役割を担ったことも確かに妥当な見方と思われる。しかし、実際にどこまで充足していたかを考えると、満たされたといえるかという疑問も残る。もちろん、幸田氏が満たされたと断定しているわけではないが。
私は東京で育ったが、中学生くらいまで、ということは1960年代の前半期くらいまでだが、渋谷などにでると、必ずといっていいほど、傷痍軍人が街頭にたって、白衣でアコーディオンを弾きながら、金銭的援助を求めているような光景があった。また、私の中学生時代までの同級生の少なくないひとたちが、中卒や高卒で働き、しかも彼らの多くは、転職を繰りかえしていた。終身雇用・年功序列などとは無縁の生活を送っていたのである。「安全欲求」を追求していた時代ということなのだろうか。
高度成長期が、「愛と所属の欲求」時代というのは、なるほどと思わせる。一方で地方の農村から集団就職などに典型的な都市流入があり、また、大学に進学するものも、東京や京都・大阪などに集中していった時代である。大学紛争が巻き起こったのも、「愛と所属の欲求」を満たしたいというところから発していたとも考えられるのである。その裏側の事件として、永山則夫の連続殺人事件などがあった。永山は集団就職で青森から東京にでてきた一人である。
ここまでは納得が多いが、1970年代以降については、そうなのかという疑問符がつくことが少なくない。1973年から80年代前半というと、私個人は大学院生であり、大学への就職を求めて苦闘していた時期である。研究室に定年と死亡とで教官がいなくなってしまったために、長いオーバードクターをしていた。したがって、むしろこの時期こそが、所属欲求の時代だった。もちろん、多くの同世代のひとたちは企業就職して、承認欲求の時代だったろうが。
この時期は、70年代前半からの石油ショックがあり、それを乗り越えて、日本経済がアメリカに次ぐ力をもち始めた時代である。だから、私のようなオーバードクターでも、なんとか生活ができていた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などという、私からみると荒唐無稽とも思われる本がだされたのだが、むしろ、アメリカからの日本攻撃がより激しくなった時代でもあった。
そして、次のバブルとその崩壊の時代には、承認欲求まで失い、自己実現の欲求は問題にならないと幸田氏はいう。その時代をリアルタイムに生きていたわけだが、バブルなどということは、私の生活には無縁であったし、ぎりぎりのところで就職できていたので、崩壊にともなう悲哀のようなものとは、私は無縁だった。しかし、たしかに友人のなかには、崩壊の影響をもろに受けた者もいた。
こうやってみてくると、それぞれの欲求階層の判断を、どの世代・年齢の人によって行うかということが、判断に多く影響してくるのではないかと思うのである。
戦争が終わった段階で、社会にでた人たちが、バブル崩壊まで生きていたとしたら、かなりの高齢になっていただろうけれども、日本の経済の変化をもろに受けて生きてきたひとたちといえる。
私は、そこから一世代若い。高度成長が終焉したときに、社会に出た世代である。(私自身は長い大学院生時代があったのだが)その後の「就職氷河期」を経験した世代とか、Z世代などは、またまったく別の感覚で欲求充足を感じていたに違いない。何人かの世代の違う人の成長と、日本経済の発展・衰退を重ねて、いくつかのパターンを設定すると、また違う評価がでてくると思った次第である。(つづく)