「鬼平犯科帳」お酒の話

 徳川時代の江戸という都市に関する本を読んでいたら、とても面白い部分があった。それは、江戸時代にどのくらい酒が消費されていたかという話だ。
 北原 進『 百万都市 江戸の経済』 (角川ソフィア文庫) に以下のような記述がある。
 「酒は下り酒に加えて、関東の地酒も入り、合計百万樽ちかく江戸に入ったらしい。四斗入りの一樽は一升ビン十本分、だから江戸の人は、武士も町人も、男も女・子供も、一人あたり一年間に四斗の酒を飲まないと、消費しきれない感情である。」
 徳川時代の江戸という都市は、極めていびつな人口構成をしていた。圧倒的に男性が多い社会だったわけである。そして、人口の約半分を占める武士はまったく生産活動に従事していなかった。もっぱら消費だけをする。そして、江戸に恒久的に住んでいる武士は、どの程度の割合かわからないが、かなりの部分は参勤交代で一年間江戸に着ている家来たちだから、ほとんどが男である。武士以外のひとたちも、流入民も多かったが、彼らも圧倒的に男性たちだったらしい。
 そして、酒の話だが、まさか子どもや多くの女はほとんど飲まないだろうし、日本人は人種的に酒の解毒機能が弱いとされているから、飲まない男性も少なくなかったろうと思われる。そこで酒を飲むひとたちは、乱暴な話だが、当時の人口の半分くらいだとして、上記の酒消費量をみると、飲む人だけで考えると、一年間に一人あたり八斗飲むことになる。それは八十升となる。かなり酒を飲む人を大目にみているが、それでも毎日平均2号飲むことになる。しかし、同著者の『百万都市江戸の生活』では一度に八升や十升飲む人の話が出てくるから、飲む人はかなり大量の酒を飲んでいたのだろうと想像される。
 なぜ、こんな話を紹介したかというと、「鬼平犯科帳」での長谷川平蔵は、とにかくいつでも飲んでいるような感じをうけるのである。もちろん、捕り物に出ているときや、役宅で訴訟指揮しているときなどは飲まないだろうが、見回りの際の食事時とか、何かを待っているとき、まただれかと話すときには、かならず、しかも長時間飲み続けている。もちろん、小説だから、そのまま事実とは考えられないが、しかし、事実として、長谷川平蔵は51という比較的若くなくなっている。父親よりも早い。父親が平蔵と同じ火付盗賊改から、京都町奉行になったのが53歳だから、平蔵ももう少し長生きしていれば、どこかの町奉行になれた可能性は充分にあったのではなかろうか。小説ではあまり出てこないが、実際には、平蔵は町奉行になりたいのになれないので不平だったらしい。
 では、長谷川平蔵はなぜ短命だったのか。小説でみる限り、まったく健康的な生活を送っていない。もちろん職業上無理をせざるをえなかったこともあるが、酒だけではなく、煙草も中毒的である。朝起き掛けに、寝煙草をするのが、若いころからの習慣となんども書かれている。そして、なんどか病気をしているが、「麻布ねずみ坂」という話のなかで、指圧師から肝臓をやられていると言われて治療を施されている。小説の「鬼平犯科帳」がどれだけ私生活を史実からとりいれているかはわからないが、池波正太郎は江戸時代の食料事情については、かなり詳細な知識をもっていたと言われているから、ありうる状況を前提に描いているのではないだろうか。
 現在では、昼間からお酒を飲んでいるという人は、かなり珍しいのではないかと思うのだが、デンマークにいたときに、朝から町にたまたま出たときに、ヨーロッパでは、天気がいいと、レストランでは外で多くの人が食事しているが、朝からビールを飲んでいるひとたちがけっこうたくさんいたことに驚いたことがある。健康意識などは、江戸時代にはかなり低かったろうから、平蔵のように、一日中酒をのみかつ煙草を吸っている人がいたのだろう。ソ連ではペレストロイカで飲酒の制限措置をとったりした。デンマークにいたときには、面白い話もきいた。デンマーク、スウェーデン、ノリウェーは共同歩調をとることが多いが、20世紀終わり頃に、酒税を同時にあげて飲酒をおさえようと約束したのだが、デンマークだけそれを保護にして、酒税をあげなかった。そのため、お酒がほしい人は、デンマークにやってきて大量に買って帰る風潮になったそうだ。事実、土日にスウェーデン人がフェリーでやってきて、酒のボックスを買っていく姿をたくさんみたものだ。
 しかし、日本では、そうした政策としての飲酒制限をしたことは、私が生きてきた時期にはなかったように思う。もっとも、酒税は極めて高く設定されているから、ずっと飲酒制限が行われているのかも知れないが、どうなのだろうか。酒をどんどん飲ませて税金をたくさんとろうとしている可能性もある。
 私は最近健康のために禁酒したところ、体重も減って健康になった気がする。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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