ポリーニが亡くなった

 20世紀後半を代表するピアニストの一人であるマウリツィオ・ポリーニが亡くなった。ポリーニのことは、何度もブログで書いたし、たった一度だけだったが生の演奏を聴くことができたので、そのことも触れた。生涯で聴いた最高の演奏会だった。まだ30代でバリバリの、いく所敵なしという感じのときの演奏会だった。ただし、リサイタルのチケットはあきらめていたので、N響の定期会員になった。まだ未定のときだったが、来日すれば、かならずN響に出演するに違いないと考えてのことだった。
 そして、実際にN響に出演し、ショパンの2番のコンチェルトを弾いた。定期会員だから、同じ席(しかも3階という響きのよくない場所だったのだが)でたくさんのピアニストを聴いたのだが、ポリーニの音は、まったく特別だった。ピアノってこんなにきれいな音なのかとびっくりしたものだ。最初の出だしの音から、美しく、そして引き締まった音に驚いたが、第二楽章のころがるような繊細な音も、うっとりするような音だった。
 そして、アンコールで弾かれたバラード1番は圧巻で、後に座っているN響の団員たちが、まったく熱狂する聴衆と化していたのは、ライブ映像を含めて、このとき以外にはなかったように思う。
 ポリーニが嫌いな人もけっこういて、無機的だとか、表情に乏しいなどという批判をしていたが、何を聴いているのだろうかと思う。若い頃のライブ映像をみると、ポリーニが、いかに音楽に没入し、渾身の力をこめて演奏しているかがわかる。

 さて、ポリーニの偉大さとは何か。それはいくつかあると思う。
 ポリーニが現われるまでは、世界トップレベルのピアニストは、たいていベートーヴェン弾きとショパン弾きという類型に分けられていた。ベートーヴェン弾きの代表は、バックハウス、ケンプであり、ショパン弾きの代表はコルトー、ルージンシュタインなどだろう。ホロビッツなどのように分類しにくい人もいたが、強いていえばショパン弾きに近いという印象をもたれていたと思う。正しいかどうかは別として、ベートーヴェンの音楽は「構築」性が強く、ショパンは「叙情性」が強い、それに応じてピアニストもどちらかを得意とするようになっていたのではないかと思うのだが、ポリーニは、その両面を完全に駆使することができるピアニストだった。彼以前にはいなかったといえる。アシュケナージはもっと広いレパートリーをもっているが、彼が若いころは、ベートーヴェンの演奏家としては評価されておらず、ソ連から亡命して、西側で活動するなかで、再度ベートーヴェンを徹底的に勉強し直した結果、ベートーヴェン弾きとしての地位を確立したとされる。
 ポリーニは、その点最初から両方の領域で決定的な名演を実現した。
 ポリーニが圧倒的な演奏で世間を驚かせたのは、ショパンの練習曲集だったが、それから間もなく、ベートーヴェンの後期ソナタ集で、またまた驚異的な名演を残した。ハンマークラビアソナタが、あれほどの技術的安定感と強い説得力で演奏されるとは、それまで考えられもしなかったのではないだろうか。そして、ショパンの練習曲集は、発売を予定していたアシュケナージが、ポリーニの演奏がでるという情報をえて、自身の発売を延期し、再度部分的に取り直して発売したと言われるように、世界的なピアニストにすら、大きな衝撃を与えたのだった。
 要するに、ポリーニは、その後のピアニストに対して、音楽性(構築性と叙情性)と技巧とを兼ね備えていることを、最低条件にしてしまったのである。
 だから、その後のピアニストは、ショパン弾きとか、ベートーヴェン弾きなどというレッテルが貼られることもなくなった。両方弾きこなせなければ世界には通用しなくなったのだろう。日本の代表的なピアニストである横山幸雄が、ショパンの全曲演奏会をやり、ベートーヴェンのソナタ全集を録音しているということが、この変化を象徴している。(続く)

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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