ブロムシュテット・N響の演奏会

 普段演奏会には行かないが、たまにいくのは専らオペラとたまに合唱付きの曲(ベルディのレクイエムとかベートーヴェン荘厳ミサ等)を聴きにいく程度だ。純粋にオーケストラの演奏会にいったのは、記憶では、小沢征爾指揮の新日フィルで、それは近くの音楽ホールにきたためだった。小沢が新日フィルをふっていたのだから、ずいぶん前のことになる。それが、定期会員になっている妻の親友が、急にいけなくなったので、代わりにでかけたというわけだった。
 NHKホールもまたずいぶん久しぶりだ。全盛期のポリーニを聴くために、N響の会員になったのだが、ポリーニが手の故障で衰える前だから、これも何十年ぶりということになる。オーケストラは毎週自分で経験しているので、聴くほうはすっかりご無沙汰というところだが、今回心が動いたのは、指揮がブロムシュテットだからだ。もちろん、はじめて生を聴くのだが、CDやyoutube、テレビではけっこう試聴してきた。そして、がっかりしたことが一度もないから、実演を聴けるのは、これが最後であることは確実で、逃したらやはり後悔しただろう。前にブログに書いたが、ベートーヴェンの第九の演奏(ライチチッヒでのライブ映像)は、ほんとうに感心した。

 また、ブロムシュテットについては、前に、幸せな老化をした演奏家と老害をさらした演奏家というテーマでいくつかブログを書いたが、ブロムシュテットは、最も幸福な高齢演奏家の代表といえるだろう。なんといっても、現在97歳である。以前にはストコフスキーが超高齢指揮者で、100歳までの契約があったが、95歳で亡くなってしまった。つまり、ストコフスキーよりも高齢の現役指揮者なのである。しかも、ストコフスキーはアメリカ中心の活動だったが、ブロムシュテットは、日本にまでやってきてくれたわけである。そして、近年のウィーンフィルやベルリンフィルとの共演も話題になっている。
 演奏会始まりの前に団員が出てきて席に座り、コンサートマスターが登場して音合わせ(チューニング)をすませると、指揮者が登場するのが普通だが、今回は、バラバラと団員が出てくる途中で、ブロムシュテットが団員(たぶんコンサートマスター)に支えられて出てきた。まだ団員は半分くらい。とにかく、支えられてゆっくりゆっくりだ。私の性分として、式台にあがれるのかと心配になったが、これも支えられながら、やっとの思いであがり、そして椅子に座った。
 曲目は前半がオネゲルの交響曲3番(典礼風)、後半がブラームスの4番だった。
 オネゲルは名前以上のことは知らなかったから、当然曲も聴いたことがなかった。オネゲルは、パリで育ったので、ナチスによるパリ占領という苦い経験をし、それに対する反発心が反映されているそうだ。戦後の作曲家で、現代音楽に分類されるというが、この曲は、いわゆる現代音楽風ではなく、聴きやすい音楽ではあった。配布された解説によると、1楽章怒りの日、2楽章深い淵から、3楽章われらに安らぎを与えたまた、という題がつけられている。全体が20程度なので、長い曲ではない。
 実はこの文章をかきながら、ブロムシュテットはこの曲のCDをだしているか調べてみたらなく、なんとカラヤンのがでていることがわかった。なら我が家にあるはずだと探して、今聴きながら書いている。1969年の録音で、カラヤンがすっかりベルリンフィルを手中におさめた時期のものなので、さすがにオーケストラが見事だが、N響も決して劣ってはいないが、弦の厚みはカラヤン・ベルリンフィルはさすがだという感じがしている。1楽章は激しい音楽で、絃がアタックの強い、しかも速い音楽をしているなかに、金管楽器が攻撃的なパーセッジを重ねていく。そうしたバランスは、N響の演奏は見事だった。2楽章は、解説によると、とても美しい音楽がつづくというのだが、実際に聴いているときには、それほどうつくしいとは感じなかった。しかし、カラヤンで聴くと、後年新ウィーン楽派の音楽できかせた妖しいまでの美しさを、このオネゲルでも響かせていて、たしかにこの楽章の美を感じさせてくれる。3楽章は、安らぎに重点があるというより、神がやってきて、救いを与えるという、「やってくるときの行進」を描いているような音楽で、結局、そんなのは幻想なのだ、ということなのかもしれない。プログラムの解説には、安らぎが与えられたように静かに終る、ということになっているが、与えられなかったようにも聴ける音楽だ。そして、消えるように終るのだが、終ったあと、かなり長い間沈黙が支配し、拍手がおきるまで、ずいぶんと間があった。チャイコフスキーの「悲愴」は、いつ終ったかわからないような曲(チェロが長く弱音で伸ばすのだが、弓がなくなって自然に音が消えるまで、つまり人によって音がなくなるときがちがうので、最後の一人の音が消えて終る)なので、拍手がおきるまでの沈黙の時間が長い方が成功というような、妙な感覚があるのだが、今回もとにかく、だれかが拍手をするまで躊躇しているような雰囲気が漂った。
 
 さて、今日の主目的であるブラームスだ。4番は、私自身オーケストラで3回実際に演奏しているので、ブロムシュテットがどのような指示をだしているかを専ら注視した。指揮というのは、もちろん音楽的な行為だが、実際にやっているのは、身体運動そのものだ。一人ではあるけないほどの高齢者が、どういう身体運動でブラームスの音楽をつくりあげるのか。ブラームスの交響曲は、ほんものの古典派とちがって、小さなメロディーのなかでも、メロディーを受け持つ楽器がどんどん変わっていく。しかも常にといっていいほど響きが厚いので、メロディーラインから離れた楽器も、引き続き音をだしている。だから、バランスをまちがえると、メロディーが消えてしまうことになりかねない。そうしたバランスがとても微妙で難しいわけで、当然、それを指揮者がきちんと制御しなければならない。そうした楽器の担当部分が変化するようなところで、ブロムシュテットは実に丁寧に指示をしていた。そして、音楽が高揚する場面、あるいは、とくにある弦楽セクションを前面にでるようにするときには、大きな身振りで指揮をしていた。
 思い出すのは最晩年にN響にやってきて、ベートーヴェンの7番を指揮したサバリッシュの映像だ。このとき、サバリッシュはかなり身体が弱っていたのだろう、もちろん、ずっと座っての指揮だったが、ほとんど動きがなかった。指揮棒の先をほんのわずかに動かす程度なのだが、長年一緒にやってきたサバリッシュだからN響の側もわかっているし、最後のご奉公のような感じで演奏していたから、それはそれとしてりっぱな演奏だったが、しかし、もっとずっと年上であるブロムシュテットは、もっと大きな動きを伴った指揮だった。
 
 ブラームスの4番は出だしの憂いに満ちた、きわめて印象的なメロディーの歌わせ方で、ほぼ演奏の印象が決まってしまうように思われている。ブロムシュテットの今回の演奏も、この歌わせ方をかなり練習したように感じられた。しそー、みどー、ら#ふぁー、#れしー、という音で、1、3が下向、24が上向の音形なのだが、弱拍強拍の順である。だから、楽譜のとおりに演奏すれば、「し」や「み」を弱く、「そ」「ど」を強く弾くことになる。ところが実際の演奏では、この強弱のつけかたは実に多様なのだ。楽譜に近い演奏(カラヤン、マゼール)や強弱をめだたせない演奏(晩年のクライバー)、小節ごとに変える(小沢)があるが、ブロムシュテットの今回は、明確に楽譜の逆をやっていた。つまり、最初の音を強く、つづく伸ばしの音を弱く弾かせていた。ところが、どうもこれが、最初はスムーズではなかった。昨日も演奏しているのだから、かなり慣れていたはずだが、出だしはやはり緊張するのだろうか。しかし、何度か繰り返されるうちに、この強→弱の表現がスムーズになっていった。もちろん、このような逆転した演奏もある。
 ブロムシュテットの演奏でいつも感じるのは、不自然な表現はしない、楽譜に書いてあるなかでが、効果的な強調表現をするということだ。つまり安心して聴けるということであり、だが、薄味というのでもなく、ああ、いい音楽だったなという感覚を残してくれるのだ。そういう意味で、アバドに近い指揮者といえる。4楽章のパッサカリアは短い8小節のフレーズを30回以上変装していくわけだが、当然、1回1回変化していく。あるべき姿で、その変化も強調して、しかも納得させるのは、簡単なようでいて、とても難しいのだ。そうしたメリハリのきいた、しかも自然な変化を感じさせる演奏だった。そして、最後に急速にテンポをあげて勢いよく終るのだが、フルトヴェングラーのような、あまりに強烈なスピードアップをされると、ついていけない感じになるし、また、テンポのあげかたが小さいと、物足りなさを感じてしまうこともよくある。今回のブロムシュテットは、かなり速いテンポをとっていたが、しかし、不自然にならないところがさすがだった。
 あるべき姿をくっきりと表現する指揮者というブロムシュテットのよさを充分に感じ取ることができた演奏だった。そして、高齢による「停滞感」などは、皆無のきびきびした演奏だった。次回の日本公演があるかどうかはわからないが、100歳でのベルリンフィル公演が実現されれば、映像でみることができるのだが。ストコフスキーがめざした100歳での指揮をぜひ実現してほしい。
 
 蛇足だが、ブラームスの演奏で、コンサートマスターが高揚した部分で、半立ちするような、しかもかなり大きな身振りで演奏する場面が何度もあった。いつものやり方なのか、指揮者が高齢だから、身振りを大きくして、団員に伝えているのかわからないが、あのようなコンサートマスターの演奏ぶりははじめてみた。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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