IOCが、延期された五輪の追加費用を、日本側が大部分を負担するということで、安倍首相も合意したと公表し、日本側は、森委員長や菅官房長官、橋本五輪担当相などが、そうした事実はないと懸命に否定し、IOCがホームページからその旨を削除したという。日本側の慌てぶりが目に見えるようだ。しかし、肝心の安倍首相の「否定」は、今のところ目にしない。
コロナウィルス問題で、明らかに今年の開催が不可能であるのに、なかなか延期の決定をしなかったのは、先に言い出すと、追加費用の負担を押しつけられるから、とにかく、相手に先に言わせようとしているのだ、などと噂されていた。そういうとは、当然あるだろう。
しかし、私は、何らかの約束を安倍首相がしているのではないかと、疑っている。それは、おそらく2年延期が合理的であるのに、安倍首相がかなり強行に1年延期を主張して、それが通ったと報道されているからだ。何故、安倍首相が1年延期に拘るのかは、周知のように、彼の任期と関係している。つまり、個人的な政治的野望なのだから、それを知るIOCが、1年延期を受けいれる代わりに、費用負担を日本がするという案を、安倍首相に飲ませている可能性は、否定できないのだ。安倍首相が同意したと書かれたのだから、真っ先に、そんな約束をしていないといえばいいことだ。この原稿を書いている時点では、少なくともネットで検索している限り、安倍首相自身による否定談話は報道されていない。(このあと出てくる可能性はあるが。しかし、その談話にしても、本当のところはわからない。)
私は、なんども書いているように、東京五輪は反対の立場なので、どうなろうといいのだが、本当のところ、五輪をしないで失われる費用と、追加で負担せざるをえない費用、あるいは延期によって生じる費用に換算できないマイナス、あるいは、実施しようとしても、コロナ問題か解決せず、結局中止せざるをえなくなった場合の損失、等々を総合的に比較検討して、どれがもっともロスが少ないのか、あるいは、長期的にみて、どうなのか、冷静に見つめる必要があるのではないだろうか。私は、専門家ではないので、もちろん、正確なところはわからない。専門家はそうした試算をすべきだろう。
単なる予想だが、私は、来年を期して、日本が多くの追加費用を負担して準備したが、コロナ感染が、結局、新たな国で蔓延が続き、完全に地球全体を対象としたスポーツ大会としては危険が大きいということで、中止になるのではないかと危惧している。それならば、できるだけ早く中止にして、追加費用の負担を免れ、今後の進むべき方向性に向かって歩みだすほうが、ロスが少ないし、また、来るべき社会のあり方を実現するのに有効ではないかと思う。
今回の人の往来(インバウンド)の途絶によって生じた損失は、特別な大きな需要を想定していたがために、それだけ大きくなったわけだ。オリンピックが実施されたとしても、その観光客が継続することはないのだから、来年以降は、かなり落ち込むことになる。それを防ぐためには、毎年のように、大きな国際的な催し物を日本で開催しなければならない。そんなことは、できることではないだろう。もっと、地についたあり方こそが安定した経済のために必要であり、しかも、コロナ禍は、これまでの社会の不要な部分を合理的に改革していく必要を迫った。私には、五輪に浮かれて、本当に必要な改革がなおざりにされている気がしてならない。
感染者を低く抑えてきたのは、オリンピック開催や習近平招待のためだ、などと言われていたが、そのことは否定できないことであり、そういう政治が極めて不健全であり、発展性とは矛盾することは、考えればわかることではないか。
もちろん、今の組織が中止に向けて方針変更することはないだろうが、賢明な人たちならば、絶対に来年できるなどとは思わず、結局中止になる可能性も念頭におきつつ進めていく必要はあるだろう。それを全く考えないとしたら、組織を動かす資格がない。