ずっと書こうと思っていたが、ウクライナ情勢などもあり、書けなかった話題「評論家に不当に低く評価された指揮者」の3人目、というか、最も極端に実力と日本人評論家の評価に落差のあった指揮者といえるオーマンディを取り上げたい。オーマンディといえば、「フィラデルフィア管弦楽団の華麗なる響き」とか「協奏曲伴奏の名手」などといういい方をされていた。肝心の指揮者としての実力を、まっとうに評価する評論家は、非常に少なかったという印象は、多くのひとがもっていたに違いない。いまでもウェブを検索すると、オーマンディの人気がないのはなぜか、という話題がけっこうあるのだ。もちろん、そういう話題を振るひとは、オーマンディが好きなわけだし、偉大な指揮者だと思っているのだが。かくいう私もオーマンディは非常に偉大な指揮者だと思っているが、実は、それほどCDをもっていない。子どもの頃には、「ピーターと狼」のレコードがあって、これは、子どもながらすばらしいと思っていた。ピーターを表現する弦楽器の音がさわやかだし、小鳥のフルートが超人的にうまい。各場面の描き方が、目に浮かぶようで、いまだにオーマンディ以上の「ピーターと狼」は聴いたことがない。しかし、その後は、ほとんどオーマンディのレコードを買うことがなく、CDとしては、「オーマンディ・オーケストラ作品」というソニーのボックスをもっているくらいだ。最近でたモノラル録音のコンプリートは、さすがに買う気持ちにはなれず、とりあえず、このオケボックスを、もっと聴いてみるつもりだ。
今回、この文章を書くために、いくつかピックアップして聴いてみた。チャイコフスキー「幻想序曲ロメオとジュリエット」、サンサーンス「バッカナール」「死の舞踏」、リヒャルト・シュトラウス「ドン・ファン」「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ドン・キホーテ」ブラームス「交響曲2番」(これのみモノラル)。また時間があれば、いろいろ聴いてみたいが、これだけでも、ひとつの傾向を感じた。
まず表現が自然なことだ。この曲はこう演奏してほしいと、聴く者が期待するような演奏という感じなのだ。変わった解釈を持ち込むことはあまりない。もちろん、ひとによって、曲のイメージは違うわけだから、こうあってほしいという演奏イメージだって違うはずだが、意外に、そういう演奏はあるものだ。アバドなども、そういう感じを抱かせた指揮者だった。オーマンディの演奏を聴いていると「えっ、こんなことするの?」という場面が、ほとんどない。つまらないというのではない。ごく自然に受け入れられるのだ。
次に、なんといってもオーケストラの音がきれいで、質的にそろっていて、調和している。現在のオーケストラは、CDが発売されているようなオーケストラは、どこも非常に技術水準が高く、機能的にはまったく問題がないが、1960年くらいまでのオーケストラは、一流と言われるところでも、けっこう技術的難点があったし、録音を聴いてもそれが聞きとれた。トスカニーニのNBC交響楽団は、世界最高の技術を誇るオーケストラといわれていたが、現在聴くと、そんなにうまいオーケストラとも思えないときがある。
チェリビダッケがベルリンフィルに一度だけ復帰したときの、ドキュメントがあるが、チェリビダッケ時代に在籍していた、当時は若かった団員が、何名かでていて、インタビューに応じている。それによると、当時のベルリンフィルには、チェリビダッケの要求に応じる能力のない団員がいて、チェリビダッケはその団員を辞めさせたがっていた。それを公言していたために、チェリビダッケはオーケストラの団員から嫌われてしまい、結局、フルトヴェングラーの後任にはなれなかったというのだ。つまり、世界最高といわれたベルリンフィルですら、そういう状態だったのである。カラヤンは、そうした団員が定年でやめるのをまって、若い人に入れ換えていき、それで初めて、ベートーヴェンの全集を60年代から取り組み始めたのである。私が聴いたオーマンディの録音は、ブラームスを除いて代替1960年前後のものだが、その時期のオーケストラとしては、破格のうまさだと感じる。ただ、ヨーロッパとアメリカの指揮者とオーケストラの関係が基本的に異なる点を考慮する必要はある。ヨーロッパの指揮者は、団員を首にする権限はないが、アメリカの指揮者には、そういう権限をもった指揮者がいた。ジョージ・セルが短期間で、クリーブランド・オーケストラを世界トップクラスに向上させることができたのは、レベルの低い団員を片っ端から首にして、優秀な奏者に入れ換えたからだといわれている。オーマンディにも、そうした権限があったに違いない。そうでなければ、あれだけのレベルのオーケストラを育成することはできなかっただろう。彼の練習の厳しさは有名で、日本に演奏旅行にきたときに、(海外演奏旅行では、あまりリハーサルはしない)英雄交響曲の最初のふたつの和音だけで、30分も練習したことは、有名な話だ。
しかし、どんなに優れた奏者がそろっていても、指揮者が凡庸だったら名演奏はできない。優れた奏者を揃え、厳しく練習し、納得のいく演奏をして、それを40年以上もひとつのオーケストラで継続したことは、それだけでも、驚くべきことだ。
では、なぜそれほど優れた指揮者だったオーマンディは、評論家はおろか、その影響もあったにせよ、愛好家の間でも評価が低かったのか。私の単純推測だが。
まず何よりも、日本の音楽評論家のドイツ指向性が強かったことだろう。フルトヴェングラーとクナッパーツブッシュのような雄大で深刻そうな雰囲気が、判断基準だった評論家は多い。オーマンディはそういう音楽スタイルからは、最も遠いところにいた。いわゆる「精神性」ということだが、私自身は、精神性派ではないので、オーマンディのような、美しく、座りのよい演奏は、大いに評価できる。オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の華麗で美しい響きは、精神性などとは無縁の感じがしたのだろう。そして、軽い音楽という受け取りがされたように思われる。しかし、音楽は、やはり楽しく、美しいことが最大の魅力だ。
オーマンディの演奏に、無理がないことは、意外性が比較的乏しいことと解釈され、つまらないと思われたのではないか。オーマンディの演奏の特質は、こうあるべきというのを、スコアから最も自然に引き出すことだから、意外性、「こんなことやるのか」とか「こんなメロディーがかくされていたのか」というような驚きを、あまりもたらさないような気がする。しかし、そうしたロリン・マゼール的なスタイルは、オーマンディとはもともと無縁なわけだ。だから、美しいけど、つまらないというレッテルを貼られた。
また、オーマンディの好みだったのかはわからないが、オペラをほとんど振らなかったことも、ヨーロッパ派からすると、物足りなさを感じさせたかも知れない。これは私もそう思う。カラヤンがベルリンフィルを使ってワーグナーを録音をしたように、オーマンディがフィラデルフィア管を使って、リヒャルト・シュトラウスのオペラを録音したら、素晴らしい名演を残したのではないだろうか。
オーマンディは、非常に優れた伴奏指揮者だった。オーマンディに伴奏をしてもらって録音したいという、一流ソリストがたくさんいたそうだ。そういう点ではアバドと似ている。だが、協奏曲の伴奏が下手な一流指揮者などは、そもそもいない。ほとんどの一流指揮者は、優れたオペラ指揮者だから、協奏曲の伴奏が苦手なはずがないのだ。クライバーのように、協奏曲録音がほとんどない(リヒテルとのドボルザークのみ)人もいるが、そもそも録音と演奏会自体が少ないのだから、それは仕方ない。伴奏が下手だったわけではない。それでも、オーマンディのように、いろいろな異なるタイプのソリストにぴったり寄り添って名演をするのは、優れた指揮者としての手腕だろう。それが評価を下げるというのも不思議だが、「伴奏屋」と見られてしまったということだろう。
そして、実はレコード会社も、あれほど多くの録音を残したにもかかわらず、会社としての位置づけは、バーンスタインに継ぐ2番手だった。バーンスタインは、自由に録音曲目を指定することができる権利があったが、オーマンディにはそれがなく、不満に思った結果、コロンビアからRCAに移籍してしまった。もっとも、その扱いの差は、指揮者としての実力評価というよりは、ハンガリーからの移民だったオーマンディに対して、アメリカ生まれで、「ウエストサイド・ストーリー」という超人気ミュージカルの作曲家でもあり、放送番組でも人気のあったバーンスタインの優遇策だったと思われる。
ソニーは、モノラル時代のオーマンディのコンプリートを発売したが、当然ステレオ時代のも出すだろう。いくつ小さなボックスはでているし、私の購入したボックスもある。だが、それらはコンプリートの準備と思いたい。それが出れば、オーマンディの再評価が進むと思う。