伊豆旅行1

 これからは、年に1回程度旅行に行こうということで、今日から伊豆旅行にでかけた。中央道、圏央道、東名から、伊豆縦貫道を通って、下田にきた。
 下田はずいぶん前にきたことがあり、歴史を感じさせる町だが、今回もペルー道などを通ってみた。本格的には明日からになるが、その報告をしたい。まったく個人的なことだが、ご寛恕願うということで。
 伊豆縦貫道に入って、しばらくスルト、「天城越え道の駅」があり、そこでしばらく時間を過ごした。というのは、「昭和の森」という記念館があり、下田・伊豆に関係する文学者の資料がそれなりに展示されているので、それを見たかったわけだ。「天城越え」といえば、私にとっては、当然松本清張の小説が思い浮かぶわけだが、どういうわけか、この「昭和の森」記念館には、松本清張がまったく扱われていない。最も重視されていたのは、井上靖で、移転された旧宅まである。

 
 
 井上靖邸は、意外ではないかも知れないが、天井が低く、あまり広いとはいえないものだった。全体としては、りっぱな作りだったが、大文豪がこのような家で、創作活動をしていたのかというと、多少意外な感じがした。もう少し大きな邸宅で、ゆったりしていると思ったわけだ。しかし、あまりに意外で腹がたったのが、松本清張の「天城越え」について、まったく触れていないことだ。私は、「伊豆の踊り子」は、あまり面白い小説だとは思っていないので、小説としては「天城越え」のほうが、数段興味深いと感じている。伊豆・下田ゆかりの小説家が多いことはわかったが、不満を抱いて、下田に向かった。
 まずは、宿舎にということだったが、宿舎は、ある別荘地域にあった。そして、その地域にはいる門のようなところに、「別荘に無関係の人は立ち入り禁止」と書いてあって、意外な感じがしたが、そこに入った途端、まったく雰囲気が異なったことに気付いた。それまでは海に近いとはいえ、田舎風だったが、その地域に入ったから、すべての家がモダンで、きれいなのだ。古びた家は皆無で、しかも、かなり近接して建っている。まるでゲートタウンのようだった。
 荷物を運び込んで、とりあえず街にでて、買い物をしたが、ついでも、ぺリーロードなるところを見物した。下田といえば、なんとていっても、ペリーやハリスがやってきて、日本を開国こせた街として、有名だ。そういう歴史的な遺跡があちこちにある。
 
 
 まずは、吉田松陰が捕まったところで、ここから江戸に送られて処刑されたわけだ。面白いのは、この碑がある場所に、教育委員会があることで、吉田松陰の思想の影響を受けた教育が行われているわけでもないだろうが、興味深い組み合わせではある。私自身は、吉田松陰は、少々実物以上に偉大な人物だと評価されている、つまり買い被られていると思っているが、教育委員会と碑が同居しているのをみると、複雑な気持ちになった。私が育った地域の近所に松陰神社があり、そこでよく遊んだものだが、松陰神社の近くに区役所があったのは、意外に偶然ではないのかも知れない。
 ペリーロードを歩いていたときに、これまた調和がとれそうにない古墳跡があった。
 
 
 洞窟の古墳ということで、もちろん、ずっと前のことだ。近代の幕開けになった歴史を刻む下田としては、かなり意外性のある遺跡だ。
 
 また伊豆は、日蓮が流刑なった場所だ。頼朝といい、日蓮といい、伊豆はそんなに流刑地としてふさわしいのか疑問だが、日蓮関連の遺跡も多数ある。この古墳がある寺は、日蓮ゆかりの寺でもあった。
 
 
 
 
そんなこんなで、ぶらぶらしていると、銭湯があったので、思わず写真を撮った。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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