佐々木朗希の完全試合から学ぶこと

 昨日ロッテの佐々木が、21世紀初の完全試合を成立させた。あわせて、13連続奪三振の新記録、19奪三振のタイ記録まで達成している。メディア上でたくさん書かれているが、個人的な感想を書いておきたい。
 「近頃の若いもんは・・・」というのは、歴史の記録の最初期から見られる老人の嘆きらしいが、高齢者である私は、「近頃の若いもんは、すごい」と常々感じている。野球の大谷、将棋の藤井、そして、サッカーの若手たち。以前は、日本のサッカー選手は、とにかくシュート力が弱く、チャンスなのに、自信がないから他の選手にボールを廻してしまうというような指摘がなされていたが、最近の若手は、果敢にシュートを決めている。そして、そのすごい若手に、さらに佐々木が加わった。
 佐々木の活躍は、順調にいけば、確実視されていたから、その内素晴らしい記録を打ち立てるだろうとは予想されていたが、これだけ早く、またとてつもない記録とともに、完全試合を達成したのは、周囲のもり立て方も適切だったことを、強く感じる。

 多くの人が指摘しているが、2020年7月の全国高校野球大会地区予選の決勝戦で、監督がエースの佐々木に投げさせず、敗北したことは、大きな話題になった。そして、甲子園にいけるのにその機会をみすみす逃した監督に、非難を浴びせる者が圧倒的に多かった。張本はサンモニで、高校球児の夢を潰したとして、監督を非難し、絶対に投げさせるべきだったと声高に主張していた。私は、そのとき、この話題について、このブログで、監督を支持する文章を書いた。
 私は、甲子園大会の非人間的ともいうべきあり方に、ずっと疑問であり、何度も批判を書いてきたが、逆にいえば、当時の監督の決断は、間違った甲子園大会の運営の欠点を回避する、非常に懸命な選択だったと思うのである。それに、そもそも佐々木が決勝で投げれば、確実に勝てたという保障はない一方、佐々木に過大な身体的負担があって、故障した可能性もあるのだ。これまで、才能のある高校野球の選手が、過酷な登板を強いられて、肩を壊し、選手生命を縮めた例は、数えきれないほどある。そういうことも、監督は考慮しただろうし、また、佐々木の身体が十分に成長しきっていない点も、配慮せざるをえなかったのだろう。今日の試合を勝つよりも、その後の20年間の活躍を重視したということだ。今日勝っても、その後の20年を潰したら、本人だけではなく、社会の損失だ。
 入団したロッテの育成方針も、その延長上にあり、じっくりと身体の成長・強化を重視して、デビューを急がないことを徹底した。これもなかなかとれる方針ではない。佐々木を登板させれば、確実に集客を望めるのだから、経営的には早くから登板させたかったに違いない。しかし、それをじっと耐えたチームの監督、コーチも高く評価されるべきだ。
 北京オリンピックでの女子フィギュア選手の消耗品的扱いに、批判が高まったが、アスリートが長く活躍できることを支援する指導体制を、組織的にも重視するべきであり、また、そうすることが、組織にとっても利益にもなるわけだ。特に、高校野球は、本当に酷い状態が改善されていない。佐々木の活躍は、そうした高校野球のあり方に反省を迫っていると思うのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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