施設へのインタビュー交渉の傍ら本や文献を読み、様々な視点から「虐待」を考えてみようと思う。その第一弾として「虐待を受けた経験のある子どもはその後の成長段階においてどのような特徴が見られるのか。」ということについて調べてみた。今回から数回にわたり秋月奈央さんの著書、『虐待された子共達』に記載された実例をもとに私の考察も含めて投稿をすることにする。
Sちゃん
小学校2年生のSちゃんは両親と母方の祖母と4人暮らしをしていた。両親は共働きのため、普段は祖母が育児をしていたが、この祖母が主に虐待を働いていたという。Sちゃんの母親もこの祖母に叩かれて育っていた。そのため、母親もまたSちゃんを叩くことでしか育てられなかったという。祖母には虐待の意識はなく。あくまでも『しつけ』だったという。また、父親は普段は育児に無関心であるが、酒が入ると暴力的な性格になる人であり、Sちゃんが児童養護施設に引き取られた時にも施設に入り込み、「Sを返せ!」と暴れたという。このように家族全員から虐待を受けていたことが明らかになり、Sちゃんは児童養護施設に引き取られた。養護施設の職員は年齢の割に体が未発達だったSちゃんに驚き、『愛情剥奪性小人症』ではないかと疑った。これは、家族から虐待を受けたことで、特に親との愛情が希薄になったため、その心理的要因によって身体の発達が阻害されるという症状である。Sちゃんに限らず、虐待を受けた子どもは養育者から愛情を注がれなかった心理的影響が発育面にも影響を及ぼす例は少なくないと言われている。
体には火傷の跡や、殴られたような長い傷跡が至る所に、しかし目立たないような場所にあったという。酒乱の父親にやられたものだろうか。しかし、養護施設の職員がSちゃんの自宅を訪れた際、母親が出したお茶に対してとっさに頭をかばうというような過敏な反応を示したことから、私は母親か祖母から日常的に熱いお茶のようなものをかけられていたのではないかと疑った。
Sちゃんは児童養護施設に来た当初、なかなかしゃべらない子であったという。これは家族との言語的コミュニケーションが希薄であったため、また、暴力をふるう家族への恐怖心から自分の意見を言えなかったためだと推測できる。また、施設に引き取られてから学校で初めて発した言葉は「バカ。死ね。」だったという。Sちゃんが日常的に家族から浴びせられた言葉なのだろう。一人称や二人称を上手く使えないという点もSちゃんが家族や周囲の人達と良好なコミュニケーションを築けなかったという悲しい事実に裏付けられたことだろうか。
職員は児童養護施設での食事や遊びの際にもSちゃんのそれまでの生活を垣間見ることができた。Sちゃんは極めて食が細く、食べるのが早かったという。家族といた時には充分な食事を与えられなかったのだろう。私はそれだけでなく、Sちゃんはなるべく家族と同じ時間を共有したくなかったのではないかと憶測を立てた。また、遊びの面では友達と「夫婦喧嘩ごっこ」をしていたという。友達と腕を引っ張り合ったり、頭を叩く真似をしたり、「役立たず。」「お前なんか出ていけ。」とお互いを罵倒したりするのだという。とても小学校2年生の女の子がする遊びとは思えないが、この光景はSちゃんが実家で生活していた時の日常を再現したものだと考えられた。親子間で遊ぶ機会を得られなかったばかりか、夫婦喧嘩という子供にとって苦しいであろう出来事を遊びとして取り入れてしまうSちゃんに同情の念を覚えた。愛情を持って育てられなかった子どもは普通とはずれた感覚を持ってしまうものなのだろうか。
以上がSちゃんの大まかな特徴である。その後は少しずつ心を開き始めるようになったという。最初は硬直していた身体が養護施設での生活を通じて段々と柔らかくなっていったのだ。また、虐待の傷跡が痛むとしばしば職員に訴えてくるようになったという、その際に「これね、お母さんに棒で叩かれたの」と言ったそうだ。Sちゃんが初めて自分から虐待を受けたことを告白したのである。この時に職員はSちゃんが本当に痛かったのは身体ではなく、心なのだということに気付いたという。私はこの場面を想像して切なくも嬉しい気持ちになった。何故ならこのSちゃんの訴えはSちゃんが普通の愛情がどのようなものなのか気付き始めたサインだと思ったからである。自分の気持ちを、苦しい体験を正直に話せる相手を見つけることができたのだ。職員のことを信頼できる相手として認識した瞬間ということもできるだろう。暴力や暴言を使わなくてもコミュニケーションは成立するということをSちゃんは知ることができたのだ。
虐待を受けた子どもも適切な場所で丁寧な応対をすることで正しい愛情を理解することができるのだということがわかった。次回は性的虐待を受けたAちゃんについてまとめようと思う。
参考文献 秋月菜央『虐待された子共達』