学校教育から何を削るか4 いじめアンケート

 まだこのブログを初めて日が浅いし、まったくの個人ブログなので、アクセスはまだまだ少ないが、「学校教育からの削除」関連は、比較的多く読まれているようだ。まだ続けていくし、中教審答申も出ているので、その批判的検討もするつもりだ。
 さて、今回は、「いじめアンケート」である。
 いじめアンケートは、大津でのいじめによる中学生の自殺がきっかけになって、「いじめ防止対策推進法」によって、法的に義務づけられている。自治体や学校独自のアンケートが更に行われている場合もある。いじめが原因とみられる自殺があると、必ずこのアンケートが話題になる。
 いじめアンケートは、要らないのではないか、かえってマイナスなのではないかと、先日「教育学」の講義で、学生たちに問いかけてみた。実際にアンケートを書いてきた人たちだから、非常に参考になる意見がでてきたし、私もいくつか考えなおすきっかけになった。
いじめアンケートのあいまいさ
 議論としたきっかけは、野田市で小学生の女子が、父親の暴力的虐待によって死亡した事件で、その子が、アンケートに父親からの暴力的いじめを受けている、なんとかしてほしいと書いた。学校は児童福祉施設に対応を求め、対策がとられたが、その過程で、父親がアンケートを見せろと学校に要求、学校が拒否すると、教育委員会にかけあい、訴訟恫喝もあって、教育委員会が父親にアンケートを見せてしまった。新聞報道によると、アンケートには、「秘密は守ります」と書かれていたのだそうだが、法によって実施されているアンケートには、いろいろとわからないことがある。
・アンケートはどのように処理されるのか、誰が読むのか等について、実施段階で明示されているのか。
・保護者に知らせるのか。今回のように、保護者が加害者である場合は、どのように処理されることが想定されているのか。
・担任の教師、あるいは、生徒指導の教師が加害者である場合は、どう処理されるのか。
・児童、生徒は、これをまじめに書いているのか。
・スクールカウンセラーは、どう関わっているのか。
等、様々な疑問がある。
 おそらく、こうしたアンケートを構想した段階では、加害者は、学校内部の子どもであるという想定だったのだろう。しかし、野田の事件では、加害者が父親であるという想定外の事態だった。当然、父親を「生徒指導」することはできないから、学校は、福祉当局に通報したわけである。これ以降は、学校の管轄外だから、ここでは除外するが、しかし、親にどのように連絡し、関与してもらうのかという問題は残る。もし、秘密であることを明示してあるならば、親に対しても、連絡しないと子どもは理解するだろう。
 また、教師による体罰やハラスメントを受けている場合はどうなのか。アンケートは、書いたらそのまま袋にいれるので、担任がアンケートを配布して書かせるが、担任はその段階では読まないのが普通らしい。しかし、ほとんどの者は、担任は読むだろうと考えている。実際に、ほとんどの学校では、担任が一次集計をすることになっている。そして、何か問題があれば、生徒指導担当や管理職に報告されるという扱いになっているようだ。生徒たちは、そのように解釈している。そうすると、やはり、担任や生徒指導担当教師が、加害者である場合は、書くことができないだろう。
 それに対応するために、複雑な方法をとっている学校もあった。例外のように思えたが。担任が読むアンケート、生徒指導教師が読むアンケート(担任は読まない)などに分けているという。なるほどとは思うが、かなり大変だし、教師にとってのストレスが大きくなるだろう。

いじめアンケートは教師への不信感が前提
 私がアンケートにネガティブな意見をもっているのは、第一に、年3回もやっていると、子どもたちはどうしても、まじめに書かなくなると思うからである。大学の授業評価アンケートなどもそうだ。第二に、アンケートというのは、不信感を前提にした手法だからである。いじめの解決には、子どもと教師の間に信頼関係がきちんと成立していることが、絶対的な条件である。信頼関係がなければ、誰かがいじめられても、誰も教師に情報をもたらさないだろうし、また、教師がいじめを知ったとしても、有効な解決策をとれるかどうか疑問である。そして、加害者が教師にいろいろといわれても、それを受け入れない可能性が高い。逆に、信頼関係があれば、被害者なり、あるいは友人が教師に報告し、また加害者も教師のいうことを聞くだろう。つまり、アンケートなどなくても、信頼関係があれば、いじめ問題の解決は可能で、信頼関係がなければ、アンケートで知ったとしても、解決困難だというのが、通常考えられることである。したがって、子どもと教師の信頼関係を築くために、何が必要で、信頼関係を壊さないために、何が必要なのか、行政当局は、真剣にそのことを考える必要がある。
 第三に、教師の対応能力への不信感と、対応能力形成への無策が前提になっていることである。
 いじめは教師が見ていないところで行われるものだが、教師が普段から子どものことをよく見ていれば、いじめられている子どもは、必ずどこか様子に現れるはずである。それを見逃さない観察力が、教師に必要なのであって、それがあれば、アンケートなどはいらない。むしろ、アンケートに頼ることによって、子どもたちの様子を見逃してしまう危険性もある。また、年に何度も書くことによって、子どもたちは、どうしてもめんどくさいという感じになり、真剣に書かなくなる。教師の対応能力を阻害している最大の要因は、教師があまりに忙しすぎることなのだから、こうしたアンケートが、ますます対応能力を阻害していることになる。
 このように、制度化されたいじめアンケートは、欠点が非常に多いものである。いかにも、行政当局の考えそうな手法といえる。
 教師が直接子どもの様子から把握できない場合もあるだろうから、様々な「知らせる」チャンネルが必要であることはいうまでもない。メール、ボックス、手紙、直接いいにいく、等々があることを、定期的に知らせ、その扱いをきちんと明確にしておくことで、アンケートの積極的な役割を果たすし、また、ルーチンワーク化することもない。

いじめアンケートにはよい面もあると学生は主張
 このようなことを授業で話し合ったところ、それでもアンケートには意味があるという学生が少なからずいた。それは、自分たちは、普段はいじめについて、じっくり考えていたわけではないが、アンケートをされると、自分が加害者でも、被害者でもない場合でも、このクラスにいじめはないかを真剣に考えるきっかけにはなったというのである。アンケートなどなくても、担任教師は、いじめについて考えさせるきっかけを、定期的に与える必要があるかとは思うが、実際には、それがない以上、こうしたアンケートは、義務的に必ず行われるわけだから、有効な場合があるのだということだろう。私も、なるほどと納得した。
 そこで、それはいいとしても、やはり、年3回は多すぎて、1回がいいということで、コンセンサスとなった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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