ウクライナ侵攻はなぜ起こったか トルストイ流に考える2

ゼレンスキー
 ゼレンスキーにとっての、ロシアによるウクライナ侵攻を考察するのは、非常に難しい。誤算はプーチンにだけではなく、ゼレンスキーにもあったと考えられるし、また、大統領になってから、かなりスタンスが変化したことも考えなければならない。
 ゼレンスキーは、周知のように、喜劇役者だったが、国立大学で法学の学位をとっている。だから、日本のような,あまり学校にもいかず、芸能界で生きてきたタレントとは異なる。大学卒業時に、喜劇役者として生きていくか、あるいは大卒のひとが一般的に歩む道に進むか、迷った末の選択だった。しかも、単なる役者ではなく、自らドラマを作成するクリエーターでもあり、かつ、ITを駆使することもできた。
 そうして、有名になった大統領役をしたドラマも、自ら制作したものであり、たまたま、そうした企画で採用された一俳優ではなかった。だから、政治経験がなかったとしても、そうしたドラマ制作を通じて、政治や行政、そして社会全般の問題について、相当勉強し、考えたに違いない。
 ゼレンスキーの経歴を見ると、ロシア語の環境で育っており、東部出身だから、ロシア人との交流もあり、ロシアで仕事をしたこともあるようだ。だから、ロシアとは、元来敵対的ではなく、ドネツク、ルガンスクの「自治共和国」についても、強権的な対応を当初からとっていたわけでもなかった。

 しかし、西欧の側に惹かれていたことは間違いない。
 大統領選挙を闘い、その後の活動スタイルは、多くのひとに「ポピュリスト」政治家であると評価されていた。70%を越える得票数で大統領に選ばれたが、次第に支持率が低下し、かなり危機的なところまで追い込まれていた。
 私は、ウクライナ侵攻以前のゼレンスキーについては、リアルタイムではほとんど意識したことがなかったのだが、各種の報道や論文によれば、彼の政治は、とにかく、「政治腐敗の撲滅」が中心的な課題だったという。ウクライナは、ロシアと同様、オリガルヒの支配が強く、政治の腐敗が酷かった。民主主義の実行レベルを調査するトランスペアレンシーの調査では、圧倒的な下位だったそうだ。
 
 そこで、念のために、ゼレンスキーが政治の世界に登場する時から、昨年までの状況を朝日新聞の検索システムでチェックしてみた。
 2019年から検索したのだが、大統領選挙関連で登場する。「高い知名度と政治経験のない新鮮さと、反エリート」で話題になっているが、(2019.2.18 括弧内の数字は朝日新聞の日付)当初は、決してトップではなかった。しかし、3月3日の新聞では、首位を走っていると報道されており、国民投票による直接民主主義、政治腐敗の撲滅を公約に掲げている。有力候補であった現職のポロシェンコもゼレンスキーも欧米派で、EUやNATO加盟をめざす点では同じだから、外交政策での相違はほとんどなく、国内政治の腐敗に対するゼレンスキーの攻勢が目立っていた。だれも過半数を第一回目の投票で獲得できなかったので、ポロシェンコとゼレンスキーによる決選投票となり、ポロシェンコは、しきりにゼレンスキーとの直接討論会を提案するのだが、ゼレンスキーは応じず、最後に選挙戦最終日に実現したが、互いに罵り合っただけで終わったという。(2019.4.21) 
 4月22日に投票が行われ、圧倒的な得票数で、ゼレンスキーが当選したが、5月23日の就任式に、いきなり議会を解散すると宣言、7月21日に総選挙が行われ、ゼレンスキーが設立した新党「国民のしもべ」が単独過半数をとるという、歴史上稀なことが起こったのである。多党並立だったウクライナで、一党が単独過半数が初めてだったし、しかも、その政党が、その時の選挙で初めて登場したのに、それだけの議席を獲得した点でも、大きな事件だったといえる。
 当初、ゼレンスキーは、できるだけプーチンの折り合いをつけ、話し合いで解決しようとしたようだ。
 7月12日にはプーチンと電話会談を行い、クリミヤ問題で拿捕されたウクライナ人の解放をもとめている。そして、8月31日は、相互に収監者を釈放するなど、ロシアとの関係回復に期待をもたせる行動をとっていた。
 しかし、その後の記事は、日本の新聞のためかも知れないが、トランプがバイデンの追い落しのために、バイデンの息子がウクライナで行っていた経済活動について、調査をゼレンスキーに要求し、それがその後長々と続くスキャンダルのようになり、朝日新聞のゼレンスキー話題は、むしろそちらにシフトしてしまう。おそらく、ゼレンスキーの対アメリカ感情は悪化したのではないかと思うのである。後にバイデンは、ウクライナ支援に力をいれるが、対トランプ対策と、調査などは行わないようにさせる意味もあるのではないかと、推測させる。
 更に、次第にゼレンスキーにとって、好ましくない状況が起こってくる。
 ロシアのウクライナ侵攻によって凍結されることになったノルド2(ロシアの天然ガスをドイツまで送る管設置)が、デンマークの許可がおりることで、完成の見込みがたつことになった。現在でも、ロシアからガスを送るのは、ウクライナ経由の管を使っているわけだが、ノルド2が完成すると、ウクライナには大きな打撃になる。ゼレンスキーは「エネルギーだけではなく、地政学上の問題だ」と批判したが、計画はちゃくちゃくと進むことになった。アメリカは、その動向に警戒を示していたという。
 もうひとつのゼレンスキーにとって好ましくない状況は、東部の共和国に関連して、開催されないまま放置されてきた独仏ロとの4者会談が再開され、対話路線をとろうとしたが、プーチンは強硬姿勢を崩さず、東部の自治権をめぐり溝が残ったことだ。(2019・11・23) そして、そうしたゼレンスキーの対話路線が、ウクライナ国内で批判が強くなってきたと朝日は報道している。その後、ゼレンスキーの支持率は次第に低下しはじめる。
 2020年の記事は、多くがトランプ関連となっているが、結局バイデンが当選すると、バイデンは、ウクライナへの軍事支援を強化していく。
 こうした経緯を見ると、
・ロシアとの協調で、東部自治州問題を解決しようとしたが、プーチンの強硬策で実現しそうになく、そうした対話は批判されることになった。
・ロシアとドイツを結ぶパイプラインが完成の見通しがつき、ウクライナの大きな経済的損失となることが予想された。
・プーチンの強硬策に対抗するために、EUやNATOへの加盟を望んでいるが、はかばかしい返事が得られない。それにもかかわらず、NATOは、ウクライナの加盟の権利を否定しないことで、プーチンをいらだたせている。
・プーチンは、ウクライナのNATO加盟を阻止するため、軍事行動を着々と準備している。プーチンのことだから、実行する可能性が高い。
 
 ゼレンスキーのウクライナは、このような状況に昨年から今年の始めに置かれたと考えられる。
 プーチンが戦争を準備していることが、次第に明確になった時点で、ゼレンスキーには、どのような選択肢があったのだろうか。
 第一は、とにかく、NATOに加盟することを急ぎ、加盟を承認させる。もし、NATOに加盟が実現できれば、プーチンはまさか攻撃してこない。しかし、NATOは、門戸が開かれているという形式的なことしか言わず、実際には、ウクライナを当面加盟させる気がないことが認識せざるをえない。
 第二は、NATO加盟を諦め、加盟しないことを公言・確約し、プーチンを納得させる。フィンランド的な国家経営をすることだが、プーチンがそれで十分だと納得する保障はなく、ベラルーシのように、ロシア陣営に属すことを表明せよ、ともとめられるかもしれない。それを拒むことはできるだろうか。もし、この路線をとって、属国になることをもとめられたとき、それを拒んで、侵攻されたとき、西側はまったく援助しないだろう。また、これまでの公約からして、中立を国民が支持するとも思えない。EU加盟をめざすことで、当選したのだ。
 すると、この状況では、プーチンの侵攻を単独で防ぐことはできないし、プーチンの意図をやめさせることも難しい。とすると、徹底的に西側に援助をもとめられるように、その立場を鮮明にして、闘うしかない。プーチンが侵略してくれば、さすがに、西側諸国も見放すことはないだろう。しかし、そのためには、ウクライナ兵が徹底的に闘わねばならない。ウクライナがロシアに征服されれば、ベラルーシだけではなく、ウクライナを含めたロシア勢力と、NATOが直接対峙しなければならない。それはNATOとしても避けようとするに違いない。
 こうして、ゼレンスキーは闘わざるをえなくなった。バイデンの援助を受けて、ウクライナ兵を強化し、自らも決して逃げずに、国内にとどまり闘う姿勢を貫く。かなり前から、闘い方、国際社会への働きかけ方等を練っていたと思われる。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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