ウクライナ侵攻はなぜ起こったか トルストイ流に考える1

 トルストイは、『戦争と平和』のなかで、何度も、戦争はなぜ起きるのかを考察している。小説であるのに、その部分は論文調なので、退屈に思うひとも多いのだが、私はなかなか面白いと思って読んでいる。しかし、結局は、トルストイにとっても、その答は明確ではないようだ。巷間言われている説、ナポレオンの征服欲が原因だ、とか、ロシア皇帝がナポレオンの要求を受け入れなかったからだ、とか、あるいはより地位の低いひとたちの意志などを、様々にあげながら、しかし、それらのひとつが原因なのではなく、全体の複合によって、必然的に戦争へと人々は導かれていった、というような考えなのだろう。しかし、それでも、100万人を越えるような人々の殺し合いを引き起こした要因は、確かにひとつではなにせよ、いくつかの主要なものは想定できるのではないだろうか。そして、確かに、ある時点で、誰かが別の行動をとったら、ナポレオンはロシアに侵入しなかったというようなことは、確かにあるのかも知れない。また、ナポレオンの侵入後にしても、ロシア軍がボロジノでも闘わず、退却していたらとか、ナポレオンがモスクワにとどまることなく、皇帝のいるペテルブルグに進軍していたら、など、ひとが決断できる行動だから、別の決断にすることは不可能だったわけではないはずだ。だから、違う結果が起きた可能性を否定することはできない。結局、明確な、万人が納得できる理由を提示することは、不可能かも知れないが、様々な立場から考察してみることは、理解を深めることになるに違いない。

 
 現在のウクライナ侵略がなぜ起きたのか、識者の指摘を参考に、いくつかの違う立場から考えてみる。現在のロシアによるウクライナ侵略が、プーチンの意志によるものだという考えが、比較的多く「専門家」によって示されているが、やはり、トルストイ的に、より多様な原因を推測してみることも、真実に近づく上で必要なのではないか。そういう観点で考察してみることにする。
 
 まずは、この戦争を積極的に引き起こそうとしたひとたち。
プーチン
 プーチン個人の決断がなければ起きなかったことは、ほぼ間違いないだろう。ロシアの関係者、軍、情報機関、経済界なども、かなりのコンセンサスができていた状態で、侵攻が計画され実行されたのならは、現在のようなロシア軍のミスが重なるような闘い方にはならなかっただろう。
 プーチンが、この侵略をかなり長い期間練っていたことは、十分に想像できる。多くのひとによって指摘されているように、ソ連崩壊時に、ワルシャワ条約機構とNATOをそれぞれ廃止しようという「約束」の下に、ワルシャワ条約機構を廃止したにもかかわらず、NATOは、その後拡大路線をとった。NATOは対ソ連軍事同盟だったが、現在では、事実上対ロシア軍事同盟だ。「約束」が本当にあったのかどうかは、私には知る由もないが、プーチンがそれを信じていることは間違いない。だからこそ、NATOの拡大は脅威である。なんとか直接NATO国家軍と国境を接することは避けたい。バルト三国は、当面仕方ないとしても、ベラルーシとウクライナは別だ。ずっと昔からロシアの一部なのだ。(とプーチンは考えている。)とにかく、ウクライナをNATOにいれられてはこまる。だから、NATOやアメリカに、ウクライナを加盟させるな、とずっと要求してきたのに、アメリカも、NATOも「門戸は開かれている」などとたわごとをいう。
 しかし、実際には、アメリカもNATOも、当面は、ウクライナを加盟させる意志はないのだ。それがどうしてゼレンスキーにはわからないのだろうか。「門戸はどこにも開かれている」などといっているが、実際にウクライナを加盟させようとはしていないし、昔、ロシアも加盟したいと言ったら、けんもほろろだった。
 だが、時間がたつと、ゼレンスキーの活動で、NATOも認めてしまうかも知れない。その前になんとかしなければならない。今だろう。クリミヤのときには、ウクライナ軍はまったく無力だった。だから、簡単に屈伏させられるはずだ。
 プーチンの思考の柱はこんなものだったのではないだろうか。もちろん、言われているように、プーチンは病気で判断力が弱っているとか、情報が入っていないとか、そういうことは、西側の希望的観測であり、情報戦であって、プーチンほど情報を集め、熟慮する政治家は、今の世の中に見当たらないほどといってよい。オリバー・ストーンが作成したプーチンとのインタビュードキュメントをみれば、いかにプーチンが歴史と国際情勢を、自分なりの視点で詳細に考察しているかがわかる。だから、アメリカがウクライナ軍の指導をしている状況は、わかっていたと考えるべきだ。だからこそ、待てば待つほど、ウクライナ軍が強化され、NATO加盟の可能性が現実化してくる。いまなら、ドイツやフランスは、対抗勢力のなかに入らないと思われるし、オリンピックの際に、中国も援助してくれるように頼んできたから、やはり、いまの時期にウクライナを屈伏させておく必要がある。あとになれば、それだけ難しくなる、という判断があったものとみられる。
 2年後に大統領選挙があり、そこで再選されるためには、国民に訴えるポイントが必要である。
 アメリカは、ウクライナ兵の訓練はしているが、ロシアが、実際に闘う相手は、弱かった兵士たちであって、急に強くなるはずもない。アメリカは、これまで弱腰で、口先では強いことをいうが、直接介入してくることはなと言っているのだから、大丈夫だろう。また、ヨーロッパは、ロシアのエネルギーがなければ経済が成り立たないので、強い反対はしないに違いない。
 こういう思考回路で侵攻を決断した。
 
 もちろん、プーチンには数々の誤算があったが、それはあとで考察することにする。
 
バイデン
 私は、バイデンはプーチンの侵攻を予期していただけではなく、阻止することより、煽っていた、つまり、プーチンがウクライナに侵略することを期待していたと、ずっと思っている。アメリカは、クリミヤのロシア編入後、ウクライナ軍の強化に協力し、情報も詳細に収拾していたから、当然、プーチンの意図は正確に読み取っていた。だから、そうさせないための確実な手段をアメリカはもっていた。それは、実際に、ウクライナを近々NATOに加盟させるつもりはなかったのだから、それをプーチンに伝えて、プーチンの最も強く危惧していることを除いてやればよかったのである。しかし、アメリカはその逆をした。NATOは、門戸を開いており、どの国も参加する権利があるなどと述べてきたのである。実際には、あれだけ強く加盟を希望していたウクライナに、前向きに検討することすらしてこなかった。そして、さすがに、加盟が難しいことを、最近のゼレンスキーは悟ったようにみえる。
 プーチンがウクライナに侵攻する意図で準備していることを、再三公表したことは、「やめろ」という圧力のように見たひともいるだろうが、私は、煽っていると感じた。そして、それを決定的に感じたのは、プーチンがウクライナ侵攻をしても、アメリカは、経済制裁等、必要なことをするが、実際に軍隊を派遣して参戦することはない、と断言したことことだ。アメリカやNATOが参戦しないなら、プーチンとしては、安心してウクライナを侵略することができる。つまり、プーチンに対して、賛成ではないが、ウクライナに侵攻するなら、仕方ないね、という態度だ。
 なぜ、そんな態度をとったのか。それには、いくつも理由がある。
・バイデンの支持率が非常に下がっていた。そして、今年の春に中間選挙がある。中間選挙で敗れれば、議会はねじれ現象となり、法案は通りにくくなり、死に体の政府になってしまう。なんとか、支持率をあげる必要がある。支持率をあげるには、戦争がてっとり早い。しかし、アメリカ兵を直接送ることは、国民の反感を買う可能性が高い。プーチンがあせっているから、ウクライナに侵攻させれば、アメリカは、非軍事的に介入して、正義の立場にたてる。これで中間選挙は大丈夫だ。そんな計算をしなかったはずがないと、私は思う。(ジョージ・W・ブッシュは、ひどい低支持率にあえいでいたが、911で圧倒的な高支持率を獲得した。)
・プーチンがウクライナに侵攻しても、彼が考えるほど、易々とはいかない。アメリカは、これまでウクライナに梃入れしてきたし、いろいろな手でプーチンの成功を遮ることができるし、その結果、ロシアを弱体化させることができる。
 ロシアの「強み」は石油・天然ガスと、軍事力だ。そして、これはアメリカと対抗している。
 プーチンがウクライナ侵攻したら、経済制裁をして、石油・天然ガスの輸出をとめさせる。そして、その穴をアメリカが埋める。可能なあらゆる経済制裁をして、ロシア経済を破綻させることができる。
 また、ロシアの軍隊は、世間でいうほど強くない。アフガンで惨めな敗北をしたのに、あまり変わっていない。ウクライナ侵攻を実行させれば、ロシア軍の弱さを世界に示すことができる。
・ロシアが徹底的に弱体化すれば、あとは中国だ。中ロが協力すればやっかいだが、ロシアが没落すれば、中国は孤軍奮闘しなければならない。
 このように考えていけば、ロシアのウクライナ侵攻は、アメリカにとって、なんら不利益はなく、完全に漁夫の利をえていることになる。ロシアの資源経済に打撃を与え、軍事的には弱いことを見せつけることができる。相当な兵器の援助をしているが、これで軍需産業はかなり潤うはずである。しかも、まだアメリカ人の死亡者は伝わっていない。(実際にいないかどうかはわからない。かなりの軍事顧問団が入っているというから、皆無とも思えないが。)ロシアとの直接対決を避けることができれば、アメリカとしては、プラスばかりでマイナスはない。
 バイデンにとって、ここまではよいことずくめである。
 しかし、プーチンが化学兵器や生物兵器、そして、核兵器を使ったときには、いいことずくめでは終わりそうにないだが。(つづく)
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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