前回ブログを書いてから、ずいぶんと日時が経ってしまった。実はふたつほど途中まで書いたのだが、内容が古くなってしまったそのままにしている。そのひとつが、斉藤知事問題である。とにかく、事態が目まぐるしく動いた。選挙前のパワハラ非難の大合唱から、議会の全員一致による不信任決議、そして、再選挙、立花氏の登場による選挙戦の転換、斉藤氏の再選、そして、その後の展開も、PR会社による暴露と公選法違犯論議というように展開して、いまだに議論はおさまらない。
途中まで書いて中断した文章は、この一連の流れを、単にパワハラ問題や公益通報問題などの個別的なことよりも、一連の動向が、最初から仕組まれた政治的な斉藤廃除勢力による、計画的な動きであって、兵庫県の政策をめぐる旧体制と新体制の相剋であるという中に、位置づけようと考えたわけである。廃除の活動は、斉藤知事側の反撃もあり、事態はすこしずつ、斉藤追い落とし派の計画とは違った方向に動き出して、「事実は小説より奇なり」という様相を呈したことを整理して、議論すべき点を自分なりに論じようと思ったわけである。