アドバの「フィガロの結婚」ライブ映像がついにBDに

 予約注文していたアバド式の「フィガロの結婚」のブルレイ・ディスクが今日届いた。これはずっと発売を待っていた映像だった。HMVの書き込みでも、要望として書いたことがあった。おそらく、私と同じように発売を渇望していたひとがたくさんいたに違いない。LDで発売されたのをずっと見ていたのだが、DVDやBDではまったく発売されないできた。1991年のライブ映像だから、すでに30年以上たっている。不思議なことに、ドイツ・グラモフォンからコンプリートまででており、また映像ソフトも多数でているのに、なぜかモーツァルトのオペラ映像は、これまでまったく出ていなかった。ドン・ジョバンニは2種類の映像があるし、コジ・ファン・トゥッテ、魔笛も映像がある。テレビでの放映はされているのだから、発売をアバドが許可しなかったとも思えないのである。
 唯一LDで発売されたのが、この「フィガロの結婚」だった。私は、これを何度もみたが、LDはデッキそのものが発売されておらず、私がもっていたものもすべて故障してしまったので、見ることができかったのである。LDのソフトはたくさんもっているが、中古で売ることもできないので、処分するしかないのだろう。

 さて、この「フィガロの結婚」の映像は、私は、映像ソフトとしては、もっとも優れたものだと思っている。すべての市販映像をみたわけではないが、主なものはたいてい見たと思う。そのなかで、演奏と演出がともに非常に優れているのだ。ただし、オリジナルのテープはないのか、LDの映像を使ったということで、現在の映像ソフトとしては、かなり見劣りがするのが残念だ。

 まず演奏だが、このライブのあと数年して録音したCDよりも、生き生きとしてずっと優れている。なんといっても全体として、ライブなのでのりがいいのだ。オケはウィーン・フィルだが、国立歌劇場ではなく、アン・デア・ウィーン劇場という小さな劇場なので、速めのテンポでも無理なく歌手たちは歌うことができており、まったくだれることがない。それに対して、CDのほうは、ライブの闊達さが薄い感じがする。そして、伯爵夫人のシュトゥダーは、このあと喉を悪くして、一時期冷遇されてしまうのだが、CD録音でもなんとなく不調を感じる。それから、ケルビーノがバルトリに代わっており、スター起用ということなのだろうが、映像をともなっていることもあるが、映像のシーマのほうが、ケルビーノの魅力を表現している。
 そして、演奏とともに、演出が実に素晴らしいのである。近年の物語を壊してしまうような演出の対極にあるもので、劇の内容を実にわかりやすく、自然に表現しているのである。たとえば、一幕のケルビーノが伯爵に見つからないように、椅子に隠れたり、裏側に回ったりする様子が、歌詞とぴったり一致して、かつ愉快に演技がなされる。二幕の終了間際のドタバタも、どんどん展開する内容が、無理なく歌手の行動に一致していて、これほど手際よく筋の展開を自然な流れで表現した演出は、あまり知らない。
 そして、私が初めて、フィガロの通常のライブで不思議に思っていたことは、4幕のバルバリーナがピンを探して見つけるのに、同じ舞台では、ひとをまちがえるほどにくらいという設定のことだったが、この演奏では、バルバリーナは明かりのついた玄関先で探しており、見つけたあと、舞台が回転して、暗い庭園で騒動が繰り広げられることになっているので、考えてみれば、当たり前のことなのだが、舞台上で初めて無理のないように演じられたのだった。
 このように、ほとんどすべての舞台設定や移動、して、動作が劇の内容と歌詞にぴったりと一致しているので、無理なくドラマに没入できるのが、この演出の特徴である。

 この映像が日本で特別に作成されたのは、今秋ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演があり、フィガロが演目にはいっているからだそうだ。あまりにチケットが高額なので、とても行く気になれないが、この映像が発売されたので、来日に感謝している。
 多くのひとに視聴してほしい映像であり、オペラ・ブッファに強いアバドの長所が発揮された演奏だと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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