自民党総裁選が実質的に走り出しているが、この候補者の顔ぶれと強い候補とされるひと達をみると、実におかしなことに気付く。政策に強く、また、交渉力なども高いとされる候補がすべて下位に並んでいて、上位二人は、いずれも政策能力や交渉力がいまいちとされている。小泉氏の政策能力については、周知のことだろうし、高市氏は、奈良県知事選で自民党を分裂状態にしてしまい、敗北させたということでわかるように、交渉力には大きな疑問譜がつく。
30年くらい前のことだが、私がオランダに滞在していたときに、総選挙があった。そして、その選挙戦のやり方が、日本と全く違うので驚いたことがある。オランダは完全な比例代表制なので、党としての争いになり、主な選挙戦は、毎日のように開かれる党首によるテレビ討論会になっている。毎日話題を変えて、各党首が政策を説明し、質疑応答がある。だから、ここでは政策能力や交渉能力のない党首は、すぐに支持を失ってしまうのだ。
そのことを帰国後話題にしたところ、「日本では能力の高い人をリーダーにすることが嫌われる文化なのだ」という主張に出会った。たしかにそういう事例は、歴史上たくさんの例がある。逆に、江戸時代の大名などは、意図的に愚鈍を装って、幕府から睨まれることを回避しようとした、というような話もある。戦後日本の首相をみても、上記の能力が高いといえるのは、中曽根首相くらいが最後で、森首相や安部首相は、政策能力が高いとはとうていいえない。もちろん、首相に選ばれるわけだから、違う点での能力に秀でていただろうが。
形式的なトップには、能力が求められず、支えるひと達に求められるというシステムは、組織自体の安定性のためには、たしかに合理的な面がある。大きな問題が発生したときに、当然トップが責任をとる必要があるが、実際に有能なトップが辞めてしまえば、組織自体がうまく機能しないことになる。しかし、トップにはそもそも責任がないとされ、ナンバー2以下が責任をとるシステムをとっていれば、適当な人が辞任すれば済み、それは組織自体には致命的な損傷を与えない。
では、いつからこうしたシステムが出てきたのだろうか。私が思うには、江戸時代からではないか。このようなシステムが有効に機能するのは、安定した社会である。動乱の競争社会では、リーダーの実力がないと、闘えないのは明らかだ。だから、戦国時代には、トップには能力のある人がついたし、そうではない場合には、競争に敗れて滅んでいった。また、下の者がトップの座を狙って反乱することも少なくなかった。(下克上)江戸時代の安定期になると、下克上的風潮を抑圧するために、トップに立つ者の資格を、「能力」という後天的に形成される要素ではなく、「生れ」という誕生時に決まっている要素に変換した。その象徴的事例が、3代将軍をめぐる問題である。そして、徳川将軍で、実際にリーダーとしての資質をそなえて、それを発揮したのは、初代の家康と、幕府が窮乏に陥ったときの吉宗だけであったとされる。それ以外の将軍は、程度の差はあれ、幕僚に支えられ、実質的に政治を行ったのは、幕僚たちだったわけである。
日本の不幸は、そうした江戸時代の停滞を打破し、欧米列強に追い付くための実力社会へと転換しなければならなかったときに、「天皇制」という「無責任」体制を構築したことである。明治憲法の「天皇は侵すべからず」という規定は、天皇は一切の「政治的・刑事的責任」を負わない、つまり、訴追されないという意味である。そうした体制では、まだ構築期に活躍した有能な人材が、サブリーダーを務めているときはよいが、次第に「無責任」の範囲がひろがり、サブリーダーにも「能力」が求められなくなっていく。社会の仕組みが安定的に形成されると、能力を発揮する余地が狭くなっていくからである。日中戦争に突入した日本がそうであったし、また、「停滞の30年」といわれる最近の日本の状況も同様の問題をかかえている。自民党のリーダー達、首相のほとんどが世襲議員である。
世界は第三次世界大戦にすでに突入しているという見解もある。そうでなくても、安定した国際社会でないことは、誰の目にも明らかであろう。実質的に首相をきめる選挙である自民党総裁選では、私はまったく支持しない政党であるが、能力のある人を決めてほしいものだ。