皇位継承有識者会議報告書の検討4

 今回は最後の検討だが、対象は小泉内閣のときにだされた「皇室典範に関する有識者会議」の報告である。周知のように、これは、長子継承の提案を行い、小泉内閣のときに法案まで準備されたものだが、議論が始まる前に、悠仁親王の妊娠が発表され、安倍官房長官が、この親王の即位を妨害するのか、と小泉首相に迫って、改革を見送らせたというものだった。しかし、答申としては残っており、当然今回の有識者会議においても、最も重要な文書として検討の対象とすべきものだったはずだが、まったく無視されたようだ。
 この文書をじっくり読んでみたが、自民党政府の審議会報告として、これほど、明快な論理と結論を示した文書を他に知らないくらいである。
 さて、内容を紹介しつつ、検討してみよう。

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皇位継承有識者会議報告書の検討3

 報告書は、皇族の数の確保策として、まずは、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を有することになるという提案をしている。ここにも、いくつかのおかしな論理がある。
 女性皇族が結婚後は皇族でなくなるというのは、男女平等に反するし、また、女性・女系天皇を容認する立場からは、結婚後も皇族であり続けるようにすることは当然であるとしても、そこに余計な考察が入ってくるのが、この報告書の特質である。
 まず、結婚後も皇族として残ることを正当化するために、報告書は、明治時代に旧皇室典範が定められるまでは、女性も皇族のままであったという歴史をもちだし、和宮の例をだしている。それならば、旧皇室典範で導入された男系男子などという原則を、前提にするのは何故か。旧皇室典範が、男系男子に限定したことを、吟味する必要があるのではないだろうか。男系男子があたりまえのことのように主張する人たちがいるが、この原則は明治時代にはじめてできたものである。

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皇位継承有識者会議報告書の検討2

 まず初めに確認しておく必要があることは、この皇位継承有識者会議(会議1と略)の認識が、まったく国民の見解と隔絶しているという点だ。どのような世論調査でも、女系天皇・女性天皇の支持者は7割を超え、女性天皇に至っては8割以上が賛成している。ところが、この会議1が行ったヒアリングでは、21名から意見聴取をしたそうだが、「ヒアリングの中では、皇位継承のルールについて悠仁親王殿下までは変えるべきでないとの意見がほとんどを占め、現時点において直ちに変更すべきとの意見は一つのみでありました」と書かれている。もちろん、女系天皇・女性天皇支持に対して、ただちに変えるべきかという質問項目にすれば、減るかも知れないが、女性天皇支持者は、愛子天皇実現を望むという意味と考えられるから、実質的には直ちに変更を望んでいるわけである。国民の70%と、会議1のヒアリングでは、4.7%の相違は、はっきりと記憶しておくべきことである。つまり、国民の意識をまったく無視したヒアリングをした上での報告書であるということだ。有識者会議は、「天皇は国民の総意に基づく」という意味を、真剣に考えてみたことはないに違いない。この点については、報道でほとんど触れられていないので明確にしておきたい。

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皇位継承有識者会議報告書の検討1

 有識者会議なるものの報告書がだされたが、問題解決にはまったく無意味だという評価が固まっているようだ。女性宮家とか、旧皇族の復帰あるいは養子縁組などという、皇位継承問題には、ほとんど関係しないことが結論になっているだけで、これほど、ほとんどの国民をがっかりさせる報告書もめずらしいといえるだろう。 
 最近、ぼちぼちと皇室の歴史を書いた本を読んでいるが、興味深かったのは、明治天皇まで一般的であった正妻以外に側室をもつことをやめようということになったのが、条約改正のために、ヨーロッパの王室のような体裁にしなければならない、側室などは欧米に認められないという意識だったようだ。もっとも、明治天皇の親王はすべて皇后以外が母親だから、そうはいっても、極めてあいまいな形での対応だったにすぎない。運がよかったのか、悪かったのか、大正天皇には、親王が4人も皇后から生まれたから、その雰囲気のなかで、昭和天皇が側室をもつことを断固拒否することが可能になったのだろう。

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新年早々だが、いじめ話題2

 旭川の事件に関しての続きであるが、今回は、論点になる部分についての考察をする。
 
1 いじめと自殺との関連性
 当時の校長は、いじめも否定し、当然自殺との関連をも否定しているわけだが、いじめというよりは、犯罪にまで至る行為であったことは疑いない。しかし、このいじめ・犯罪行為と自殺の関連性については、簡単にはいえない要素があることも事実だ。
 というのは、いじめ・犯罪行為があったのは、2019年の4月から6月までであり、その後被害生徒は入院不登校となり、9月には別の学校に転校してしまい、そこでも不登校と入退院をしている。これまでの報道を見る限りは、転校先の中学で、同様のいじめを受けたようには言われていない。しかし、PTSDを患い、苦しんで入院しており、その原因がY中学でのいじめ・犯罪であることも疑いようがない。自殺をしたのが、2021年の2月であるから、かなり日時が経過している。そして、2020年に、インターネットの相談コーナーでの相談の会話を聴いている限り、もちろん悩んでいるが、本人の対応はしっかりしている。

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箱根駅伝の疑問

 いつものように、昨日と今日箱根駅伝で行われ、大いに盛り上がったようだ。あまり関心はないのだが、家ではテレビをつけているので、食事などのときに一緒に見ている。ただ、毎年のことだが、いつも疑問に思うことがあるので、そういう文章も必要だろうと思い、整理してみた。
 
 最も強く疑問に思うのは、ランナーたちの間を走る車やバイクの多さである。テレビ放送のためにカメラを積んだ車両が走るのは仕方ないとして、近年は、コーチが乗った車が走者の後ろを走り、頻繁に指示を与えている。だから、ランナーは、前を走る人の姿が非常に見えにくいに違いない。この点の疑問はいくつもある。
 まずは排気ガスだ。これはずっと気になっていたので、マラソンや駅伝の選手に間接的に確認したことがあるが、ほとんど電気自動車などは使われていないそうだ。排気ガスが身体に悪影響ではないか、電気自動車を使うべきではないかという質問には、「そんなこと考えたこともない」という回答だったので、逆にびっくりしたほどだ。最近は、排気ガス規制も強くなっているので、以前ほどの害はないのかも知れないが、それでも、選手の健康を考えれば、排気ガスのない車両にすべきではないか。

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2022 ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサート バレンボイムの演説に最大拍手

 昨年は無観客だったウィーン・フィルのニューイヤーコンサート、今回は多少観客を減らしての実施だった。しかし、減らした分は3階部分が主なので、1階には多少の空席があった程度だった。たぶん定員の3分の2くらいだったのだろうか。そのためか、拍手喝采というような盛り上がりは、あまりなく、一番拍手が多かったのは、バレンボイムが連年のとおり、青きドナウで止まって、新年おめでとうと言った後、けっこう長い演説を始め、それが終わったときだった。コロナ危機は、人間の危機でもあり、ばらばらになっているのを、音楽で一緒になろうというような内容だった。いい意味で政治的な音楽家であり、まじめなバレンボイムの面目躍如というような演説で、ニューイヤーコンサートで、こんな演説をした人は過去にいないだろう。

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旭川のいじめ自殺

 元旦にネットでニュースをチェックしようと思ったら、文春オンラインが北海道旭川で起きたいじめ自殺事件の、過去の記事を再度掲載しているものが目についた。もちろん、この事件については知ってはいたが、詳細を追いかけることはしていなかったので、改めて文春オンラインだけではなく、いろいろと調べてみた。テレビによく出てくる犯罪コメンテーターというべき小川泰平氏が、何度も現地調査して、かなり多数のyoutube動画をあげているのに驚いた。そして、事実を知るほどに、怒りの感情が増大してくるのは、多くの人と同様だった。大津の事件と、いじめの陰湿さと教育関係者の隠蔽体質は似ているが、隠蔽を破ったのが、メディアだったという点では、福島の須賀川一中の柔道部事故に似ている。
 旭川事件は、週刊文春が報道したことで、大きく動いたわけだ。つまり、文春の報道がなければ、隠蔽されたままだったかも知れない。

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武蔵野市の外国人を含む住民投票案の否決は残念だ

 既に決まっていることで、しかも日時が経過してしまったが、今年の終わりのテーマとして書いておきたい。
 日本人と同じ資格(居住3カ月)で、住民投票の権利を外国人に付与するという案が、議会に提案され、それが否決されたのが事実だ。ほとんど同じ内容での住民投票を認めている自治体が、実際にはある。大阪豊中市と神奈川県逗子市で武蔵野市提案内容と同じ内容で施行されているそうだ。その他に条件は違うが外国籍を認めた住民投票の規定があるのは43自治体だそうだ。大阪といえば、維新のお膝元だから、ここで実施されていることは、驚きでもある。
 さて、この条例案に対して、反対派たちが行った運動は、いかにも醜悪だったといわざるをえない。外国人の住民参政権の提案についても、同じような反対がなされたが、いっていることがあまりに荒唐無稽というべきだろう。

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教育学を考える28 教育的価値2

 他の領域の価値ではなく、教育独自の価値は何か、それはあるのか。
 ずっと考えているのだが、かなり難しい問題であると感じた。つまり、これが教育的価値であるという内実が、あまり出てこないのである。勝田も「全面発達」しかあげていない。「全面発達」自体がかなり論争的な問題であるから、そんなありもしない概念が、価値というのはおかしいという批判もでてきそうである。勝田の議論は、教育的価値を論ずる場合の歴史性とか、産業構造とか、周辺の検討に終始して、本丸になかなかいかないのである。
 
 もう少し、教育の基本から考え直してみよう。
 宮原誠一の有名な「教育の本質」規定について考えてみる。1949年に書かれた「教育の本質」という論文で主張されていることは、現在なお有効であるといえる。それは、ふたつのことをいっている。

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