入試に皇室特権はあるのか あるのは政治力の行使だ

 悠仁親王の高校進学問題は、いよいよ受験シーズンに突入して、ますます大きな話題となっている。これだけ、世間に晒させてしまったという点で、両親の責任は重いといえる。
 題名のように、皇室特権という言葉で、語られていることが多い。秋篠宮は、本人のいきたいところに行かせたい、と語っているらしいが、そもそも受験の世界では、本人のいきたいところに無条件でいけるわけではない。いきたいという希望は大事だが、世間には「試験」という関門がある。まるで、秋篠宮のいい方は、「関門」は自分たちには存在しないと思っているかのようである。確かに、「学者」のなかには、皇族は行きたい学校にいけるという特権がある、と主張している人もいるらしい。
 では、どうなのか。
 結論をいえば、そんな特権は、どんな法令・規則にも書かれていないはずである。確かに戦前は、皇族は学習院で学ぶことが規定されていた。学習院は、天皇家のための学校として出発したのだから、皇族や華族が特別な地位を占めていた戦前においては、それは当然のこととして受け取られていたに違いない。

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東大前での刺傷事件を考える

 不可解で悲惨な事件が起きてしまった。名古屋の高校生が、大学共通テストが行われている東大の前の道路で、複数の人に切りつけたという事件である。高速バスで名古屋から上京し、地下鉄の駅(たぶん本郷三丁目だろう)付近で放火をして(たいした被害とはならなかった模様)、その後、東大に向かっての犯行だったという。刺された一人は高齢者で、残り二人は受験生だった。受験することができなかった彼らに対して、どのように配慮するかは、今後の検討による。
 報道されている限りでは、名古屋の最も進学実績の高い伝統校(私立)で、二年生だった。東大の理三をめざしているが、成績が落ちて医者になれそうにないので悩んだ結果としての犯行だったことを仄めかしているそうだ。 
 これ以上のことは、大手メディアの報道ではわからないが、ネット情報を検索していくと、ますます理解が困難になっていく。

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教師の免許更新制廃止大賛成 他にもある安倍内閣による教育改悪を戻そう

 教師が10年ごとに、必要な講習を受けて、教員免許の更新をしなければならない制度が、いよいよ廃止されることが決まったようだ。従って、新年度からの講習は開催されないことになるのだろう。大変いいことだ。医師や弁護士のような高度な専門性を必要とする資格ですら、更新制度がないのに、教師にだけ更新義務を課すのは、いかにも教師いじめ的な現象だし、そもそも、短期間の講習とテストを受けて、教師の力が増すわけでもない。いかにも、教育現場を無視した、安倍内閣の人気とり政策であったのだから、廃止はもっと早くになされるべきだったが、もちろん、実施当人の安倍内閣では不可能だったのが、やっと、安倍内閣が終わって、廃止に向かって動き出していたわけだ。

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皇位継承に関する各政党の政策

 皇位継承に関する有識者会議の報告書の議論が、国会で始まるそうだ。ほとんど意味のなさない報告書の議論をして、どんな効果があるのだろうかと疑問ではあるが、報告書がでたのに無視するということもできないのだろう。
 念のために、各党の政策を検討してみることにした。
 最も政策としてすっきりしているのは、共産党である。以下に志位委員長の見解として述べられている。https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html
 詳しいことは、読んでもらうことにして、以前は天皇制廃止を主張していたが、現在は、天皇の制度を廃止するような主張はしていないということだ。民主主義と君主制は矛盾するが、現在の天皇のあり方は、憲法を遵守する限りでは、君主制ではないという認識にたっているらしい。天皇は国政の権能をもたないと明確に書いてあるので、政治的権能をもたない、単なる象徴は君主ではないということだ。そして、継承のあり方も、憲法にあう形にすべきであり、それは男女を問わない長子継承であるというものだ。

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日本で評論家に無視された指揮者1 ラインスドルフ

 評論家がどの程度、一般の人たちに影響を与えるのかはわからないが、評論家がこぞって、同じような見解を述べていれば、それなりの影響を与えるに違いない。音楽、レコード業界でもそうした現象がいくつかあった。カラヤンですら、若いころは、(後々まで影響を受けた人もいるようだが)評論家たちの多くにけなされ、低くみられていた。日本のクラシックの音楽評論家たちは、フルトヴェングラー信者が多かったので、カラヤンは「精神性がない」といって、邪道扱いされていたのである。
 それでも、カラヤンはヨーロッパにおける楽団の帝王だから、日本でもファンは多かったし、そうした評論家に影響されない人たちもたくさんいた。しかし、なかには、評論家たちにほとんど無視、ないし低評価を継続的に受けていたおかげで、実力が極めて高いのに、日本では人気があまりでなかった人たちがいる。そういう何人かを、時々とりあげていきたい。
 最初に取り上げたいのがエーリッヒ・ラインスドルフである。

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大学入試特別措置から考える改革

 今年もコロナが入試に対して大きな影響を与えている。しかし、入試に対してマイナス要因となる自然の猛威は、決してコロナに始まったことではない。インフルエンザや大雪などは、毎年のように問題となっていた。そういうことから考えると、コロナへの対応は、度を越しているのではないかと思われる部分もある。大学共通テストを前提とした試験なのに、コロナのために二度とも受けられなかったら、二次試験や独自試験で対応せよなどという、可能なのかと疑問になるような措置も、文科省からだされている。入試は、具体的措置については、どのようにやっても、どこからか不満が出てくるもので、万人が満足するやり方などはないことは、理解しておくべきだ。
 
 もちろん、今回の受験にはまったく関係ないが、長期的に日本の大学入試は、抜本的に見直す必要があるのではないかと思う。

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豚の心臓移植について考える

 2022年1月7日、アメリカ、メリーランド大学で、人類史上初めて豚の心臓を人に委嘱する手術を行い、11日の報道では、3日間は生存しているとされている。
 日本では、和田教授の事件で、心臓移植そのものが、非常に遅れてしまったのだが、動物の臓器を使用した委嘱の研究は、あまり行われていないとされている。それに対して、国際的には、臓器が不足していることを解決するためには、動物の臓器を活用することが必要であるという認識で、盛んにその研究がなされており、着実に進歩してきた。今回の手術は、そうした研究と実験の積み重ねの上で可能になった成果である。
 尤も、日本のあり方が非難されるものかといえば、現在の日本の方向性としては、iPS細胞を使って、必要な臓器そのものを再生して移植する医療をめざしていると、私は理解している。自分の細胞から必要な臓器を再生できれば、多くの臓器移植上の問題が解決するわけだから、この方向性は正しいといえるが、ただ、研究の進展の速度は問題かも知れない。まだまだ再生できる臓器は限られているからである。

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読書ノート『知の鎖国』アイヴァン・ホール2

 本書のコメントからは離れてしまうが、どこまで一般化できるかは別として、私自身の体験を書いておきたい。元同僚たちの批判になってしまうが、現在ほぼ全員が退職しており、かなり昔のことなので、あえて書くことにした。ここで書いたような側面はあるが、皆まじめで、誠実な人たちであったことは、断っておきたい。
 日本の知識人たちが、少なからず、外国人に対して、あるいは外国で教育を受けたものに対して、排外的な姿勢をとることの具体例である。
 
 第一は、私がまだ大学院の担当者であったときのことだ。大学院の入試判定前の段階で、受験可能かどうかの問い合わせについて議論したものだった。
 その受験予定者は、イギリスの大学を卒業していた。しかし、一般的なイギリスの大学は3年間で終えることができる。ヨーロッパの大学は4年制であるが、修士号を付与することが一般的である。尤も以前は6年が原則だったので修士号の付与は当然だったのだが、カリキュラム改革などを経て4年で終了できるようにして、修士号付与はそのままだったのである。だから、学士号を付与する教育機関は、3年でオーケーということになっているのだ。
 そのことで、日本人がイギリスの大学を卒業したが、日本の大学院は4年間の大学教育を条件としているので、問い合わせがあったわけだ。

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読書ノート『知の鎖国』アイヴァン・ホール(毎日新聞)1

 まだ全部ではないが、アイヴァン・ホール『知の鎖国』なる本を読んでみた。1998年に書かれた本なので、かなり古いが、日本が停滞に陥り、数年経過した時点での日本批判であり、この批判が適切であれば、日本が停滞から抜け出すのは難しいと思わせたに違いない。事実、日本は停滞から抜け出していないので、指摘は多くあたっていたということになるのだろう。
 一言でいえば、日本の知的専門職が、外国人に対して開かれておらず、外国人を差別しているという事例がこれでもかと出てくる本である。残念ながら、翻訳がよいとはいえないので、意味が鮮明でない部分がある。また、著者の誤解もあるような気がするが、しかし、日本人としては、このような批判に対しては、率直に耳を傾けるべきであろう。
 法律家(弁護士)、報道陣、大学教師、科学者と留学生、批評家の分野で、いかに日本社会の知的閉鎖的であるかを具体的に示している。まずは、大学教師の部分について考えてみたい。

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行き詰まった悠仁親王進学問題

 あまり根拠が示されていないのだが、youtubeでは多数、悠仁親王の進学に際して、筑波大学が断ったということが言われている。そこで、早稲田に志望を切り換えたというのだ。現時点で、確実な情報ではないので、どこに決まるかは論及しないとして、この問題は、予想よりも広い影響を与えているように思われた。教育問題でもあるので、避けて通れない気がした。
 進学を望まれた筑波大学付属高校の側から、この問題を考えてみる。もし、一般の入学試験を受けて、確かに高得点をとり、堂々と入学してもらえるならば、学校としてはかなりの名誉になるのかも知れない。しかし、誰がみても、学力不足の、特別な地位にいるひとが、そのひとのために設けられた特別入学制度「提携校進学制度」(特別裏口入学制度というべきか)を使って入学してくるとなると、名誉などとは遠い評価を受けることになるに違いない。

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