大学のオンライン授業拡大を文科省が容認の方向

 毎日新聞に次のような記事がでた。
「大学のオンライン授業「60単位上限」規制緩和へ 留学生獲得後押し」(2022.2.3)
 現在、上限が60単位となっているオンライン授業を、より緩和するということだ。私は、インターネットは大学のあり方そのものを変えることになると予想している。私は、既に定年退職してしまったが、この動向に関与できないのは、少々残念である。映像付きのオンライン授業はできなかったが、インターネットを可能な限り活用して、授業だけではなく、前後に様々な実践をしていた。
 コロナによって、オンライン授業が普通になったことによって、これまでの大学の制約を大きく取り払う可能性がでてきた。もちろん、可能性であって、実施するかどうかは大学自体が決めることだ。それは、積極的に活用する大学と、消極的な大学の格差が開いていくということでもある。

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佐渡金山の世界遺産推薦 自民党内の政争は国民の迷惑

 佐渡金山の世界遺産登録への推薦をめぐって、日韓をまたいだ政争になっているようだ。しかし、日本政府が、ユネスコに推薦をするという行為自体が、あまり気持ちのいいものではないし、余計な韓国との軋轢を生むことになり、ますます不快な状況になっていると思われる。
 報道によれば、まず、最初に推薦をするための候補にいれる決定をしたのは、民主党の菅直人政権であるという。そして、そのときには、現在韓国との争点になるような、強制労働の有無というようなものはなかった。戦時中の強制労働については、朝鮮人だけではなく、日本人に対しても行われたのだから、それを否定するような前提での候補ではなく、歴史を見据えた形でのものだったとされる。それなら、事実に則しているし、韓国も反対しないわけだ。

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菅氏と維新の争い 不祥事と言論を一緒にするな

 菅直人氏のツイッターに維新が噛みついている問題が、なんともみっともない。ことの始まりは、菅直人氏が、以下のような文章をツイートしたことに始まる。
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菅直人 衆議院議員(府中・小金井・武蔵野) 立憲民主党
@NaotoKan
1月21日
橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。
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 これに対して、維新がかみついた。ちなみに、言われた橋下氏自身は、「ほめ言葉と受け取っておく」という皮肉めいた返しをしているだけで、抗議する意志は示していない。維新は、まず立憲民主党に批判の矛先を向けたが、管議員の個人的見解で、党としては関与しないと言われたので、維新の馬場代表(議会での代表)が菅氏に抗議にでかけたが、菅氏から「橋下氏と維新の関係」を問われ、現在は関係ないと馬場氏が答え、それなら、なぜ馬場氏が抗議にくるのかと、いなされてしまった。

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教員不足 文科省に大きな責任がある

 読売新聞(2022.2.1)に「教員不足、ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下げてる」」という記事が掲載された。何を今更という感じだ。私は、既に20年以上も前からこういう事態が来ると、あちこちで書いていた。最も大きな要因は、文科省が、教師を尊重していない点である。
 35人学級の実施、特別支援学級の増設、高齢者の大量定年退職、産休等々、様々な原因が書かれている。そして、教育委員会が、教師確保のために、電話をかけまくっている状況が報道されている。https://news.yahoo.co.jp/articles/609bca3cead773cd35ae5cb9c3bf9998d9a95faf
 似たような記事は他の新聞にもある。
 しかし、単に不足しているだけではなく、より深刻なのは、教師志望者が減少していることである。「コロナ禍で大学の説明会を十分に行えず、教師のやりがいをアピールできない」という嘆きを紹介しているが、事実は、その逆だろう。教師のあまりの過酷労働が、誰にも知られるようになり、「やりがい」などあるのか、という疑問が学生のなかに浸透していることだろう。いくら、やりがいをアピールする場があっても、響かないのではないだろうか。だから、いくらアピールしても、教師の労働条件が根本的に改善されないと、志望者が増えることはないに違いない。

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デラ・カーザとシュワルツコップの主役交代劇

 昨日のフルトヴェングラー「ドンジョバンニ」に関する文章を書いているとき、ドンナ・エルヴィラが、シュワルツコップからデラ・カーザに交代した点について、それまで知らなかったので、大いに関心をもった。フルトヴェングラーは「ドンジョバンニ」をザルツブルグ音楽祭で、晩年3年に渡って上演しており、そのいずれもライブがCDで販売されている。最後が1954年であり、そのメンバーで映画が撮影された訳だが、どういうわけか、常にドンナ・エルヴィラを歌っていたシュワルツコップが、映画では起用されなかった。いろいろと調べてみたが、その理由がわからない。そこで、いろいろと想像してみたくなった。この文章は、あくまでも私の推測にすぎない。

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フルトヴェングラーのドンジョバンニ

 きちんとは見ていなかったフルトヴェングラーのオペラ映画『ドンジョバンニ』を視聴した。言う必要もないほどの有名な演奏だし、フルトヴェングラーのオペラがカラー映像で残っているというのは、貴重なものだ。1954年、フルトヴェングラーが亡くなる少し前に制作されたものだ。しかし、どのような経過で、どのようにして撮影されたのかは、かなり不明な点があるようだ。カラヤンの『バラの騎士』は、実際の公演をライブ録音し、その録音を元に、あとで映像のみを撮影したとされている。ライブ演奏でミスなどなかったのかどうかわからないが、あったとしても、訂正することは可能だったろう。シュワルツコップが出演したのは、映画用の一回だけだが、他のメンバーがほとんどおなじで、数回の公演が行われたし、その録音もとってあったから、必要ならそれを使えばよかった。

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医師殺害の罪を重くできないか

 最近ありえないような事件が立て続けに起きているが、この事件は最も痛ましい、また犯人に腹がたつ事件だ。
 90歳を超える母を一人で看護していた60代の息子が、在宅医療の担当者を人質にしたあげく、殺害していたという事件だ。被害者は、地域の在宅医療の中心的な人物で、8割の患者を担当していたという。私の義母も在宅医療を最後まで続け、我々夫婦もできることなら入院はしたくないと考えている。しかし、私自身は、在宅医療が必ずしもベストだとは思っておらず、医療以外の要素も含めて、患者や家族が、入院か在宅を選択できるのがよいと思う。在宅で看取るのは、いろいろと制約があるし、在宅医療に携わる医師が多くないという、いろいろと困難な状況があるなかで、今回のような事件が起きると、当然医師側でより在宅医療を躊躇する意識が強くなるに違いない。

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共通テストの不正再論 本当にスマホを使ったのか

 入試問題を研究してきた人間として、今回の事件は、注目せざるをえない。やったという本人が現れて、一部手口が報道されている。それによると、スマホを袖口に隠して操作したということと、一人でやったと白状しているというのだ。昨日、スマホを使ってやるのは、99%以上の確率で不可能だと書いたので、再度書かざるをえないと考えた。
 正確なことを公表すると、まねする受験生が出る可能性があるから、本当ではないやり口を公表したという可能性はあると思う。当初は、やりくちは公表しないのではないかという憶測も流れていたから、ありうると思うが、そうだとすると、やはり、私の想像した手口は異なる。
 
 とりあえず、スマホを袖口に隠して操作したということだとすると、まず自白の信憑性を疑わざるをえないということだ。本人が手口を隠している可能性もあるが、それは警察としても、実際にやってみさせるだろうから、検証しているだろう。ただし、「一人でやった」というのは、かなり無理があるのではないか。

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大学共通テストでの不正

 大学入試で、これだけ世間を騒がせた不正は、久しぶりではないだろうか。私が若かったころは、毎年のように新手の不正が登場したものだ。いまだに記憶にある印象的なものは、当時刑務所で入試問題を印刷していたが、印刷にかかわっていた囚人が外と連絡をとって、休憩時間にラグビーボール(?不確か)のなかにゲラをいれて、塀のそとに蹴りだした事例と、さる有名女子大で、娘の代りに父親が替え玉受験したという事例だ。特に後者については、いまでも頻繁に話題になる。母親が替え玉になるのはわかるが、父親が娘の振りをするというのは、なんとも大胆だ。私の記憶では、すね毛が濃いことに不信をもたれて発覚してしまったのだが、黒いストッキングでもしていればわからなかったのに、と冗談に言い合ったものだ。
 その後、受験生の入構チェックが厳しくなったとか、試験中の監督も厳しくなり、そうした不正は少なくなり、不正はほぼ私大の医学部に集中するようになっていた。ちなみに、大学紛争によって、入試粉砕闘争なるものが行われるようになる以前は、入試の最中でも、普通に学内にはいることができたものだ。そのため、いくつかの大学では、現役学生が学内に控えていて、入試が始まると試験問題を受け取り、急いで解答して、正解答集を印刷して、帰宅する受験生に販売するなどということも行われていた。これは構内にはいることができるため可能だったわけだ。

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指揮者の晩年4 ロリン・マゼール

 指揮者とオーケストラは夫婦のようなものだというが、一点違うところがある。求婚はオーケストラの側からしかできないという点だ。オーケストラは、団員を募集し、オーディションを経て団員となる。その試験は非常に厳しい。しかし、団員になれば、団員として安定する。(1960年代くらいまでの、指揮者に強大な権限がある場合には、指揮者から解雇されることもあったようだが)そして、オーケストラから、指揮者を選んで、オファーするわけだ。もちろん、指揮者からの売り込みなどはあるだろうが、それでも、指揮者側はオファーを受けるかどうかだけだ。ただ、オーケストラとしての意志は、どこで決めるかは、オーケストラによって異なる。理事会があってそこで決める場合もあるし、ウィーン・フィルのような自主運営団体は、オフィスから選ばれた委員が決める場合もある。
 
 オーケストラからのオファーが確実だと誤解して、その後の10年間を鬱々として過ごしたのが、ロリン・マゼールだ。ただし、その後亡くなるまでは、再び活発な指揮活動をしたから、苦悩のあとの解脱ということかも知れない。

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